W −ダブル−

ほんの少しだけ緊張している、日曜日の午後。
この間出来たばかりの彼女が、家に招待したいと言ってくれたのだ。
別に家族への堅苦しい紹介があるわけではないけれど、やっぱり少しだけ、改まった気持ちにはなるものだ。
彼女は高校のクラスメイト。
蔵馬の内事情など露ほども知らない彼女だが、幽助たちが蔵馬、と呼ぶのを聞いて自分もそう呼びたいと言い出した。
愛情ゆえのひいきかもしれないが、そこらの少女達と彼女を一緒にされては困る。
ちいさくて、細くて、たおやかで、ちょっと触れたら壊れてしまいそうな透明さだ。
蔵馬と呼ばれることと彼女を危険に巻き込むこととが直接繋がるかはわからないが、
自分が不安定でいるときには…なにか悪い影響を与えてしまうのではないかと、少し心配になる。
そんな内心も相まってか、インターフォンを押す指がどれほど逡巡しただろう。
「…蔵馬? なにしてるの?」
うしろから彼女の声が蔵馬を呼んだ。
振り返ると、買い物帰りとおぼしき様子で不思議そうな顔をして立っている。
「あ、いや…」
「入らないの?」
「そういうわけじゃないんだけどね…」
「挙動不審だったよ」
「………」
歩み寄ってきた彼女はにこりと微笑みを浮かべる。
ありきたりながら、天使のような笑みだと思わずにいられない蔵馬だ。
するりと腕に抱きついてくる。
いつもよりもずいぶん積極的じゃないかと、ちょっと意外に思われた。
「すっごく、逢いたかったんだよ、蔵馬…」
「学校でいつも逢っているのに?」
「関係ないもの。来てくれて嬉しい」
ねぇキスしてと、彼女は目を閉じてみせる。
「は………?」
今まで一度手を繋いで歩いただけの彼氏に、家の玄関の前でそれを言うのか?
蔵馬の脳裏にどっと様々な感情と思考が押し寄せた。
「蔵馬、私のこと好きでしょう…?」
「好き、だけど、ちょっと待って」
引きつった笑みが浮かぶのが自分でもわかった。
ためらうあいだに、細い腕が鮮やかに首もとに抱きついてくる。
流されてしまえと目を閉じかけた瞬間、ばん、とものすごい勢いで玄関ドアが開いた。
「…………!!」
家の中から出てきたのは、………蔵馬の可愛い恋人、、だ。
肩で息をするように、赤い顔をして怒っている。
「あ、あれ…」
「…ち。もうちょっとだったのに」
悔しそうに、しかしなんとも強かな様子で、蔵馬に抱きついた格好の彼女は言った。
見下ろしてみる…やっぱり、だ。
ちゃん、ヒドイ! 私の蔵馬から離れて!!」
…?」
「私の蔵馬、だって。彼女の見分けもつかないでキスしようとした奴に」
「いーから離れて!! ばか!!」
泣きそうになりながらは玄関から出てきて、蔵馬にくっついたままの彼女を引き剥がした。
同じ顔がふたつ。
「ど、どういうこと…?」
「…なに、話してなかったの?」
「今日言うつもりだったんだもん!」
「………」
は涙目でキッと蔵馬をにらみつけると、そのまま蔵馬に思い切り抱きついた。
「……?」
「私がだよ、蔵馬…」
「…えーと」
抱きついている彼女と、先程と呼ばれた彼女とを見比べる。
「…双子? もしかして」
「そういうこと」
はニヤリと意地の悪そうな笑みを浮かべた。
大人しく優しいが見せたことのない勝ち気な表情だが、同じ顔なのだ。
なんという不思議だろうか。
「一卵性双生児よ。DNA鑑定も99%以上同一人物って証明してくれるけど、別人」
ということは、蔵馬はの双子の姉か妹…に見事にはめられたのだ。
「…姉の、ちゃん」
はまだ涙目で、それでも双子の姉を蔵馬に紹介した。
「どーも。です。妹がお世話になりまして」
「…いえ…南野秀一です。さっきは失礼しました…」
蔵馬はまだ呆気にとられながら、かろうじて言葉を返す。
「あれ、蔵馬でしょ? 南野秀一っていうの?」
「蔵馬っていうのは、あだ名なの。もういいでしょ、ちゃん」
さっさとあっちに行ってと、を追い払うように手を振ってみせる。
「はいはい、ラブラブバカップルのあてられ役はご勘弁ですよーだ」
「もう!」
が八つあたる前に、は逃げるように玄関へ入ってしまった。
「………」
「………」
「…そっくりだね」
さすがは双子。
「ゴメンね、蔵馬…びっくりした?」
「うん、まぁ…かなりインパクトの強い紹介だったな…」
「…ちゃん、蔵馬に会えるの、楽しみにしてたんだよ…」
「そっか…」
彼女なりの歓迎だったのかもしれないが、それにしても心臓に悪い。
「蔵馬、あの、わかんなか、った?」
自分と姉との区別が付かなかったのかと、は聞いているのだ。
「…ごめん、最初から双子だって知っていたら」
見分けがついただろうか?
