プレシャストーン 06

放課後のミーティングは一週間近く途絶えてしまった。
家にいて時間を持て余していても、デザインなど浮かんで来もしない。
飛び抜けた才能を持っているわけでも、人並み以上の努力をしているわけでもなくて、
スランプが訪れたなんて生意気なことを言ったりはしない。
何もできていない自分が言えるような言葉ではないから、
は今の自分をたとえてもただのナマケモノとしか言えなかった。
今日のうちに何度、ため息を送り出したかはわからないほどだ。
土曜日、天気も悪くない。
休日は予定に関わらず嬉しいもののはずなのだけどとは思った。
唐突に電話が鳴った……着信は“彼”からだった。
嘘、とはしばらく信じがたい思いを抱いたが、意を決して通話ボタンを押した。
「……もしもし……」
『あ、……』
たった一語のあとに、やぁ、どうも、というような空気が流れた。
『……どうしてる?』
「ううん……別にどうも、なにも、……思いつかなくなっちゃって」
そうか、と彼は言ったきり黙り込んでしまった。
しばらくそうして沈黙が続く。
彼がなにか言いたそうにしているのが、受話器の奥から感じられた。
は黙ってそれを待ってみる。
やがて彼は装ったような明るい声で切り出した。
『あのさ、明日、空いてる?』
「明日……?」
『そう、日曜』
「うん……予定はないよ」
『あ、……じゃあさ、でかけないか』
「は?」
あまり唐突な展開では突拍子もない声を出してしまってあとから赤面した。
彼に見えていないのは承知だがなんだか恥ずかしかった。
『この間のお詫びもしたいから』
「いいよ、そんなの……かえってごめんね」
『いや、オレのほうこそ、デリカシーなかったよね……ごめん』
仲直りしないかと彼はそう言った。
別にけんかをしていたわけでもない。
だってどうしてあんなことになってしまったのかがわからなかった。
彼を困らせたかったわけでは、決してなかったというのに。
ときどき感情はひどく身勝手で、の意思に関係なくひとり走り出してしまう。
そうして走り回って彼にぶつかったあとで、いい結果に転ぶのならまだ許せるけれど。
彼との電話は少しずつ軽くなった空気の中で弾むように続いた。
他愛ない会話がほとんどで、自分でも驚くほどはよく喋り、よく笑った。
彼は電話の向こうで驚いているかもしれない。
結局、連れ立っての外出は秘密の結婚式計画の打ち合わせの一環だ。
具体的な素材となるもの……もちろん布地や糸、ビーズ、レース、パターンから資料になる本に至るまで、
実際に手に取ってみてみようということになったのである。
ウエディングドレスほど大げさではないが、にとってはなじみ深い買い物だ。
かの優等生には逆に珍しいだろうなとは思う。
打ち解けた空気の中で、はそれに乗じて、軽口を叩くのを装って言ってみた。
「なんか、デートみたい」
彼がおかしそうに笑う声が聞こえてくるはずだった。
『……そのつもりだったんですけど?』
一瞬、絶句する。
絶妙の間を取って、彼は笑うと冗談だよと言った。
彼特有の、のどの奥から低くくすぐるように響いてくるあの声、笑い声が、いやに雄弁に思えた。
には好きな人がいるんだから、オレがこんなことを言ったら失礼じゃないかと。
口に出して言わなくても、顔を見合わせていなくても、ほんのちょっとのなにかの具合でわかってしまうこともある。
そんな遠慮、いらないのに……は思った。
待ち合わせの時間と場所を相談して、通話を終えた。
まだ始まって半分の土曜日。
残り半分の時間をは、何を着ていくか、大それた約束をしてしまったわと妙に焦るハメになったのだった。

