逃避行クロスゲーマー 二日目/札幌観光


次の朝、少しずつ浮上してきたの意識に、蔵馬の声がぼんやりと響いた。
  北海道に──と──いつ帰るかは決めていないけど──心配をかけて
一方的に、時折間隔が開いて響く彼の声…電話をしているのだ。
  ごめん──義父さんにも──うん、もうしばらく──ごめん
何度も謝っている。
電話の相手は、母親の志保利さんだろうか。
きっと心配の裏で、完璧に見えた息子にもこんな面があるなんてと少し安心しただろうとは思った。
蔵馬は、人間の男の子にしては出来過ぎていたはずだ。
感情だけが少し、控えめだったのかもしれない。
だから今回切れて恋人をさらって飛行機に乗ったなんて大胆な行動は、
彼を知る周りの人皆がきっとものすごく驚いたことだろう。
蔵馬はまたひとつ別な意味で伝説を作ってしまったのかもしれない…そこまで考えるとおかしくなって、
はベッドの中で俯せたままくすくすと笑い出してしまった。
電話を終えた蔵馬が窓際からベッドに戻ってきて、厚手の羽毛布団ごとを思い切り抱きしめた。
「きゃー! 蔵馬ってば…!!」
「おはよう、
布団の中からを発掘して、蔵馬はその唇に軽いキスを落とす。
「みのむしみたい」
「ちょっと! ひどい言い方しないでよ!」
「じゃあ、おくるみ」
にこにこと上機嫌で、をまた羽毛布団にくるむとぽんぽんと手のひらで軽くたたかれる。
まるっきり子ども扱いだが、昨夜の様子が嘘のように蔵馬の表情は晴れやかだ。
それならこの扱いにも妥協しないでもない。
は諦めて蔵馬に遊ばれるままになってみた。
「外、晴れてるよ…雪が眩しくて」
は布団から少し這い出して窓から外を眺めてみる。
周りはビルや建物でいっぱいだが、屋根にも道路にも木々の葉にも雪が積もっている。
それが朝の光を乱反射して殊の外眩しい…は思わず目を細めた。
「すごい、空気がすっきりしてる気がする…」
布団を身体に巻き付けたままずるずると窓辺まで歩くに、蔵馬が後ろでくすくすと笑っている。
「わー窓が凍ってる! 模様みたい」
窓に張り付いた雪が溶けて水分に変わり、平面の状態で再結晶したのだろう。
氷がペイズリー柄を描いたような見事な模様が出来ている。
指をじっとりと触れてみると、指の腹がぴたりと氷にくっついてしまって一瞬焦る。
体温で溶けないほどの氷に肌が吸い付いたようだった。
「みのむしさん。朝食に行きませんか」
「…もぉその呼び方…」
「さっき、皿屋敷に電話した」
「うん…聞いてた」
「ちゃんと休みをもらうことにしたよ…母さんを通して伝えてもらったんだけどね」
「そっか」
「…納得するまで休んでいいって、そう言ってくれたみたい」
「…ふぅん」
蔵馬の気配は昨夜よりずっと落ち着いて、明らかに安心しきっているようだった。
「いいよ。考え決まるまで付き合う」
「…ありがとう」
ベッドの上であぐらを掻いて座っている蔵馬にまた近寄っていって、思い切り抱きついてみる。
彼らしくなく不意打ちになったのか、それともわざとか、に押し倒されるようにそのままベッドに倒れ込んだ。
「おなか空いた? きつねさん」
「うん、まぁ…都心に食べ物の名物はなさそうだけど」
こっちの方が甘くて美味しそう…などと、蔵馬はなんとなく妖しい笑みを浮かべてを抱き寄せた。
いつもと逆のように身体を重ねたままで、はちょっと焦り始めた。
とりあえず悩みの第一関門が取っ払われた今、蔵馬は自分を抑える必要性を感じなくなったのではないか。
果たして、その考えは的中したようである。
のほうが上にいても支配権は蔵馬が握っているようで、されるがままには唇を奪われ続けた。
朝からそんなとこばかり元気でもダメと態勢を入れ替えた蔵馬を押し返してバスルームに逃げ込んで、
やっと事なきを得ただった。
朝食を取ったあとでショッピング・センター内をぐるぐると巡って、
コートとマフラー、手袋、それに冬靴をそれぞれ揃えた。
自分のわがままに付き合わせているのだからと、どんな小さな会計も蔵馬の懐から支払われた。
確かに勤め始めて何年も経たない人物の財布にしては中身が潤いすぎている。
ここは遠慮しないで甘えようとは開き直った。
最後にはわくわくしながら耳かけが欲しいとねだって、冬の装備は一応揃ったことになる。
雪が降ったとき用に傘も欲しいとが言ったのだが、
店員の話によれば雪国の人間はちょっとやそっとの雪で傘など差していられないのだそうだ。
