プレシャストーン21

「終わっ……」
た、のあと一声を、彼は待っていたのだが。
「たの? これ?」
製作を手がけていた当の本人が、これでいいのかと言わんばかりに振り返ったので、彼は途端に脱力した。
「あのねぇ、……」
「いや、だって……なんかやり残した気がするんだもん。
 ほら、テストで早めに全問解けちゃったときとかだって、なんかおかしくないかなって思うじゃない?
 どこかすっ飛ばしてないかとか、間違っちゃってるんじゃないかとか」
そしてそういう予感は当たりやすい。
同意を求めてはじっと彼を見つめてみたが、素っ気なく「思わないよ、そんなこと」という返事だけが戻る。
千年近くを生きた頭脳に問うたのがそもそもの間違いだったらしい。
「で? 完成ってこと?」
「う、……うーん……いいのかなー」
「どうなの?」
「急かさないでよ」
拗ねた顔を見せたに、彼はおかしそうに笑みを浮かべてみせる。
おお、なんか今日、機嫌いい。
彼については今日、ずっとそんな印象を抱き続けていた。
彼の感情は外見や表情よりもまとっている空気に出るようだったが、今日の彼はころころよく微笑む。
は今日、巨大な紙袋を用意して、その中にほぼ完成形のドレスを入れて登校した。
被服室のトルソに着せてみたかったのだ。
さすがにトルソのような被服の専門用品は自宅にない。
そうして待ちに待った放課後、トルソにドレスを着せ、最終的な仕上げにちょこちょこと手を加え、
南野秀一がやや離れた位置に座ってじっと見守る前でひたすらチェックに没頭した。
少し短めにつくったヴェールには派手な花飾りがあしらわれていて、
そのかげにサムシング・ボロウのポプリ袋がさりげなく縫い止められている。
ドレスの丈も婚礼衣装にしては珍しいような短さだが、
中に思いきりよく詰め込んだパニエが充分以上スカートを膨らませているので存在感には事欠かない。
「うーん、かぁわいい」
「自分で言ってる」
「可愛いでしょ、だって」
「……可愛いですよ」
南野秀一は素直に肯定した。
は満足してドレスに向き直ったが、彼が言葉の裏に潜ませた別の意味などに気づきはしない。
まさにそういうところが……、なんだけど、と彼は思ってふっと息をついた。
この娘を相手に、気付いてくださいというほうが無茶だということは、これまででもよくわかっている。
「……自分で着たいとは思わないの?」
かなり際どい質問だろうなと思いながら、彼は何気なさを装った声でそう聞いた。
「着ないよ! 花嫁さんが最初で最後なの! 当たり前でしょ」
「なるほど」
理解しましたと口をつぐむが、どうにも納得がいかなかった。
彼女にとって、思わせぶりとはイコール、無に等しいらしい。
予想はついていたものの、実際にそういう態度に出られてしまうと不機嫌になりたくもなる。
(まぁ……、こらえておこうか)
手塩にかけて育てた我が子との別れを惜しむような気持ちなのだろうからと、彼はそのまま黙った。
そうしてぼんやりと思考を巡らせる……どうしてこういうことになったのだったか。
何ら関わりのなかった彼女にドレスをつくらせる、という発想が出てくること自体、
どうかしていたと今となっては思うのだ。
予算はたっぷりあったのだから、どこかでドレスを調達するほうがむしろたやすかったはずなのだが。
特に用事もないのになんとなく訪れた特別教室棟で、たまたまふっと覗いた先の教室にひとりで座っていたのがだった。
放課後の教室はかなり薄暗くなっていたのにそんなことを気にかける素振りも見せず、
背を丸めてひたすら手元で細かい作業をしている。
何をしているのかはよくわからなかったが、
そうやって見つめているうちにつと足が勝手に扉へと向き、手が勝手にそれを開けた。
瞬間、ばんざい、と勢いよく起きあがった彼女と目が合った。
(……それだけだったんだけどな……)
あれよあれよと言う間に計画に巻き込むことになり、
魔界のメンバーからも大なり小なりの責めを食らいながら頑固にを計画から外すことには頷かず、
成り行き上人間界でもかなり親密な仲になってしまった。
そうした関わりを隠していたのが仇になったようで、がクラスメイトから嫌がらせを受けたことも一度あった。
しかし、それ以降は逆に開き直って隠すことをやめると、意外とすぐに周りの目はそれに慣れてくれた。
労働を提供してもらうかわりにの勉強を見てやるようになり、帰りについでに一緒に寄り道をするようになり、
駅まで送ると言ってはそんな時間を長引かせるようになり──楽しかったということは、もちろん否定しない。
ただ、これは、アレか、恋か?
