プレシャストーン 14

ひどく奇妙な夢を見ていた。
おしゃぶりをくわえた幼児がとことこと近づいてきて、姿の割にずいぶん年寄りじみた喋り方で、
さぁおまえも、とにおしゃぶりをくわえさせようとする……という夢だった。
必死で避けようとするのだがの肩はがっちりと誰かの手でおさえつけられている。
誰、離してと振り返ると、そこに見覚えあるきれいな男の子の顔が見え、
ダメだよ、君の身体のためだからと明らかに笑うのをこらえた様子でぐいぐい肉薄してくるのだ。
悲鳴を上げようとした口が、無惨にもおしゃぶりで塞がれた……

「ぐふっ……!」
「……あんま気持ちよさそうに寝てるなとは言えねーなー…」
口を苦々しそうにむずむずさせて、時折“ぐふ”だの“がは”だのと異様な寝言を呟くを、
二対の目が見おろしていた。
「結局コエンマはコレ、なにやったんだよ? なんかいい術があったのか?」
「魔封環、って覚えているでしょう?
 あれの応用品でね、身につけていると貯め込んだ霊気を供給し続けてくれるっていう。
 普通の人間でも、そうして強い霊気をまとってさえいれば、魔界の障気に耐えられる。
 ま、そこまでして連れてくる必要もないかなとも思ったんだけどね……」
「それでこれか。……もちょっと選べなかったのか?」
「さぁ。オレに言われてもねぇ」
はうとうとしながら話を聞いていた。
「言われてた荷物は全部運んであるが。目ェ覚ましてもすぐ動けるかどうかはわかんねーよな」
「そうだね、無理をされてはオレたちも困るし。責任は巻き込んだオレにあるからね、ちゃんと監督するよ」
「おう。あ、でも、もうすぐみんな集まってくるぜ。ここで寝かしとくのは……」
「ああ、ベッドに寝せておこうか、そのうち自然と目が覚めるまではね」
の身体を、力強い腕がふわっと抱き上げた。
自分の身体が軽々と、羽根にでもなったような気がした。
意識ははっきりしていて自分の状態もよくわかるのに、の瞼は重くて持ち上がってはくれない。
やわらかいどこかに寝かせられ、軽い毛布のようなものをかけられ、……髪を撫でられた気がした。
その指が名残惜しそうに離れた瞬間、はぱっちりと覚醒した。
「……あ、起こしちゃったかな。おはよう。身体の具合、悪くない?」
生活感のない見知らぬ部屋のベッドで目を覚まし、同じ部屋にいた男にそう声をかけられる。
「ど、どういう状況!? やだ南野くん、何したのよ!!」
「うわ、なにその悪者扱い? 何もしてないって」
「ここどこ!?」
「魔界」
言われて、は不意をつかれたように言葉を失ってしまった。
魔界? 彼らの話していた。
は呆然として彼を見返した。
「今度はも信じないわけにはいかないと思うよ……とりあえず、今仲間達が集まってくるから、紹介するよ」
まだ混乱から醒めないを後目に、彼はさっさと部屋を出ていった。
ドアの開け放たれたままの状態で二度寝するわけにもいかず、はベッドから降りて彼のあとに従った。
「おー、なんだ起きたんか。大丈夫か?」
浦飯幽助がに気付き、屈託のない笑顔を向けて手を振ってきた。
至近距離で手を振り返しつつ、大丈夫かという言葉の意味を反芻して考える。
。こっちおいで」
南野秀一はソファの空いた席を示し、手招きをした。
は言われるままに招かれ、座った。
彼はの横に立ち、かがみ込むようにしての様子を伺いながら言った。
「呼吸はおかしくなってない? 身体は変じゃない?」
「平気だってば! なにしたのよ一体!!」
「なにもしてないって。だから、ここは魔界で、普通の人間には空気すら有害なんだ。策は講じたが──」
何の話だとは顔を背け、手をぎゅっと握りしめた。
視線を落とした先に、見覚えのない光を認めて、は一瞬呆け……目を疑った。
「なにこれぇぇ!?」
「それが策だよ。障気に耐えられるように常にそこから全身へ霊気を供給し続け……」
「なにしたのよってば───!!」
「だからなにもしてないって! 話を聞けよ、!!」
の左手の薬指に、指輪がはまっていた。
「だって、おしゃぶりをずっとくわえているわけにいかないじゃないか? 君だって嫌がっただろう」
夢の中の出来事をはリアルに思い出した──夢ではなく、現実に起きた、記憶だ。
ゴールデン・ウィーク初日の早朝、南野秀一に指示されたとおりには家を出て、
