プレシャストーン 07

騒々しいはずの日曜の街にまぎれ、そのカフェはやたらとこぢんまりして可愛らしかった。
アンティークの食器で供されるメニューは意外に豊富で、
パスタとサラダ、ドリンクとデザートのセットをオーダする。
ウェイターが注文をとってテーブルを去ったあと、
向き合って座ったままで二人のあいだの会話は途切れた。
しんと静まってしまった、その静けさに神経を逆撫でられて、はハッと我に返る。
この、なんとも言い難いような、気まずさ……緊張……焦りと困惑。
(もしかして……これってほんとにデートの空気というやつなんじゃ……?)
急にどっと焦りがのぼってきた。
窓際の席には明るい日差しがテーブルに斜めにさし込んでいる。
運ばれたお冷やのグラスのなかで氷がころんと転がった。
「……いい天気だね」
テーブルに頬杖をつき、窓の外を眺めながら彼がそう言った。
天気の話題を出すなんて、話すことが何もないときの常套手段だ。
なんと答えようとも続かないのではと危惧したところ、答える前に彼がまた口を開いた。
「結婚式当日も、これくらい晴れてくれたらいいんだけど……」
「そ、そだね……」
かろうじて相槌を打って、誤魔化しにグラスに口を付ける
冷たい感触がのどを通っていくのをリアルに感じながら、ふと思い当たったことを聞いてみた。
「……そういえば、結婚式って、予定、いつ……?」
「六月中。ジューン・ブライドっていうやつ」
「そっか……急がなくちゃね」
「うん。そうだ」
彼は窓の外からに視線を戻した。
「花嫁さんのサイズ、なんだけど……」
そこで口ごもる。
女性の身体のサイズに関して、話すのが照れくさいのだろうかとは思った。
ところが。
「手癖の悪い友人がいて……」
「……うん?」
「大体このくらい、というのを目測と……まぁ、なんというか……触診? で割り出してくれ、て……」
触診という例えを理解するのにはしばらく時間を要した。
「……は!?」
「妙な話で申し訳ない……」
彼も苦虫を噛みつぶしたような顔で息をついた。
「命に関わるからやめておけって何度も止めたんだけど。ま、無事だから良しとしましょう」
彼の口振りから察するに、その花嫁さんは相当に気の強い人で、旦那さんは相当に嫉妬深い人のようにには思えた。
確かに大事な妻の身体に他の男が触れたら、どんな温厚な夫でも怒るに決まっている。
「……たぶん、データとしてはけっこう正確……手段は情けないんだけど」
彼は携帯電話を取りだし、手癖の悪い友人とやらから送られてきたらしいメールを見せてくれた。

  よー蔵馬ー、この間言ってたデータ送るぜー。
  浦飯さんのこの小手先の技術をなめちゃ困るぜ!