どうも一般人の女の子がみんな同じに見えるからいけないと彼は思う。
自分に向けられる好意の目の多さを彼は充分承知している。
それを口に出して言うと自惚れだと言われたり妬まれたりもするのがどうも理不尽だが、
自分でも認めざるを得ない明らかな事実なのだから仕方がないではないか。
ともあれ、だ。
が時折自分に向けてくる好意の目は、他の大勢の女の子達と同じか、否か?
それが親しいものすべてに当たり前に・平等に向けられるものなのだとしたら、
彼の意識は疑いようもなく自惚れなのだ。
このところはなぜか、が想いを寄せているらしい相手の話を聞くことを愉快とは思えない。
自分から話題にすることはしないように特に心がけている。
の片思いはだから、の中に秘められたまま──彼の知るところではない、どちらを向いているのかわからない。
ただ、自分のほうを向いていないとするなら、それを知りたいとは思わない。
(傷つくだろうから。ちょっとだけ。少し。……たぶん)
ずいぶん理論めいている自分の思考回路が急につまらなく思えて、
彼はため息を送り出すとともにそこまでの考えをすっぱりと捨てた。
さん。こっち向いて」
「は? なに?」
「……なんでもない」
彼は悪びれなくにっこりと笑った。
「なにそれ」
もつられたように口元に笑みを浮かべたが、目もとには戸惑いの色が見えた。
こんな意味のないことをよりにもよって南野くんがするの、というような目だ。
、作業に没頭してるときは呼んでも気付かないくらいだから。今は振り向いてくれた」
「え、ああ、そう? そうだった?」
本人はどこまでも無自覚だ。
「そうだよ。……だから、終わったんじゃないの? そのドレスは」
彼女の口元から、笑みが消えた。
「そ、そうかな? なんか……安心できないよ……」
「腹八分というでしょ?」
「それはなんか違う気が……」
「まぁまぁ。物事の基本は一緒だと思うよ」
冗談めかして彼は言うと、座っていた椅子から立ち上がった。
トルソの足元にはちゃんと、手作りのコサージュで飾られた白い靴が置いてあった。
「やりすぎや気にしすぎはかえってよくない。そうでしょ?
 テストの答案もプラス1するだけで間違いになるし。まぁ、マイナス1でも間違いだけど」
「……余裕ってもんがないんじゃない、それじゃ。正解がひとつしかないんだから」
は不満そうに俯いたが、どこかでは納得したのだろう。
やがてトルソから大切そうにドレスを脱がせ、作業のあとを片付けにかかった。
夕暮れの中を並んで黙って歩きながら、彼はの言葉をただ待っていた。
彼女の解決の言葉、完成の一言、それが聞ければこの場は終わるのだ。
つくった本人にしかわからない大事な一区切りを、極力邪魔はしたくなかった。
がやっと何かを言いかけ、彼はそれでほっと安心する自分を認めた。
「前に言ってた、作る側の都合ってやつね」
「うん?」
「正解を決めるのは花嫁さんだもんね。私は、……ベストを尽くしたから、いいや。たぶん」
ね、とは彼をちょっと見上げて見せた。
「……いいんじゃないですか? それで」
「うん。じゃ、完成」
「はい。お疲れさまでした」
迷って迷ってを繰り返し続けた割に、あっさりと結論づいた。
結婚式にはちゃんと間に合っているし、出来映えも素人手によるものにしてはなかなかだ。
華やかでもありカジュアルにも見え、愛嬌のある感じの可愛らしさがあるし、なにより花嫁に似合いそうだ。
充分な合格点だった。
「あとは結婚式当日だね。また霊界を通すことになるけど、月末の連休。……迎えに行くよ」
「うん、わかった……」
「魔界のほうの準備も、そろそろ総仕上げだそうだから。……楽しみだね」
「うん」
完成と言い切ってからのはどこか言葉少なだった。
駅まで送り届け、電車がホームを出ていくのを見送りながら、彼はの様子についてぼんやりと考え続けていた。
寂しい、ではないし。
物足りない? だろうか。
考え考え、思い当たった。
家のアルバムにそんな写真があったような気がする。
出産の直後の母親の表情にちょっと似た印象を受けたのだ。
(それは、考え過ぎと、いうやつなのでは……)
今日はなにもかもが中途半端にしかいかないなと思い、彼はその思考も途中のままで投げた。
自分の感情すら、自分で判断することができなかった。
好きなのか、そうじゃないのか、……




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