翌日、待ち合わせは11時。
待ち合わせ場所に十分ほど早く着いてしまっただが、彼はもうすでに到着して腕時計を眺めているところだった。
よく考えれば、自分も着てくるものに迷ったけれど、彼も同様に私服なわけだ。
初めて見るその姿に、遠目ながらは見蕩れてしまった。
シンプルなシャツとすらっとしたパンツ、腕時計、それだけの姿がなんてよく似合う人だろうと思う。
それは、元がずば抜けているのはも認めるところだ。
制服姿のときも思っていたが、うわぁ、スタイルいいんだやっぱり、なんて思い当たって赤くなる。
なんだか彼の目の前に立つのが気後れしてしまう。
並んで歩くには不釣り合いじゃなかっただろうか?
がもじもじと二の足を踏んでいると、彼が先にに気がついて顔を上げた。
ちょっと笑って近づいてくる。
「おはよう。呼び立てて悪かったね」
「う、ううん、全然!」
大げさにかぶりを振るを見て彼は表情はそのままにちょっと首を傾げた。
「じゃ、行こうか? が案内してよ」
よく知ってるでしょと言われても困ってしまった。
いきなり手芸用品の専門店なんかに入ったりするものだろうか?
おふざけでもデートなんてたとえた、せっかくのお出かけなのになぁと頭の中がぐるぐるとする。
それでもただずっと突っ立っているわけにもいかず、
思い当たった店の方向へどうしても向かい始めてしまう。
仕方がない、この際は当たって砕けておこうとははらを決めた。
まず向かったのは街の中央の通りから一本外れた位置にある五階建てのビルで、
五つのフロアすべてが手芸用品で埋まっているという専門店でも有数の品揃えを誇るところだった。
最後にここを訪れたのは従姉の結婚式用にさまざまなものを買い集めたそのときだった。
つまり、割とこの頃の話だ。
前もってドレス一着にどれほどの布を使うのか、漠然と計算をしてきただったが、
やはり素材を選りすぐれば金額は面白いようにつり上がってしまう。
のあとに着いてきた彼はまず店舗に踏み入った途端目に飛び込んでくる布の群に圧倒されていた。
実のところ、彼はたかだか布、と思っていたらしいのだが、
ビルのフロアふたつは布地だけで占められていると聞いて二重の驚きを隠せない。
難しそうな顔で居並ぶ布を凝視して見比べているを見て、言ってみる。
「……念のためもう一回言うけど、値段は気にかけないで」
「うーん……でもね……」
話しかける彼に目もくれず、頬を膨らませて怒ったような顔をしているだが、楽しそうだと彼は思った。
「記念だからさ」
諭すようにそう言った彼に、やっとは目を上げる。
「まぁ、新郎新婦が望んで企画してるっていうものではないけど……結婚の、大切な記念でしょう?
 だから、簡単にお手軽にお安く……ということにもしたくないのが、友人一同の一致した考えであって」
「うん……」
「大丈夫。こういうときに、遠慮は失礼」
彼は力強くにっこり笑って見せた。
「一応のご予算とか聞いたらいけない?」
「……目の玉が飛び出るような額をぽろっと言えるけど」
しばらく脅しのような彼の言葉を噛み砕き、はそれを丁重に辞退した。
「じゃあ、こうして?
 具体的にデザインとか素材が決まったら、
 それを作るのにどれくらいのお金がかかるかをなるべくはっきりした額で計算するから、
 南野くんが判断してオーケーを出してくれる?
 それで大丈夫だったら、私遠慮なくその案で作るから」
「わかった、いいよ。計画だけなら思いっきり贅沢にやるのも遠慮しなくて済むだろうし」
それでいったんは予算に関する心配を解決して、はまた布地に向き直った。
似ているようで全部が違う表情を持つ布地を見つめ、は何度目になるかわからないため息をつく。
「きれーい……」
「売ってるものなんだね、こういう……特殊そうな布も」
彼がぼそりとそう言ったので、は不思議そうに顔を上げた。
「いや、うちは母親がこの間再婚したから……身近で一回結婚式をやっているんだよね。
 そのときにドレスも見てるんだけど、本当に専門的な仕事の賜物だと思っていたから。
 こんな街なかの店で買えるものだと思ってなかった」
それをきっかけに彼がしみじみと布地を眺め始めたのをよそに、
は気になる素材に触れては価格を確かめてメモを取った。
彼は退屈だろうなと思いながら、それでもにとってはあっという間に過ぎた一時間。
そろそろ昼食時だからと手芸店を出て、ふたりは小さなカフェに入った。



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