プレシャストーン 12

南野秀一がなにか吹っ切れたようになってからというもの、
人目を避けるだとか隠れるようにするだとかいうことがまったくもってなくなって、
にとってはおいしい状況が続くようになっていた。
放課後の打ち合わせ、必要ならば買い物に出かけたり、ついでに一緒にお茶を飲んだりする。
ちょっとしたデートのような時間が続くのはもちろん嬉しいことだったのだが、
日中学校にいる間も彼はこれまで以上にに構ってくれるようになっていた。
六月までに間がないからと時間を詰めてドレスの製作にかかっているを彼は心配し、
自分でできることならと申し出たのが“テスト勉強の監督”だった。
授業中、がどうしても理解できずに頭を抱えていた問題などがあればちゃんとそのことを知っていて、
が自分から聞きに行かずとも通りがかりに耳打ちするように公式を教えてくれたり、
ヒントを落としていったりしてくれた。
どうしてそんなに気がつくのか、頭の中でも読めるのかと一度は聞いてみたのだが、
彼はなにか意味ありげに、楽しそうに言葉に含めて、オレは耳がいいんだよ……とだけ言った。
ドレス製作はデザインの修正がある程度終わる段階まで進み、
いまはあちこちの服飾専門書やパターンを掲載したソーイング誌などを参考にドレスの型紙を起こしているところだ。
プロの仕事人が見れば卒倒するか激昂するかの素人技だが、大事なのは心がこもっていること、と自分に言い聞かせる。
まだ見ぬ新郎新婦ではあるが、自分がひと針ひと針に思いを込めたドレスを贈る相手なのだから、
親しみを覚えずにはいられない。
なにより南野秀一と、先日知り合った彼の友人──浦飯幽助──の大事な知り合いのようだから、
たぶんいい人に違いないとは少々無理矢理にその考えを飲み込んだ。
幽助に会っては、人見知りの素振りがなく呆気ないほど気さくな彼の態度に小気味よさすら覚えていた。
南野秀一が学校の友人関係よりそちらを重んじている(にはそう見える)気持ちもわかる気がする。
ただ彼らが寸分違わぬ口裏を合わせたあの“魔界”の話だけは鵜呑みにするわけにはいかない。
気が合う友人らしいというのはそれでわかったが、をからかっているのだろうか?
ドレスを作る動機に関してまでからかいだとは思わないが、そうしてをハメる理由がどこにあるだろうか。
だからといって特に問いつめる気になるでもなく、
完全な種明かしがあるまではただ作業に没頭するしかないとは半ば諦めてはいるが、
それにしても相当に裏事情のある知り合いなのかもしれないと思うと、楽しみの中に薄ら寒いスリルも覚える。
彼が、少なくともの属している学校という世界にはひた隠しにしている秘密、
それに踏み込むことになるかもしれないという、そんなスリルだ。
ちょっとした共犯者の心境……それは大勢いる“南野くんを気にしている女の子”の中でも、
にだけ知ることが許された特別な心理だろう。
こうした理由と事情とで改めて思い知るのはちょっと不純で納得がいかない気もしたが、
お裁縫が好きで本当によかったと、はしみじみと思うのだった。
あちこちから集めてきた型紙のパーツを都合よく継ぎ合わせ、
どうにかなるだろうという程度にドレス全体の型紙は仕上がった。
数日の徹夜状態、一日に仮眠を数時間取る程度だが、疲れはほとんど感じていない。
被服室の隅にかためて置かれている彫刻群のようなトルソを一体引きずり出してきて、
抱えてきたひと巻きの布をテーブルの上に解いた。
光沢のある布地をそっと撫でるだけで幸せな気持ちがこみ上げる。
待っていて、世界一幸せな布にしてあげるからね。
床に布を引きずらないように気をつけながら、トルソにあててはまち針で留めてみる。
実際に糸を通す前に、ちょっと遊んでみたかったのだ。
崩れたかたちではあるが少しずつ、なにかがかたちづくられていく。
自分の手からなにかが生まれる瞬間を見届ける、
高揚感というのはきっと今感じているような気持ちのことを言うのだろうとは思う。
「……完成予定図?」
「きゃあ!」
背後から声をかけられたのはあまりにも不意打ちだったもので、は悲鳴を上げて飛び上がった。
「なんだ、悪者みたいじゃないか、オレ」
「ご、ごめん……」
遊びに夢中になって門限を忘れた子どものような気にはなり、
唐突に背後に現れていた南野秀一がそれを咎める親のように思えてしまった。
しょげ返るをよそに、南野秀一は布を巻き付けられたトルソを示して、
「……まだ縫ってないんだよね」
不思議そうな視線をに寄越した。
「そう、針で留めてるだけ」