どうやったのかは皆目見当がつかないが……霊界という場所に連れて行かれた。
そこで会ったのは閻魔大王ジュニアという幼児の容貌のコエンマと、その部下であるぼたんという着物姿の女性。
おしゃぶりは嫌だと全身を使って抗ったために、なんとかそれは免れた、まずそこまでは思い出せた。
よっぽど嫌だったのだろう、記憶は夢となってに再びそのシーンを思い出させた上、
ラストシーンはねじ曲げられておしゃぶりをくわえさせられまでした。
なんという視聴者サービスだろう、できることなら全力で遠慮申し上げたかった。
「だから代わりに指輪になったってわけか」
「装飾品に込めるしかないんだよ。ピアスはあいていないみたいだし、指輪くらいしか」
困惑した表情で彼は幽助に向かってそう言い、を見おろした。
「いいかい、その指輪はこの場所にいる限り絶対に外しちゃダメだ。……死ぬよ」
「……こんなの外したくらいで?」
「そのうちわかる。ここは君が思うほど害のない場所じゃない」
自分でそう言いながら、彼はそれならなぜを巻き込んだのかという自問に答えることができなかった。
いまだに半信半疑でその場に座っていたは、次々に現れた彼らの“仲間”を目の当たりにして言葉を失った。
角は生えている、耳が六つもある、空を飛ぶ、何もない場所から武器を取り出す、なにかを操る、
目に見えない速度で動いている、エトセトラ、エトセトラ。
その皆がに興味を示し、一緒に南野秀一にも注目をした。
誰もが声に出しては言わなかったが、凛とした姿の女性がやってきて、彼ら全員の本音がやっとにもわかった。
「あら、あんたがちゃんね。やっと会えたわ」
長い髪を一本にきっちりと編んだその女性を、周りの皆は棗と呼んでいる。
ちゃんという呼ばれ方で、それがいつか電話の奥で南野秀一をからかっていた
一方の女性であることには思い当たる。
「あんたもこんな危険を冒してまで魔界に連れ込むなんて、ずいぶん惚れ込んでるんじゃないの、蔵馬?」
「誤解ですよ、棗。妙なことを言わないでください」
「妙なことなんて。照れることないじゃないの、ねぇ」
ねぇ、と棗はのほうに目配せをしたので、ははっとして思い切り頷いてしまった。
「ほら、お許しが出た。左の薬指に指輪って、永遠の愛情を誓った印なんでしょ? 勉強したのよ」
「だから、棗……それは指輪じゃなくて」
「じゃあなによ?」
にはちゃんと他に気にかけてる相手がいるんですって。誤解にしてもオレが相手じゃが可哀相でしょう」
「はぁ?」
棗だけでなく、誰もがわけがわからないという顔を見せた。
「あなたと孤光を相手に誤解を解くのが今回の難題のひとつでしたよ」
彼が疲れたようにそっぽを向いたのと逆に、全員が今度はに注目した。
彼が皆の前でとの恋人関係を否定してしまったことで、あの電話の日から続いていたの夢は醒めてしまった。
集まった視線が熱く、痛く思えて、は思わず誰とも目を合わせたくないとさっと俯いてしまった。
頬に熱がのぼるのがわかったが、どうしようもない。
には結婚式の大事な役を果たしてもらうために来てもらったんですよ。
 ふざけた話題はお終いにしましょう」
彼はもっともらしくいつもの事務的な調子でそれを言い、はますます傷ついた顔をした。
それで周りの誰もが、の“気にかけている相手”が誰なのかを悟ってしまった。
(蔵馬、こいつ……妙なところで鈍いんだからなぁ)
(気付いてないのは蔵馬本人だけじゃないか)
話を切り上げようとする蔵馬を絶妙に遮り、棗がわざとらしく言った。
「ほんとね、蔵馬が相手じゃ可哀相だわ。女心なんてかけらもわかってくれないつまんない男だわよ」
「棗。それはあんまりな言い様じゃないですか」
「あらだって、つらい恋愛なんてしたことないんでしょう、蔵馬?
 そんなあんたにちゃんの気持ちなんてわかりっこないわ」
うんうんと一同が頷いたことに、蔵馬だけがよくわからないという顔をした。
「なんだ、いつの間に結託したの? オレだけが外れ者みたいに」
「納得いくまで考えなさいよ」
すでに楽しそうにすら見える棗は、それでもにこっそりとまた目配せを送って寄越す。
大丈夫よ。
私たちはみんな、あなたの味方だから。


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