フード付きのコートを選んでいたことにあとで二人はちょっとほっとした。
ひととおり買い物を終えるとホテルの部屋に戻って荷物をまとめ、
チェック・アウトを済ませてまたJRの駅に向かう。
新千歳空港駅から乗ったのと同じ方向へ向かう電車に乗り、まず今日は札幌観光ということになっていた。
ホテルにいる間に蔵馬はさっさと今日の宿泊先を決めてしまっていて、
まずはそのホテルに荷物を置いたあと身軽になってから街に繰り出すことに決まる。
駅のすぐ近くにあるホテルだからとふたりは人の流れにまかせて改札を出た。
出口に向かって歩いていると、なんだか不思議な彫刻が置いてあるのが目に入った。
白い大理石で出来ているようだが、柔らかな曲線が山型帽のようなかたちを描いており、
その中央にたまご型の穴が開いている。
「…あれ、なんだろう」
「さぁ…」
蔵馬にもよくわからないらしかった。
近づいて彫刻の周りを一周してみる。
穴はかなり大きくて、大人が楽にくぐり抜けることもできるほどだ。
は喜んでその穴をくぐり抜け、嬉しそうに笑った。
「ああ、タイトルがあるよ…『妙夢』だって」
「みょうむ」
「うん。…なんていうか、…なごむかたちだな」
「うん。蔵馬もくぐる?」
が喜んで示すたまご型の穴だが、遠慮しておくよと蔵馬は柔らかく苦笑した。
妙夢をあとにして駅の外に出る。
地下街から繋がっているガラスのドームが左手にそびえ立ち、
昼のローカル・ワイドショーの撮影準備が行われている。
「あ、出口間違えたんだな」
ホテルから少し遠い出口から出てしまったらしい。
「札幌も京都と同じで碁盤の目の地形になっているそうだけど」
「私は迷う自信ある! 蔵馬よろしく!!」
「うーん…保証はしない」
街なかを流れている川があり、橋を渡るとすぐホテルへたどり着く。
中へ入るなり、はうっとりとその内装に目を奪われてしまったらしかった。
「わー! すごい可愛い! 外国みたい!! お姫様!?」
「はいはい、姫君。チェック・インを済ませたら街なかエスコートしてあげるから、大人しく待っておいで」
なんとなく含みのある愉快そうな蔵馬の声にはおやっと思ったが、
たどり着いた部屋を見てその思惑が想像以上と目を見張る。
の心を奪ったのは内装よりなにより、天蓋付きのベッドだった。
「お姫様の気分?」
「蔵馬…私のことわかっちゃってる…?」
「それはもう。可愛い彼女のことだから」
「…ありがと…でも…高そうな部屋…」
「この際そういうことは気にかけないことにしよう?
 魔界で稼いだ金ならどんな使い方しても惜しくない気がして」
「そうはいっても…」
ひとしきり喜んだあとで今は少し遠慮気味のの頭を撫でる蔵馬。
「いいのいいの。がお姫様になれるならそれだけで」
ふざけ口調にもムッとしたように頬を膨らませた。
「ほらほら、機嫌直して。まずどこに行こうか」
蔵馬に急かされて支度を整え、ホテルの外に出る。
それにしても出入り口のわかりづらいホテルなのがちょっと気にかかった。
外はすかっと晴れていて、太陽がまっすぐ光を雪に浴びせかけて街中が明るく輝いて見える。
もちろん、今度は防寒対策はばっちりだ。
冬靴は確かに滑りにくい気がした。
「じゃあ、地理として合理的に行きましょうか」
まずは時計台に向かうことにする。
碁盤の目にそったように東西南北に条丁がのびている。
片手に地図を、もう一方の手にはの手を握りしめて、蔵馬は時計台までの道のりを歩いた。
歩道は意外と雪にも氷にも埋もれておらず、ところどころロード・ヒーティングも入っているようだ。
あちこち溶けてぐしゃぐしゃになった氷雪に埋もれているくらいで、足を取られることはなかった。
土に汚れた氷雪はコーヒー牛乳をかけたかき氷のようだとが呟き、
蔵馬があまりに的を射た発言にぷっと吹きだした。
道なりに歩いて十分も経たず、時計台…らしき場所にたどり着いた。
観光客が写真を撮り合っているし、間違いはなさそうだが…想像以上にこぢんまりとした様子で佇んでいる。
少しさびれた壁が雪の眩しい白の中に沈んで、そのあたりの空気だけしっとりとして見えた。
「え、…時計台ってビルに囲まれてるの?」
「…そうみたいだね。ここで間違いはなさそう」
信号機にぶら下がる条丁を示す案内板を見て、蔵馬は現在地を確かめた。
「ガイドの写真はどーんって見上げて建っててすごいかっこよかったのに…」
