長の年月03


思い立ったら即行動、それが幽助らしいのかもしれない。

蔵馬のもとへもう一度行く、と言った翌日、幽助と飛影はすでに蔵馬との暮らす樹海の外れへとやってきていた。

「なぁ、飛影!」

疾走しながら、幽助は飛影に問いかける。

「オメー最近、蔵馬に会ったか?」

「……」

無言だが、最近どころかしばらく会っていないらしいことが伺えた。

「なにかあれば向こうから顔を出していたからな」

「だよなぁ…」

最近会ったなどと言っても、蔵馬がを連れて樹海の奥に移り住んでしまってからというもの、

ふたりと会う機会は魔界統一トーナメントの時だけだった。

その約束も反故にされた。

なにがあったのか?

幽助も飛影も口に出しはしなかったが、薄ら寒い嫌な感じが背筋を辿る。

無意識にか、ふたりの走る速度がいや増した。

木々を渡るふたりの眼下に、絶えた集落が見えた。

その中の一軒、ここだけは生活感に溢れている。

先日訪れたときと様子は何ら変わりないが、蔵馬の気配を感じない。

留守なのだろうか。

「おーい、蔵馬…ー? いねーのか?」

ドアをノックしながら、そう尋ねてみるが、返事がない。

しばらく黙ったあと、そっとノブを回してドアを引き開けると、奥からが出てくるのが見えた。

わけもわからず、なぜかほっとする幽助。

「よ、! この間の怪我、悪かったな…ヘーキだったか?」

腕を見やれば、すでに包帯など巻かれていない、綺麗な肌が戻っていた。

「いらっしゃいませ、お客様」

無表情で、は深々とお辞儀をした。

「…あ?」

「主人はただいま留守に致しております」

御用件は私がお伺いいたします。

機械的に、抑揚のない声で淡々と告げるに、さすがにふたりはおかしい、と感じた。

「オイ、! オレだよ、なに言ってんだオメーは!!」

家の中に一歩踏み出した幽助に、はぴくりと反応したきり動きを止めてしまった。

「…不法侵入者は強制排除します」

瞬間、幽助の頬に一筋赤い傷が走る。

数秒遅れて、血がにじんだ。

「………!!」

冷たい目線で幽助を見据えるの、その細い指から血が滴り落ちた。

この間怪我を負わせた腕が、幽助や飛影が見切れぬほどの速さで、幽助の頬を裂いたのだ。

「幽助、家から出ろ!!」

飛影が幽助の服の首筋あたりを無理矢理掴んで家から引っぱり出した。

思い切り引っ張られて、どさりと前庭にしりもちをつく幽助。

飛影の乱暴さ加減に文句を言う場合ではなかった。

「…あの野郎…なにをしやがった…」

飛影が呟くその先で、何事もなかったように動きを止めたが立ち尽くしていた。

は普通の人間の女性だ。

戦闘能力などまったく持たないし、油断していたとはいえ幽助がかわせないほどの反応が出来るはずがない。

の虚ろな目は中空をただ見据えて、どこを見ているのか、見ていないのか。

「…くそっ…こんなときに、蔵馬はどこに行ったってんだよ!」

幽助が立ち上がると、の細い声が反応する。

「幽助、飛影…遊びに来てくれたの?」

「………は」

「ごめんね、今蔵馬は出かけていて留守なの、でももう戻るわ。入って待っていて」

「お、おい、…」

「ふたりとも喧嘩でもしたの? 幽助、ここ血が出てる」

さっき、まぎれもないの指がつけた傷だ。

「…記憶にないようだな…」

に聞こえない声で呟いた飛影に、幽助も小さく頷いた。

「不法侵入者は強制排除」さっきはそう言ったが、今度はいつもの調子で招かれた…どういうことか。

「…どうしたの、入らないの?」

訝しげにを見つめるふたりの背後から、聞き慣れた声がした。

「! 蔵馬…!!」

「やぁ、ずいぶんと頻繁な御訪問だね、国王様? 飛影も久しぶり」

いつもの様子で、蔵馬はそこに立っていた。

「…幽助、勝手に家に入ろうとしたね」

蔵馬は一瞬ひやりとした視線を幽助に寄越す。

に怒られただろう?」

「…あの反応はただの人間の女のものとしてはどう見ても異常だ。なにをした、貴様」

「別に、なにも?」

ふたりの横をすり抜けて、蔵馬は先に家へ入った。

、ただいま。留守中なにもなかった?」

