プレシャストーン 18

「あらっ、来てると思ったら」
唐突に背後で女性の声が聞こえ、気配を感じ取れず気付くのがひとり遅かったは一拍遅れて振り向いた。
「ほら孤光、この子がちゃんよ。話したでしょ、可愛い子じゃない?」
「ああ、電話の! ちょっと蔵馬、あんた軽々しく人間連れてくるもんじゃないよ、下手したら死ぬじゃないのよ」
「……対策は講じてありますから」
「世の中に絶対なんて言葉はないんでしょ」
言って、華々しい登場を遂げたふたりの女性……棗と孤光は笑い合った。
その口調から察するに、世の中に絶対なんて、という言葉は過去に蔵馬の口から語られたらしい。
揚げ足を取られた格好で、さすがの彼も口を閉ざすより他なかった。
「惚れた女ひとり守れないようなことになったらどーすんのよ」
孤光はねぇ、と煙鬼のほうへ目配せを送ったが、煙鬼はその言葉に余裕すら見せている。
守れなかったことのない者の自信だ。
「……守ってますよ。力の限りは」
「妙なとこで詰めが甘いのよ、あんた」
蔵馬の言葉を気にもかけず、孤光はセリフひとつで蔵馬をやりこめてのほうへ歩み寄ってきた。
惚れた女という言葉を蔵馬がひっくり返さなかったことには心踊らせたものだが、
孤光がまっすぐを目指しているのを認めるなりはっと我に返る。
「ああ、ホント、人間の匂いがするわ。あんた平気? ここへ来て何日目?」
「え? えーと……一週間くらいです」
「一週間! よく保った方だわ。苦しくなったらすぐ蔵馬に仰いよ」
「はい」
「孤光、大丈夫ですから。それより本題です」
蔵馬は決まり悪そうに咳払いをひとつこぼし、その一歩あとで幽助が少々気の毒そうに彼を見ている。
幽助も恐らくは、似たような鋭い突っ込みを受けたことがあるのだろう。
「六月のパーティーの話です」
本題とはつまり、目下準備中の結婚式のことのはずだ。
パーティーとはどういうことだろうか。
は衣装係として協力してくれていたんですが──そろそろ仕上がりも見えてきましたのでね。
 孤光と、棗も……サイズ合わせに一度御足労願いたいんですが?」
そんなところまで言ってしまっていいのかとはハラハラしながら蔵馬を見ていたが、
仕掛け人である幽助も棗も動じた様子はない。
その衣装が花嫁衣装であるということだけは伏せてあるということだろうか?
どちらにしても、はよけいな口を挟まないほうがいいに決まっている。
どこからぼろが出るかしれない状態で、はひとりヒヤヒヤしながら立っていた。
「ああ、わかったわ。近々予定をあけておくから。そっちの予定は?」
「どう? 
「あ、いつでも大丈夫です!」
唐突に話を振られては不自然なほど張り切った声でしゃきんと答えた。
「変わった企画を考えるモンよね。まぁ、人間界との兼ね合いを考えていくということなら、
 今の時点ではトップのあたしらが率先してやらなきゃってことなんでしょ?」
「その通り。飲み込みがお早くて助かりますよ。喧嘩っ早い連中を説き伏せるのが至難でしてね」
蔵馬の言葉に、それぞれが思い浮かべた人物がいるのだろう。
誰からともなくぷっと吹きだし、場に笑いが漏れた。
「百足の連中は? 参加するんでしょ」
「ええ、説得しますよ。まぁ好い酒を用意しておけば気も向くでしょうよ」
特に怪しがられることもなく、しばらく世間話が続いたあとで三人はその場を辞した。
かなり長いこと黙ったままでいて、やっと大統領府から会話が聞こえないだろうほど離れると息をつく。
「……どういうことになってるの?」
の質問の意味を蔵馬はちゃんと理解して、答えた。
「まずは環境から説明しようか。基本的に相容れない世界が三つ存在する……霊界と魔界、人間界。
 人間界だけが独立したようになっていてね、住人達は他の世界を知らない。
 それが、このところ少しずつ境界をゆるめて交流するようになってきているんだ」
「……知らないけど……?」
「そう、人間だけが知らないんだ。今後も恐ろしく長い時間がかかるだろうね」
「一部の人間から少しずつだな。霊感強い奴とかな。
 魔界では普通の人間は息するだけで死ねるからよ……そのへんの対策はまだまだ追っつかねーんだ」
それで、と蔵馬は話を引き取って。
「まずは自ら干渉することのできるオレたち妖怪が人間の世界を知ろうということで」
「人間界のブンカに触れよう会みてーなタテマエができたってわけだ。
 大統領が率先してやってくれってことでな、蔵馬の舌八丁で言いくるめたんだよ」
「ちょっと幽助、雲行きをあやしくしないでくれよ」
「ほんとだろー」
内輪もめのようなやりとりが始まるあいだではしばらく彼らの話を反芻した。
「それでなんで衣装が必要ってことになってるの?」
「仮装パーティーだから」
の問いに、ふたりはタイミング良く一緒に振り向き、声を合わせてそう言った。
そして目を見合わせ、ちょっと笑って言い合いは終わる。
相手の考えていることはちょっと目を見りゃすぐわかる、なのだそうだ。
「だから、大統領夫妻は参加者全員が仮装……人間界の服装をするものだと思いこんでいるよ。
 その衣装の協力をしてくれたのが、他でもないってこと」
