プレシャストーン outside at greenroom. → 27

人目を引いているのは抱えた巨大な花束のせいだと思いこもうとした。
確かに、その花束が目立つということも一応は注目の理由に含まれているだろう。
しかし受付の女子学生達のひそひそ声を真に受けると自惚れのようでばかばかしい。
ただ、こんな事態も今に始まったことではない、これは自惚れではなく純然たる事実だ。
対応に困るという点だけが、今も昔も変わらない。
──あの、バラの花束持ってる人、ちょー格好良くない?
どう反応しろと? というのが南野秀一の本音だった。
結果、今回の場合は苦虫を噛みつぶしたような顔をせざるを得なくなる。
耳がいいのも恵まれているのかそうでもないのか。
気にしなければいいのだろうし、普段は平気な顔をしていることもできるのだが、
今日それがなんとなく上手くいかないのはどうしてだろうか。
考えれば理由には思い当たっただろうが、彼は気づかない振りをして自分を誤魔化した。
例のダイレクト・メールが招待状兼入場券になるらしく、受付にそれを提示する。
ちらちらと上目遣いで、また横目で視線を寄越す女子学生達は、先程のひそひそ話のあるじだろう。
彼女らの示したゲストブックに記入をし、なにも知らないような顔をしてA4サイズのパンフレットを受け取る。
抱えてきた花束を示し、
「知人にお渡し願いたいんですが」
言うと、お預かりしますとおずおず腕を伸ばしてきたので、それを預けた。
女子生徒にはひと抱え以上もあるような花束を腕から腕へと渡すのはちょっとした騒ぎだ。
よく見れば受付の後ろにも長テーブルが用意してあり、
パンフレットの在庫のほかに差し入れらしいドーナツの箱や花束、手紙の類が置いてある。
それにしても彼のバラの花束の存在感には何もかも敵いはしなかった。
普段は自分でも(武器として)赤いバラの花を使うのだが、今回は雪のように白い花を選んでみた。
特に目立った理由はないが、冬だし、などと内心で彼は理由をつくっていた。
雪、冬、そんな単純な連想の他になにかあるとしたら、彼が彼女と親しくなるきっかけになったのが
ウエディング・ドレスの製作だったというひとつに尽きるだろう。
婚礼衣装に独特の、上品な光沢を持つ布地に花びらがよく似て見えたのだった。
招待席は遠慮したくなるほど良い席で、そのブロックだけ指定席になっているらしかった。
舞台の花道側面に向かった席で、前からニ列目のそこは人の頭も邪魔にならない見やすい位置だ。
花道を挟んで向かいの席には人は少ないがおびただしい数の三脚とカメラが設置してあり、
見ているだけで舞台にも上がらない彼すら緊張を覚えてしまう。
舞台はまだしんとしているが、嵐の前の静けさというやつかもしれないと彼は思う。
その裏でどれほどの緊迫があるのかとうっすら想像を巡らせたが、
その瞬間学生達が楽屋で円陣を組んで気合いを入れたらしいかけ声が聞こえてきて脱力してしまった。
それが聞こえない一般客の聴力を少々羨ましく思い、苦笑した。
開演時間ぎりぎりになってもまだ人は詰めかけ、客席が埋まり、入り口近辺からぐるりと壁に添って立ち見すら出ている。
学生の声らしいアナウンスがあと五分で開演いたしますと告げる。
才能や輝かしい将来やチャンスといった栄光への期待高まる空気の中で、彼はたった一人だけを待っていた。
「Metamorphose」というショーのテーマに合わせて、ショーの内容もいくつかの小セクションに分けられている。
パンフレットに各セクションで一枚ずつのデザイン画が掲載されていたが、
そのどれかがの手によるものなのか、またそうでないのかは彼にもわからなかった。
スタッフ・キャスティングのリストが後ろのページにあるのを見つけ、
の名を探そうとするのを、薄れていくあかりが邪魔をする。
ショーの開演を告げるブザーが鳴り、照明がゆっくりと落ちる。
ざわめいていた客席を、ほんの一瞬を境に水を打ったような静けさが支配した。
音楽とともに舞台の両サイドに設置されたモニタに短い映像が流れ、セクションのテーマが示された。
ふと気付くと、すでに花道の奥には最初のモデルが登場している。
ほとんどの客の目がモニタに釘付けになっていた、その不意をうったような静かな登場だった。
デザインから製作はもちろんのこと、モデル役から演出の細かい指示までをすべて学生が手がけているショーだ。
今はまぎれもなく緊張感に包まれている場内で、ショーは続いていく。
多少奇抜だが普段も着て外を歩けるような服から、和服を崩してモチーフにしたもの、
果ては中世ヨーロッパの宮廷ではないかというセクションまであり、内容はバラエティに富んでいる。
専門家にいわせればいくらでも突っ込みようがあるのだろうが、
おもちゃ箱でもひっくり返したように次々現れる作品群は若いパワーにあふれていると彼はひしひしと感じた。
本心からそう思ってしまったあとで、もうはっきりとはわからないほどの自分の実年齢を思い知り、思わず自嘲する。
セクションは次々と切り替わっていった。
ほとんどが女性モデルだったが、ときどき男性モデルも登場する。
全員が学生で、歩き方や服の見せ方なども相当訓練したのだろう。
あるセクションではモデルがペットの犬を連れて出てきて、場内が大いに沸いた。
ショーの時間も一時間以上を過ぎて、パンフレットのデザイン画と各セクションのコンセプトとを追いながら、
彼はずっと舞台上を見つめていたが、の作品が出てきたのかどうかはやはりわからない。
この会場のどこかに彼女がいる、今のいえることはそれだけなんだと、彼は頭の奥でそう思っていた。
細く糸のようにのびたその思いの先に彼女はいて、
同じ空気と緊張感を、ショーの内と外とにいながら共有しているのだと感じていた。
彼女の渾身の作品が出てきたこと、に気付くことはできないかもしれないが。
ショーは一時間半をまわったあたりで終了するように組まれているらしかった。
最後のセクションのテーマ映像がモニタに流れた。
音楽も映像も静かだ。
最後に「SOMETHING FOUR」という文字がフェイドインで浮き出してくる。
サムシング・フォー?