「おかえりなさい」

蔵馬は歩み寄り、愛しい妻の身体を大切そうに抱きしめた。

そうしている姿は見慣れたもので、記憶の中のふたりの姿となにも変わりはないというのに。

「幽助、飛影、どうぞ入って? 話の内容は見当がついているけど、聞くよ、一応」

蔵馬は新政府への催促のことを言っているのだろう。

けれどふたりには、そんなことよりも問いただしたいことがいくつもあった。

は、どうしちまったんだよ…!」

「…どう、って?」

「………!!」

蔵馬には幽助が聞きたいことも、飛影が責めたいこともちゃんとわかっているはずだ。

わかっていて、はぐらかす。

こいつはいつもそうだ、こうやってのらりくらりと逃げおおせる。

それが蔵馬自身にとっていいことなのかどうか、わかっているのか。

「なにも変わらないよ。オレとはここでこうして、いつも通りに一緒に暮らしている。

 政府中枢とは確かに遠ざかりつつあるけれど、不自由も不満もなにもない」

そうだろう。

有無を言わせぬ口調で、蔵馬はそう言いきった。

それ以上の詰問を許さないその声に、表情に、ふたりは改めて気圧される。

「……また、来る! 話せよ、絶対に…!!」

言い捨てて、幽助はくるりと踵を返す。

蔵馬は黙ったまま答えなかった。

飛影はまだ蔵馬ととの姿を見据えたままでいたが、やがて背を向けてそこを去った。

「…帰っちゃったね」

怒らせてしまったかも、と蔵馬は呟いた。

彼の腕の中で、はそっと顔を上げる。

「聞いた? 不自由も不満もなにもない、だって」

自分のセリフを嘲るように。

「ねぇ、。」

妻を見下ろした。

「かつては伝説とまで言われた盗賊にも盗めないものはある」

は瞬きもせず、まっすぐに蔵馬を見つめている。

「永遠の幸せなんてものをどこで手に入れたらいいのか、君は知っている?」



どうしようもなくただ苛々とした気持ちばかりを募らせて、幽助は早足で樹海の中を歩いていた。

飛影はただ無言でその後ろについている。

もはや魔界の新政府のメンバーなどどうでもいい、

かつての仲間がただひたすら遠いところに立っていることに今になって気付かされて、

幽助は自分に対して怒りや焦り、やるせなさを感じていた。

「…あの女はただの人間だったな」

「ああ」

飛影の言葉に振り返ることも出来ず、幽助はかろうじて一言答えた。

「人間の女が術もなしに魔界の奥深くで暮らして、何年障気に耐えられるものか」

幽助はぴたりと歩くのをやめた。

「おまえは妖怪だ。身体が妖化してやがて成長は止まる。だが」

おまえと同じ年だった桑原は、今人間界でどんな姿をしている?

気付いてしかるべきだった見落としに、幽助はやっと気がついた。

と初めて会ったあのとき、は高校三年生。

魔界へやってきて、蔵馬と一緒に暮らし始めて…何年が経った?

たった二年とはいえ桑原より年上のが、高校生当時とまったく変わらない若く美しい娘姿のままでそこにいる。

会うことのなかったここ数年のあいだで、の身になにかが起きたことは確実だった。

「…確かめねーと」

幽助はまた、蔵馬との暮らす集落のほうを振り返る。

空気がよどんですら見えた。

限りなく正解に近い答えを導いたとしても、今はまだそれが真相かどうかはわからない。

けれど、それを暴いた結果がどうなるのかが少し恐い気がした。

思いつめてひとりで抱え込むことを決めた蔵馬を、内側から突き崩してしまうかもしれない。

それでも、蔵馬を壊すことに繋がっても、やらなければと幽助は覚悟を決めた。

ただひとりで堕ち続けていく彼を救わなければなどと、ご大層な大義名分などかざしはしない。

幸せそうな顔で嘘をつく蔵馬が痛々しい、それを見たくない、それだけだ。

蔵馬がどれほどを大切にしていたか、愛情を注いで守っていたか、それを知っているから。

彼が自分自身の愛に嘘をつく姿を、これ以上見るのはつらかった。

日は暮れかけている。

魔界に夜が訪れる。




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