プレシャストーン 10.5

なんかさぁ……
最近さんてさぁ……
あ、やっぱり? あんたもそう思う? だよねぇ。
いつの間にあんな……
私このあいだ、一年生の子があのふたりが一緒に歩いてたの見たって噂聞いちゃった。
えー、マジで?
日曜日だって。学校ない日なのに、街の真ん中並んで歩いてたって。
本当? ショック!
さんはともかくさぁ……南野くんは見間違えようがないよねぇ。
ねー。
じゃあ、ホントに?
ええ、信じられない。嘘って言って。
どうする?
さんに聞いてみる?
でもねー……
放課後いっつもさぁ……
そう、被服室!
大体さんが先に行って待っててさ、そのあと南野くんが入っていってさ。
出てくるときも別々だよねぇ。なに? あれ。
えー……人目を誤魔化してるつもり? とか。
なにそれ、無駄なんだけど。
最近さん、いつもスケッチブック持って歩いてるでしょ。あれの中身って……
絵だよね?
なんかウエディングドレス? みたいな、ヴェールとかあって……何パターンも
結婚? するの?
うそー
だってふたりであれ見てなんか喋ってるじゃん。
南野くんもなんか真面目そうでさ……似合うと思うーとか言ってて……
えー、うちらまだ高校生だよ?
高校生でも結婚はできんじゃん。南野くんが十八になったら。
じゃあ、まだ先の話?
それを今から相談してるってこと? なにそれ、噂でしょ?
でも、この間南野くん結婚準備マガジンとか持っててさー、びっくりした
嘘ぉ
なんか、かばんから覗いてた。
ああいうのって普通女の人が読まない?
でもほら、南野くんだから。
……ああ、うん。
えー……ホントっぽい? やだぁ……
まだわかんないって。だってうちらホントにまだ高校生だよ。
法律では許してても、現実には簡単にはいかないって。
いっちゃうかもよ? 南野くんだもん。
……ああ、うん……
それとなーく、探ってみようよ。
いつ……誰が?
四時間目の……
……っちゃおうか。