どこかで聞いたような言葉だった。
脳裏をかすめた記憶を裏付けたのは、舞台に現れた花嫁姿のモデル達だった。
ファッション・ショーのラストを飾ったのは、眩いばかりのウエディング・ドレスの数々。
「作品」であるがゆえの冒険的なつくりが目に新しく、それまでのショーの照明とはうって変わった
やさしいやわらかいだけの光の中を、モデル達はしずしずと、しかし胸を張って歩いてくる。
ステージの上をさらさらと衣擦れの音が流れていく。
ヴェールや長い裾を引きずり、手に手にブーケを抱いたその中に、見間違うはずのない彼の知った顔があった。
(ま、まさか)
彼はいささか狼狽した──あののことだからデザインと製作を担当するのはもちろんのことだろうが、
自分でモデルまでやって出てくるとは思いもよらなかった。
そして、こともあろうに彼女の抱いているそのブーケは、彼が先ほど受付に預けたあの純白のバラの花の一部だった。
きっと、自分でデザインしたドレスを自分で着て歩いているのだろう。
客席の彼に、が気付いた様子はない。
二年前に彼女が作り上げたあのドレスとは似ても似つかない、
クロッキーブックを埋め尽くしたデザイン画の中にも、彼の記憶の限りは覚えのないドレスだった。
それはいかにも厳格そうなスマートなフォルムを持っていながら、
彼女の歩くリズムに合わせて羽根のように軽そうに翻る、不思議なデザインだった。
暗い会場の中でそこだけが光を浴びて、ふわふわと漂うようなその布の表情は儚げで、
触れたそばから崩れて塵になってしまいそうな繊細さを思わせる。
余計な装飾は一切なく、肩から腕にかけては惜しげなく肌を見せ、
控えめながら広く開いている胸元も、生々しいような印象をなぜかチラとも抱かせることがなかった。
二年前の彼女がやらなければやらなければと作り上げていったものとは
違う行程を経たという想像を抱くには充分だ。
何でもかんでも、つくる、というのがデザインではないということなのか。
つくり込まないシンプルな作品だろうとも、きっと彼女は彼女なりに手を抜かず、
例によって寝食も忘れて作業に没頭したのだろう。
そうか、と彼は思った。
これが、君がオレに見せたかったものなのか。
十名ほどのモデルが舞台を歩き、そのまま袖にはけることなく留まった。
相手のいない、一人ひとり全員が主役の花嫁たちを舞台に残したまま、終演のアナウンスが流れる。
学生の声によるそのアナウンスは、達成感からなのか声がわずかに震えていた。
モデル達も感極まったのをこらえているのか、目に浮かんだ涙がメイクをした肌の上を流れぬよう、
せっかくの作品に落ちて汚れることのないようと唇を噛みしめている。
惜しみのない拍手が会場からあふれんばかりに響き渡り、その中をモデル達はまたしずしずと歩いて舞台袖へ戻っていく。
拍手の中、今度は爆発するような猛烈に明るい音楽が唐突に流れ出し、
モデルもスタッフも入り交じって舞台へ登場しては客に頭を下げ、また舞台裏へと戻っていく。
賑やかなフィナーレの中にやがても姿を現した。
最後のセクションに登場した花嫁姿のモデル達は相当歩きにくいことだろうが、
そのままの姿で歩き方も何も気にかけずにずかずかと前へ出てきて、友人達と手に手をとって思いきりよく礼をした。
彼女は顔を上げる瞬間、ほんのわずかの間だが確実に彼のほうへ視線を向けた。
彼がはっとしたとき、その自分の反応を自覚する間もないようなタイミングで、彼女は満面の笑みを浮かべた。
思わず彼は頬が熱くなるのを感じた。
ただ視線が絡んだだけの、けれどそれは彼女からの合図に違いなかった。
彼が笑い返す暇もないまま、彼女は友人達に引っぱられて袖へ姿を消した。




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