「ビルが写らないように撮るコツがあるんだよきっと」
他の観光客がひとつの場所で入れ替わり立ち替わり記念撮影を続けているのを見れば、
その位置がベスト・スポットらしいことは自ずと知れた。
携帯電話でぽちりと写真を撮っては満足してしまい、
次にどこへ行くか相談しながらふたりは時計台をあとにした。
ぐるりと一周して戻ろうという話になり、次に目指したのはテレビ塔だった。
テレビ塔自体は大通公園の端に位置していて、観光スポットのひとつでもあるため人でにぎわっている。
それにしてもずいぶんな人の入りだなという疑問は展望台に登れば答えが示された。
「あ、見て、遠くにあるの…あれ雪像だ」
「さっぽろ雪まつりか、期間とかぶったんだな…どうりで人が多いわけだ」
蔵馬が肩をすくめる。
狙ったつもりはなかったらしいが、それでよく駅近郊のホテルに部屋が取れたものだ。
「クリスマスにはね、大通公園がクリスマスツリーになるんだって」
「大通公園がどうやってツリーになるの?」
「この眺めだよ」
蔵馬はガラス窓から眼下に延びる大通公園を示した。
駅から歩いてくれば進行方向に対して横たわるかたちでそこにある大通公園だが、
テレビ塔の展望室から見下ろすと手前から奥へと縦にのびているのがわかる。
「大通公園に人が集まってね、懐中電灯でもなんでも、灯りを用意してくるらしいんだけど。
 それを、時間になるとみんながぱっと灯すんだ。
 ほら、遠近法っていうのかな…公園の奥の方が細くなって見えるでしょう」
「うん、細長い三角形に見えるけど…これがツリーのかたちなの?」
「そう、その中に人々が持つ灯りがオーナメント代わりに灯るわけだね」
「わー、面白そう」
大通公園に視線を落としながら、
が瞼の裏に巨大なクリスマスツリーと化したその様を思い浮かべているのわかる。
「…じゃあ、」
蔵馬は少し緊張した声で言った。
が振り返ると、顔も少し緊張しているように見えた。
視線を合わせようとしないのは、蔵馬のちょっとずるいところだとは思う。
「じゃあさ、今度は…クリスマスに来ようか」
は少し意表をつかれたように蔵馬を見上げた。
「…今年の暮れに、忘れていなければ…ね」
蔵馬がやっとを見て笑った。
「うん。約束」
満面の笑みと一緒に差し出された小指に、蔵馬は少し照れた様子で自分の小指を絡めた。
雪まつりの会場を雪像を眺めながらゆっくりと歩いて、大通西9丁目の滑り台型の彫刻を間近で眺める。
世界的に有名な彫刻家が手がけた触れることの出来る彫刻のひとつ。
さすがに滑るのは無理かと眺めるに留まっていたが、
去り際に近くの専門学校の学生らしい数人が滑り台に登って遊んでいるのを見て
ついぽかんとしてしまった二人だ。
西11丁目の地下鉄駅までそのまま足を伸ばし、地下鉄に乗って一駅東に戻るとちょうど地下鉄大通駅だ。
ちょうど大通公園と垂直に交じる大きな道路があり、これがJR札幌駅からまっすぐのびていた駅前通りだ。
「そろそろ昼食にしようか?」
「さんせーい!」
はしゃぐを引っ張るようにして駅前通りをすすきの方面に向かって一条分歩くと、南一条通に出る。
大きなテレビモニタとスクランブル交差点に人がにぎわう四丁目プラザ前に電停があって、
道路の上を走る電車が停車していた。
「そう言えば札幌、市電が走ってるんだ」
「うわー! 乗りたい乗りたい!」
「乗ってどこまで行くの…」
「えーと…」
「さすがに市電の路線図までは載ってないな」
蔵馬はガイドをぱらぱらとめくった。
「じゃあ、クリスマスに来たときに乗る」
の中で次の札幌来訪は決定事項らしかった。
内心で奇妙に喜びを噛みしめながら、蔵馬はわかったよと約束を記憶に刻み込む。
手袋をはめた手を仲良く繋いで、昼食はとりあえず目に付いたものということで落ち着く。
デパートのレストラン街で食事をしたあとでうずうずしているに聞くと、
夜ごはんは札幌ラーメンがいいのとぽつりと呟いた。
「札幌ラーメンって…えーと…味噌?」
「うん、おみそなのー。コーンとバターも必須なの」
「…トッピング好きだよね」
高校生時代も寄り道にアイスクリームやクレープを買ってはトッピングをして喜んでいたし、
幽助の引くラーメン屋台に行ってもおまけをねだるのだ。
「えへへ。せっかくだからご当地ラーメンを堪能するの」
「…それで次の行き先が富良野を経由して旭川で、その次に函館でしょう?