(───ない)
血の気が引いて、体温が下がるのを感じた気がした。
四時間目の体育を終えて昼休み、教室へ戻って弁当の入ったかばんを取り出そうとした。
やっと実際に製作するデザインが決まり、クロッキーブックは大事にかばんにしまい込んであったのだ。
それが、かばんを取り出すのに通学用の大きいかばんを覗き込んだものの……姿が見えない。
目の錯覚かと、思わずまばたきを繰り返したが、ないものはない。
「嘘……」
意図せずにそれが声に出てしまった。
不安に駆られて思わず顔を上げ、探したのは南野秀一の姿だった。
男子生徒はまだ戻ってきていない。
はあたふたと、しまい込んだ場所を思い違いしているのかもしれないと、自分の持ち物の中をくまなく探した。
(やっぱり、ない)
どうしよう、とまた呟きが漏れた。
やっとこれと決まったデザインに、は実際の手順や細かい素材、施す技術のメモを細かく書き込んでいた。
今日の放課後は彼が友人をかり出して荷物持ちをやってくれると申し出てくれたので、
夕方からではあるが街に出て素材の買い出しをしようということになっていた。
クロッキーブックには買い出しの際の指示まで気がついたことがすべて書かれている。
元々がの頭の中から派生したものとはいえ、そのすべてを覚えていろというのは無理な話だ。
やっと具体的な作業に移れることで、の頭の中には四六時中青空と花畑が広がっている状態で、
まともな思考回路など遠くに流され押しやられてしまっていた。
先の楽しみ、表裏一体の苦しみに思いは飛び、現実の問題は色あせてしまっていた。
クロッキーブックがなければ、話はまた振り出しに戻ってしまう。
隅々まで同じデザインを描いたとして、二番煎じのそれには自身が情熱を失いそうだった。
コピーしたのでは意味がない。
だから、最初に発信する立場の人間に、はなりたかったのではないか。
(……私の責任だ……!)
せっかくの、南野秀一たちの企画を、台無しにしてしまう。
大事な人たちを祝ってやるために、彼らだってになにがしかの期待はしていたはずなのだ。
それをこんなかたちで裏切るなんて。
夢を追うなんて笑い話もいいところだ。
最低限大事なことすら、には守ることができなかった。
机の中を覗き込むのにしゃがみ込んでいたのが、力が抜けて床にぺたりと座り込んでしまった。
そこに、教室に戻ってきた南野秀一が目を留めた。
? どうかしたの?」
声をかけられてははっと顔を上げた。
これまでに見たこともないような頼りない目線とかち合って、彼はなにがあったのかと真剣な声で聞いてきた。
「……デザイン画が、なくなっちゃったの……」
「なくなった?」
「かばんにしまっておいたの。でも、見つからないの」
「よく探した?」
「全部探したよ……何回も何回も。でも、見つからないの」
か細い声に、彼は考え込むように一瞬視線を伏せた。
「どうしよう……間に合わなくなっちゃう」
「……探そう」
自身の混乱を見て取ったのか、彼は自分からすすんでそう申し出た。
まずは自身に確認をする。
移動教室の際に教科書やノートと一緒に持ち歩かなかったか?
他にしまえそうな場所はないか?
彼自身がのかばんの中と机の中を確かめ、そこにクロッキーブックがないことを認めた。
最近話す機会が格段に増えている二人だというのはすでにクラス中が知っていたことだが、
それでも今その二人のあいだで取り交わされているなにものかを探すという行動には誰もが興味を引かれたようだった。
どうしたのかと声をかけてくるクラスメイト達ひとりひとりに持ち物の確認を頼み、
移動教室の経路をくまなく探るためにふたりは連れだって教室を出る。
朝まで時間を巻き戻したように、玄関から始まり、あちこちを巡って教室へ戻る。
辿る時間が今現在に近づくほどに、何も見つからない焦りと恐怖にも似た感情がの内心を締めつけた。
呼吸すらままならない気がする。
の様子を横目に伺いながら、南野秀一の脳裏にはよぎる予感があった。
このところ自分ととが話をするたびに、鋭い視線が飛んできた。
自分に向けられたというよりも、明らかにに向けられたなにとはない敵視の目。
そのことに気付かない彼ではないし、なにか一波乱あったら原因はこれかもしれないという覚悟があった。
もしかして、と思ったそのときである。
それが偶然だとしたら、気まぐれな神様もたちに味方をしたに違いなかった。
人並みはずれた彼の聴力が、ある声をとらえたのだった。
今日一度も行かなかった図書室へ彼が向かっていることには気付いた。
こっちには来ていないよと言おうとしたが、
彼が苦虫を噛みつぶしたような顔をしているのを認めると声をかけることは憚られてしまった。
昼休み、広い図書室は少々閑散としていた。
迷いなく進んでいた彼の足が、奥深くの書棚のそばでぴたりと止まった。
「……それ、返してくれる?」
彼の背に隠れるようになって、には様子が伺えなかった。
覗き込もうとしたが、彼の手がそれを遮ろうとしての腕を取った。
彼の意図はそれですぐに読めた。
悪意ある視線に嫌な思いをするから、君はでてこなくていいよと、彼はそう言いたかったのだろう。
思いやりは嬉しかったが、にとってここはかばわれたいシーンではなかった。
彼の腕を払って、は無理矢理書棚の奥を覗き込んだ。
クラスメイトの女子生徒が数人、のクロッキーブックを囲んでいた。
「あ──!! あったぁ!」
叫んだに、クラスメイト達は悔しそうな顔をする。
に現場を目撃されて、完全なる敗北を喫したと悟ったのだろう。
「……どういう嫌がらせ?」
南野秀一の声はの叫びに反してやたらと冷たかったが、にはそんなことはもうどうでもよかった。
「よかったぁ、ごめんね南野くん! 絶対間に合わせるから!」
クラスメイト達が気まずそうにしているのも気にかけず、
はさっさと彼女らからクロッキーブックを取り返すと大切そうに抱きしめた。
「……。大事なものを盗まれたんだよ?」
「戻ってきたよ」
「いいの? それで」
「だって、これさえあれば作業に移れるでしょ? 他のことは考えてる暇がないっていうか、興味ないっていうか」
「……そう」
彼の表情はわずかにしか変わらなかったが、
彼自身は自分からぷしゅぅと空気が抜けた音を聞いたような気すらしていた。
たとえば、今日買い出しの荷物持ちをやらせる予定の友人などは、
強い奴と楽しく戦えればそれでいいじゃねーかという考えの持ち主だが、どこか似ていると思わされてしまった。
デザイン画があれば次にいける、それでいいじゃない。
どうも自分が気に入る人間には、やっぱりタイプというか、傾向があるらしい。
呆れ返る彼と、立場なさそうなクラスメイトに背を向けて、はウキウキした足取りで戻ろうとする。
まぁいいか、丸くおさまったかと彼もそれに従おうとするが、クラスメイト達がそれを引き留めた。
「み、南野くん……さんと最近なにをしてるの?」
彼はなんでもないような顔で振り返り、しばらくそのまま黙っていたが、
一瞬ぞっとするような妖しげな笑みを浮かべてたった一言だけを返した。
「さあ? 君たちに話す義理はありませんよ」



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