は誤魔化し笑いを浮かべて見せ、おずおずとトルソから針を抜き始める。
布に針のあとは残っておらず、しわにもなってはいなかった。
「とうとう実践ってわけだね。ゴールデン・ウィークに家を空ける都合はついた?」
「なんとか……お勉強合宿って言ったらしぶしぶ許してもらえたって感じ」
「そうか。それにしてもそんなに渋られるなんて、よっぽど成績悪かったんだな、この間の抜き打ちテスト」
「よっぽど悪かったわよ……わかってんでしょ、最近勉強見てくれてるんだし」
「そうだね、どこが苦手なのかはなんとなく」
彼の苦笑いがなにか言いたげで、はちょっと悔しい思いを抱いた。
成績勝負だとしたらに勝ち目などないに等しかったが、なんとなく、負けたくなかった。
根拠や理由の薄い漠然とした負けず嫌いの感情は、言ってしまえばただの意地っ張りにすぎないとわかってもいるが、
とにかくドレス製作に関わり初めてからというもの、のそういった性格が猛然と目覚めたらしい。
なにがなんでも、どれがどうでも、負けたくないと思ってしまう。
それを顔に出したらその時点で負けたも同じなので、ははりついたような笑みをかろうじて浮かべた。
なんだか今日の私は可愛くないぞと思った。
「もう縫いにかかれるの?」
「まだ、型とって、切って、ざくざく仮縫いして調整して……とか」
「ふーん……なんだか面倒を頼んでしまったみたいだよね」
「その面倒が楽しいから、いいの」
「なるほど」
彼が安心したように笑ったのが、には少し意外に思えた。
彼はが感じたことを敏感に悟ったらしく、なにも聞かれていないのに自分から言い訳を始めた。
「唐突に悪いことしたかなとも、ちょっと思っていたから。試験期間もかぶってしまうし、巻き込むしね」
「その、巻き込むってのがよくわからないけど」
「魔界に連れて行くから、さ。冗談で言ってるわけじゃないんだけど……信じてもらえてはいないんだろうね」
「うん」
「はっきり言うなぁ。傷つくじゃないか? オレの故郷なのに」
「うー、ん」
なんと答えていいものかも迷ってしまうような話題だ。
「魔界には基本的に人間はいないし……人間を食糧にする奴もいるものでね。
 君のことはオレたちができうる限り手を尽くして守るけど……」
「ま、まもる?」
「うん」
なんて突拍子もない単語が飛び出てきたのだろうか。
今の世に誰が誰に対して、どういう状況で君を守るなどと口にするだろうか。
(……うわぁ)
下手な想像をしてしまってはのぼせかけてしまった。
たとえば、たとえば……プロポーズのときに。
“君のことはオレが一生かけて守るから、だから”
「うわぁぁぁん」
いきなり顔を覆って悶絶し始めたに、彼はちょっと呆気にとられてしまった。
「……。どうしたの」
「な、なんでもないっ! なんでもないよ!!」
「なんでもなくないでしょ、その反応は?」
「南野くんオカシイよ! 頭いい人ってやっぱりどっかおかしいんだ!!」
「なんだそれ、失礼だな。オレからすればだって相当オカシイ人だけど」
「なにそれ!」
「自分で言ったことをそのまま切り返されて怒るなんて矛盾してない?」
「私は普通だもん! でも南野くんは、ヘン!」
「納得いかないな、それ」
普通じゃないことをオレは自覚しているけど、でもと彼は口をとがらせる。
その話題はそのまま堂々巡りになってしまった。
お互いに少し拗ねた雰囲気のまま、で布を広げて型紙を写し取る作業にかかり、
一方で南野秀一はそれを横目で眺めながらじっと黙って座っている。
「……あれはさ」
彼の口調が明らかに先程の堂々巡りを蒸し返したものとわかったので、
はちょっと身構えたように手を留めて目を上げた。
一方の彼はチャコペンシルを握るの手にまだ視線をとどめたままだ。
みたいな人はふたりといないだろうって意味で、ヘンだって、言ってるん、だけど」
聞いたままの意味で受け取り、の頭の中は空白になってしばらく動けも話せもしない。
彼はやっとのほうへ目を上げた。
「……褒めてるんだよ」
言い訳がましくて恥ずかしいというような顔で彼はさっさと目線を外すと、
手がお留守だよとわざとらしくをけしかけ、また作業の傍観者に戻ってしまった。
彼の言葉につられるようにはまたパターンを布に写し取り始めたが、
お互いが照れたように目も合わせられず、ただ黙々と同じ場所に居続けるこの瞬間を、
恋人同士が最初に過ごす時間のように甘く苦く感じるのだった。



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