プレシャストーン 13

視線を感じると、条件反射のように緊張を覚える。
指先の動きがぎこちなかったのはそれでも最初のうちだけで、
次第に作業に没頭してしまうといつのまにか緊張は吹き飛び、まわりのなにもかもが遠ざかっていってしまった。
黙々と作業を続けて、ふと時計を見ると一時間半がゆうに過ぎており、は思わずあられもない声をあげた。
「どわぁぁ!? 六時ー!?」
「……うん。集中してたね」
オレのことなんて忘れていたでしょと言われ、否定できず、は申し訳なさそうに黙り込むばかりだ。
「か、帰ろっか……暗いね、なんか」
「日中に比べればかなり暗いね。いつ気付くかなと思ってたんだけどな……全然他のこと、頭にないみたいだから」
怒っているのかとは思ったが、彼は苦笑を浮かべている。
まったくにはかなわないな。
駅まで送ると言ってきかない彼に甘えることにして、一緒に学校を出る。
「いつもああなの?」
彼が唐突に、前触れもなく主語もなく言ったので、は訝しげに彼を見上げた。
「日が暮れるのにも空腹にも、誰かに呼ばれても気付かないくらい、いつものめり込むの?」
「よ、呼んだ……?」
「暗くないかって一回聞いたんだけど、返事がなくてね」
「……ホントごめんなさい」
はがっくりうなだれる。
「いや、いいけどね。目を悪くするんじゃない?」
「そうかも……たぶん。よく言われる」
でも自覚はない、とは気恥ずかしそうに言った。
「……将来のの彼氏は大変だね。君の目を自分に向けるために相当努力を強いられる」
「う……いないし……。どうせできないって彼氏とか……」
「なんで?」
「なんでって。なんか、……フツーに可愛い子じゃないし、私。
 たぶん、大勢の女の子に混じったら、私って変だもん」
「……さっきは否定したくせに」
「場合によるの! 私は自分では普通にしてるつもりだけど……人から見たら、変なんじゃん」
「なるほど」
「でも、普通って嫌なんだ。誰かと同じなのは嫌なの。
 普通の人とは違うね、変わったことやってる、面白いねって、そう言われたいの、ホントは」
「うん」
「なんか、矛盾してるんだ。
 普通とは違うねって言われるのは良くても、ひとりだけオカシイねって言われるのは嫌なの。
 たくさんの人に後ろ指さされて、変だねって噂されるようなのは恐いの」
彼はわかるよと囁くように言った。
はそれで、自分ばかりがずっと喋り続けていたことに気がついた。
彼はただ短い相槌を打って耳を傾けてくれている。
あまりに自然にその会話と立場が成り立ってしまったことには驚いた。
叶わない恋だと最初から決めつけていた片思いの、その相手と並んで歩いているのだという事実にも。
今更……と思ってしまうのは、の頭の中を占める想いのほとんどが、
いまは自分の夢にばかり傾いてしまっているからだろうか。
情熱をそそぎ込むということを恋とは呼ばないかもしれないが、
その感情は恋することと同じくらいの勢いと強さ、毒と蜜とを持っている。
が今浮かされている熱は彼に対する想いではなかった、不思議なことに。
好きなものは好きだけれど、変わりなく恋しい相手だけれど、少し遠いような気がした。
どうかしてしまってると、思った。
「南野くん、私に付き合っててつまんなくない?」
「そう思うの?」
「見てるだけでしょ」
「うん。別に、つまらなくないよ。の真剣な顔見てるのは面白い」
これも褒めてるんだよと、なにか剣呑なセリフを言われる前に彼は先手をとって付け足した。
笑い合いながら歩いているうちに、駅のあかりが見えてきた。
楽しい時間ほどどうしてこうも短く過ぎ去ってしまうのだろう。
今更とはまた思った。
今更のように、彼に恋する自分がふっと戻ってきた瞬間だった。
別れるのが惜しいと、そう思ってしまった。
憎たらしいことに、電車が到着するまであと五分ほど。
ちょうど良い時間すぎて、彼とこれ以上話す暇などありもしなかった。
「じゃあ、ね、南野くん」
「うん。気をつけて……また明日」
「うん」
名残惜しい顔などできるはずもなく、は仕方なく背を向けて改札をくぐり、
一度だけ振り返って手を振るとホームの奥へ歩き始めた。
送らせてしまって悪いことをしたなと、あとから思う。
その分彼の帰宅が遅くなってしまったはずだ。
さっきまで何の話をしていただろうと、電車に乗り込んでしばらく、は思いを巡らせた。
──の彼氏は大変だね。
彼はごくたまに、ひどく思わせぶりな話題をに振ることがある。
こう言えばが自らその話題について話すだろうという魂胆があるのだろうと、にもなんとなくわかってはいる。
の恋愛事情について、彼は何を知りたいというのだろう。
ただの好奇心だろうか。
その程度の興味なら誰だって持っているだろうから、わからないでもない。
学校始まって以来の秀才も、そんなことに興味を持ってもおかしくはない。
──の真剣な顔見てるのは面白い。
つまり、彼は、一時間半ものあいだ、の姿を見つめ続けていたということなのだろうか。
たった一言、暗くないかと問うただけで言葉をかけることすらやめて。
ただ夢中になっている瞬間に、は自分のことをかえりみるほどの余裕など持ち合わせていない。
どんな顔をして、どんな姿でいたのかもわかりはしない。
彼はの中に何を見つけて、それを面白いと言ったのだろう。
手の中で転がしていた携帯電話が、いきなりぶるぶると震えた。
マナーモードの振動が告げたのは、彼のメールを受け取ったというそのこと。

南野秀一
───────────
電車には乗れた?
気をつけて帰って。

たったそれだけの言葉を彼は送って寄越した。
別れたあと、普段ならこんな質問も心配も送られては来ない。
誰の間で起こってもなんの不思議もないやりとりのこのメールに、はなにかを感じ取った。
彼はに、本当はなにを言いたいのだろう。
大丈夫だよ、南野くんも気をつけて帰ってねと、返信をする。
数分とあかず、また彼からメールが送られてきた。
“大丈夫? 別れ際、なにか言いたそうだったから心配した。あまり無理はしないように”
なにか言いたそうだったからと、彼はの離れがたい気持ちをそう解釈していた。
言いたいことがあるかと言われればあるに決まっているが、簡単に悟られるわけにもいかないと思う。
けれど、それどころじゃないからと言って気持ちをドレス製作に向けるのは言い訳がましい気がした。
言い訳に利用してしまうなんて、ドレスにもそれを着る予定の花嫁さんにも失礼だ。
結局、本心がどこにあるのかはわからない。
ほかの誰でもない、自分のことだというのに。
歯がゆくて、もどかしくて、行きつく先はやっぱり闇雲に指先を動かすことばかりだ。
自分がここまでものを作ることに傾倒する人間だとは、は知らなかった。
感情の高ぶりをすべて、表現することで消化しようとするなんて。



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