「……なるほど……」
は感心したように、口を半開きにしたまま頷いた。
やっと計画の全貌に近い部分が見えてきて、はその日に思いめぐらせた。
空飛ぶ乗り物は、樹海を潰して走る巨大な虫に近づいていた。
木々をなぎ倒して走るものすごい音がしていたが、乗り物はちゃんと移動要塞に着地した。
「や、飛影。お出迎えかい?」
「とうとうボケたか? 貴様」
いつの間にか少し離れたところに立っていた妖怪の第一声には固まってしまった。
会うなり喧嘩腰とはすこぶる印象が悪かったが、蔵馬も幽助も気にした様子はない。
この妖怪はいつでもこんな感じなんだろうとは思った。
まるで影をまとったような印象を受けるこの妖怪を、彼らは飛影と呼んでいる。
「そいつが貴様の言っていた女か。人間を関わらせるなど、たわごとだと思ってたぜ」
「オレはいつだって本気で言ってますよ。嘘でも冗談でもね」
鋭い言葉に柔和ながら毒を含めて切り返す蔵馬に、飛影はフンとそっぽを向くのみだ。
「なぁ飛影、躯はなんつってた?」
「本人に聞いたらどうだ」
それだけ言うと彼は身を翻した。
隙のない姿に見えた虫型の要塞も、内部に入ってみればさまざま外に繋がる窓や穴がある。
ただ見てくれは外からも内からもひどくグロテスクで気味が悪かった。
ひときわ奥まった部屋の、豪奢なドアを彼は無造作に開ける。
「──客だ」
中に招かれもしなかったが、蔵馬も幽助も遠慮せず入り込もうとするので、もそれに倣った。
「……なんだ、お前達か……」
聞こえてきたのはハスキーだが女性とわかる声だった。
「相変わらずつまんなそーにしてんな、躯」
幽助は苦笑気味にそう言った。
「お前もな、浦飯。欲求不満が溜まってンじゃねェか?」
言葉を深読みしたらしく、幽助はたちまち言葉に詰まって苦虫を噛んだような顔をした。
「出欠を伺いに来たんですよ。大統領夫妻に彼女を紹介しに行ったついでにね」
「……ほう」
はやっと、蔵馬の背後から部屋の奥に視線を向けることができた。
巨大な寝床に退屈そうに身を沈める……女性、と、第一印象では言い切れなかった。
その半身は機械と布で構成されていたのである。
注視しては失礼だと思いながらも、は彼女から目を離せなかった。
「人間だな」
彼女は身を起こし、立ち上がった。
無遠慮につかつかと歩いて来、男性三人には目もくれずにの前まで来ると、
値踏みするような目でをじっと見つめる。
ふと、なにかに気がついたように目を留め、次の瞬間は頬を殴られたような錯覚を一瞬起こした。
痛みを感じたのではなく、そんなふうに視界が遮られたのを見たのだ。
目の前の女妖怪の手にはばんそうこうがあった。
が針を刺して負った傷に貼られていたそれが剥がされたのだった。
「……躯……お手柔らかに」
蔵馬が咎めるように、手を出したそうにしているのがわかる。
唐突にその女妖怪の指がの顎をとらえて顔を上げさせた。
「……怪我をしたな? 女が顔に傷を残しちゃマズイんだろ、人間界では?」
「それはそうでしょう。その傷はオレがしっかり監督して完治させます。あとは残しませんよ」
「まぁどうでもいいがな。……血の香りは格別だ」
目の前で、その躯というらしい妖怪はにやりと、ひどく艶やかな笑みを浮かべた。
瞬間、は悟り、ぞっとした。
この妖怪は、これまで会ったどんな妖怪とも感じが違う。
完璧なまでの、圧倒的な立場の上下。
の背筋を走っていく感覚は恐怖と絶対的な負の感情、じわじわと服従を知らしめられる感覚。
主従関係なんて言葉で片のつくものではない、これは。
(……この人、人間を食べるんだ……)
今のは彼女の目の前で、明らかに命の扱いをされていなかった。
「躯……」
冷ややかな蔵馬の声がその場の静寂を破るまで、は緊張した空気に痛みすらを感じていた。
呼ばれ、躯はふっと笑うとをやっと開放した。
蔵馬を振り返る声には愉快さすら読める。
「この娘はなんだ? 人間界からの親善大使といったところか」
「まぁ、そういうことになります。大統領夫妻に吹き込んだ表向きの計画を鵜呑みにすればね」
「なるほど。いいぜ、行ってやっても」
「……にちょっかいを出さないでくださいよ」
「警戒してるようだな……ときに、お前は下の名はなんと言うんだ?
 人間界では名がふたつあるんだろう、そちらの名が個人をさすと言ったな?」
特に幽助の呼び名からそれを知ったのだろう。
「……え、と……です」
か。そう呼ぶが、いいな?」
「は、はい……」
「気に入った。憎たらしいほどまっさらだ」
躯はそれだけ言って、また寝台へと戻っていく。
彼女の言葉を誰もが一瞬飲み込めず、呆気にとられて彼女を見送った。
話は終わった、さぁ出て行けと言わんばかりに躯が手を振ってみせるので、全員が大人しくそれに従い部屋を出る。
自身はいつどうやって自分が躯の気に入ったのかがわからない。
そして部屋を出たあとでぼそりと
「ええ、そりゃあもうまっさらですとも、憎らしいほどに」と呟く蔵馬と幽助とに、
どこか納得のいかない思いを抱いたのだった。



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