 三カ所制覇しちゃうじゃない」
「ほんとだ…偶然」
「全部ラーメン食べるの?」
「あ、じゃあラーメンレポを幽助に提出する」
意味が分からなくなってきて二人は目を見合わせるとくすくすと笑った。
知らない土地で、自分たちを知る人が誰もいないところでこうして二人で過ごすこと。
それはとても自由で、晴々とした逃避行だ。
追ってくるものも今はそれほど恐くない。
食事を終えて外に出ると、テレビ塔のデジタル時計が15時少し前を示していた。
「次はどこ?」
ガイドブックを確かめる蔵馬にしがみつくようにして、も覗き込んでみる。
「じゃあ、駅前通りを北に戻って…道庁の赤レンガ庁舎」
「道庁って都庁と同じ?」
「うん…あの、都道府県で違うだけだよ。それにしても北海道は広いけどね」
雪まつり見物に駅から大通へ向かう人の流れに逆らって歩き、北二条通を西に折れる。
しばらく行くと、赤レンガ庁舎の屋根がちらと、雪の冠をいただいた木々の向こうに見え始めた。
裏口のようではあったが、敷地内に入るに制限はない。
雪が積もった上を歩くときしきしと音がしてそれだけで可笑しい気がしてしまう。
右手の奥に木々に囲まれて大きな池がある。
左前方には赤レンガ庁舎の側面が見えた。
「わー、なんかレトロな建物」
「そうだね、年代なんかはよくわからないけど…昭和の香りがするような」
「あはは、そんな感じ」
本当は昭和どころか、北海道の開拓時代からの息吹を伝える歴史的価値の高い建造物なのだが、
蔵馬もさすがにそこまでは把握しきれていなかったらしい。
昨夜降った雪が屋根に残り、周りの木々や芝生の上も白一色だ。
赤レンガ庁舎の壁肌の色と屋根の緑に白、それぞれの色がそれぞれなりに主張し調和している。
この歴史馨る建造物の隣に、いかにも事務的な現在の道庁舎もそびえ建っている、
何ともアンバランスだがこういう雰囲気も北海道のものなのかもしれない。
は今度は自分で写真に写りたがったので、
昨夜コンビニエンスストアで買っておいたインスタントカメラを彼女に向ける。
レンズの中の彼女の笑顔は幸せに満ち足りているようで眩しくて、
雪や太陽の輝きなどにまったく劣らないように蔵馬には見えた。
ひとりで写るのでは飽きたらず、は蔵馬の持っていたカメラをひったくって清掃員らしい男性をつかまえ、
写真を撮ってくださいと熱心に頼み込んだ。
観光名所に勤める人にはそういった頼み事も珍しくないようで、快く引き受けて写真を撮ってくれた。
はカメラを軽く振って、思い出がいっぱい詰まってく、と嬉しそうに小さく呟いた。
冷たい空気に頬と鼻先を赤くして、それでもそんなこと気にもかけずに微笑むがただ愛おしくて、
無理矢理だけれどをさらってここに来てよかったと、蔵馬はやっと心から思えたのだった。


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二日目は札幌観光でした。
二月上旬にちょうど雪まつりがあるので引っかけてみましたがなくても良かったような…
クリスマスに大通公園ツリー化計画は「ノウル(綴り不明)」というもので、
いがらしゆみこさん提案の企画です。
ボランティアに声をかけられたのですが結局行かず…今年もあればぜひ行ってみたいです。
雪国だけあって冬のお祭りにはとても強い北海道、ホワイトイルミネーションも素敵です。
さて、三日目には特急電車に乗って「へそのまち」富良野に向かいます。
北海道のちょうど中心に位置するので北海道のおへそと呼ばれているのです。


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