続く数字。
は目を疑った。
想像するに、ものすごいナイスバディだ。
ウエストが思いっきり引き締まっているというのに、
バストとヒップの数字は標準サイズのには想像もつかない豊富さを示している。
「……正確?」
「正確。たぶん。彼の小手先の技術は確かになめてかかれない」
「うわぁ……胸……重そう……」
思わず呟いたに、彼はどうともリアクションを取ることができなくて何気なくまた窓の外に目をそらした。
じゃあ失礼とその数字をメモに写させてもらい、気がついた。
このメールは浦飯という名前の人から彼に送られたもののようだが、
その浦飯という人は彼のことを……蔵馬と呼んでいないだろうか?
携帯電話をじっと見つめたまま動きを止めてしまったを見て、彼はどうかしたかと問うた。
「あの……これ……蔵馬って」
以前も、彼と電話をしていたときに……彼のことをそう呼んだ声を聞いていた。
これもちょっとした引っかかりだったのだ。
「あだ名?」
「いや」
彼は意味ありげに言葉を切った。
どういう意味、と聞こうとしたところにタイミングが良いのか悪いのか、オーダしたセットが運ばれてきた。
そこからしばらく、食事にかかり話題も他愛のないものに移り変わっていってしまう。
学校という普段当たり前に組み込まれている場所から離れて彼と会うのは、にとってはもちろん新鮮なことだ。
初めて見る私服姿もそうだし、一緒に並んで街を歩けば、考えすぎとわかっていても人の視線が気にかかる。
彼が人目を集めて回ることができるくらい「格好いい」人なのはもよぅくわかっているが、
それだけじゃない、そんな素敵な人が、並んで歩いているの恋人に見えるんじゃないかなんて、
そんな想像までしてしまって浮き立つ気持ちが抑えきれない。
一緒に向かい合って食事をするなんて機会もない。
そういえば、彼には特定の友人が見えないような気がする──昼休みはどこにいるのだろう?
たまに海藤というクラスメイトと話し込んでいることはあって、彼らがまぁ気心の知れた間柄だというのはわかる。
けれどそれでもなんとなく、仲良しの友人という形容が当てはまるようには思えないのだ。
みんなが彼とは少し離れたところにいる、その距離に差はあっても。
誰にとっても手の届かないような印象を抱かせる人……それが目の前にいる南野秀一だ。
その彼が友人と呼ばわっている浦飯という人物にも少しは興味を持ったし、
その浦飯という人物から彼が蔵馬と呼ばれていることも同様に気にかかった。
彼が学校の外に大切な存在をたくさん持っているらしいことは、この数日でなんとなく読めてしまった。
この計画は彼にとっては学校の外の出来事で、たぶん距離を置く必要のない人と企んでいることなのだろう。
けれどそこにが混じったことはただの偶然でしかない。
は彼にとって学校の内側の存在だから……まだ、詳しいことなど何も知らされてはいない。
の悪い予感は、このまま何も知らされないで、ものを作ったら終わりなのではないかということだった。
役割だけを忠実に果たせば終わり。
もちろんそれで文句を言えるわけではないが、は自分の内心を恥ずかしく思った。
もういやと言うほど思い知らされてはいるものの、欲張らないなんてやはり嘘でしかないのだ。
運ばれた皿が全部からになるまではそんなに時間はかからず、会話に詰まることもなく、
やっと空気に慣れたようには思った。
会話に詰まることがないというよりも、
黙っている時間を恐がらずに済むようになったというほうが近いかもしれない。
デザートをつつきながら、穏やかな静寂にひたっていると、彼がふいに口を開いた。
「……。前も聞いたけど」
は指先のフォークから顔を上げた。
目が合って、彼は思った以上に真剣な顔をしていて──は驚いてしまった。
いったいどんな話を切り出そうとしているのか?
「この計画はたぶん、君が思っているよりもかなり壮大な規模なんだ。
 別に深刻になる必要はないけど……覚悟がいる。もう一度聞くよ」
一瞬言葉を切り、彼は続けた。
「“もそれなりに協力してくれるよね?”」
彼の視線に射られたままにろくな身動きもとれず、はかろうじて、恐る恐るといった様子で頷いた。
いつも穏和な様子の彼の周りの空気が、いやに殺伐として感じたのだった。
(この人は、もしかしたら)
頭の奥のほうでなにかがに知らせている。
この人はもしかしたら、誰のあいだにも距離を置きながら、
更にその向こうに思いも寄らないなにかを隠し持っているのかもしれない。
その彼が、には今隠してきたそれを垣間見せようとしている。
は唇を引き結び、もう一度強く頷いた。
もう決めてしまった。
たかだか花嫁衣装をひと揃いを作るという役割を負っただけで
どんな壮大なことに関わるハメになるのか──などと言ったら大げさかもしれないが、少なくとも彼は真剣だ。
が承知したのを見て、彼はそれを覚悟と取ったのか。
よし、じゃあオレも覚悟を決めた、と言った。
「……どういうこと?」
「君を巻き込む覚悟ができた、ということ」
意味がわからず、は眉根をよせて首を傾げた。
その日の彼のシメの文句は、って妖怪信じる? という、
彼が言うにしてはどこか間の抜けて聞こえるセリフだった。


back   close   next