が出てくるのがちょっと遅ければ、最初のキスはにとられていたかもしれなかった。
今更ながらに冷や汗をかく。
「と、とりあえず、あがって」
はなにか誤魔化すように蔵馬の腕を引いた。
まだたった一回手を繋いだだけ。
の登場に後押しされてのとっさの行動だっただろうが、いきなり抱きついたことに照れているようだ。
(私の蔵馬、だって)
彼女の後ろ姿を眺めながら、口元に浮かぶ笑みをついこらえきれない蔵馬だ。
はなんだかぎこちなさそうに、母親と蔵馬とを引きあわせた。
そのそばに先程の様子でもいたのだが、こちらにはあまり興味がない様子でテレビに見入っていたりした。
礼儀正しい蔵馬の様子に母親も満足そうで、蔵馬自身もその反応にやっと少し安心した。
に案内されて、二階の自室へと招かれる。
ふたつ並んだドアに、「」「」と書かれたドアプレートが下がっていた。
「こっち。狭いけど、どうぞ」
蔵馬を先に通して、はそのあとについて部屋に入る。
女の子らしい、可愛い部屋だ。
どこもかしこもきちんと片づいて整頓されている。
カーテンやベッドカバーの色が淡いピンク色に統一されていたりして、彼女らしいななどとふと思う。
机の上には蔵馬が使っているものと同じ、見覚えのある教科書が数冊。
ここで課題を片づけたりするんだなと思って、またつい頬が緩む。
が座ってと促すのに曖昧に頷きながら、蔵馬は部屋中に彼女の気配を見つけては新鮮な感動を覚えていた。
に背中を向けたままでしばらくそうしていると、しびれを切らしたのだろうか。
がそばに寄ってきて、ちょいちょいと蔵馬の袖を引いた。
「あ、ごめん」
肩越しに振り返ると、彼女が物言いたそうな、寂しそうな目線で見上げてくる。
学校にいるときにこんなに近づいたりはしないし、しつこいようだが一度手を繋いだだけなのだから。
今度はのからかいではなく本人だけれど、やっぱりちょっと…意外に思われてしまう。
振り返るのがためらわれる。
こんな距離で正面から向き合ったら…
(…オレにどうしろと。)
彼女からの告白を受け入れて約ひと月。
愛情が芽生えるまでに時間なんて関係ないけれど、それでも、恋愛にも手順とかいわれるものがあるんじゃないだろうか。
今がそのタイミングかというと、多分違う、、、と蔵馬は思う。
袖を引かれて背を向けたままでいるわけにもいかない、まぁうまく立ちまわるさとゆっくり振り返った瞬間、
部屋のドアが外側から唐突に開けられた。
身体がぴったりくっつくくらいの距離で向かい合っている蔵馬とと、
それを見て表情は変えず、けれどぴたりと動きを止めてしまったと。
その手にはティーカップをふたつと菓子を載せたトレイ。
「…………お茶。」
「も、もう! ノックくらいしてっていっつも言ってるのに!!」
ちゃんのばか、とはまた真っ赤になって怒っている。
双子の姉のところへ駆け寄って、片手でトレイを受け取るともう一方の手で部屋の外にを押し返す。
「邪魔しないでよぉ…!」
「邪魔って何の邪魔よ。あんなぴったりくっついてなにしようとしてたんだか、やーらしぃ」
「いいから出てってったらぁ!!」
「はいはい、お邪魔さんでしたねー。思う存分ラブラブしてちょうだいな」
茶化すように言うと、ひらひらと手を振ってはそこを去った。
はまだ赤い顔をしながら、しっかりとドアを閉めてしまう。
振り返ると、蔵馬にまたごめんねと申し訳なさそうに呟いた。
床に座り込みながら、蔵馬はくすくすと笑うのを止めることが出来ない。
「いや、圧巻だよね…同じ顔で、同じ声で喧嘩してるなんてさ」
「…そうかなぁ」
はテーブルにトレイを置いて、カップをひとつ蔵馬のほうへ差し出した。
「それでも、口喧嘩でさんには勝てないみたいだね」
「…そうなの」
は恥ずかしそうに下を向いた。
両手でティーカップを支えながら。
「私って小さいときからずっと人見知り激しくてね、引っ込みじあんでいじめられっ子でね…」
しゅんとうなだれた様子がまた可愛いんだけどとは、話題の内容的にもちょっと言えない蔵馬だ。
君のいいところならオレがいくつでも言えるよ、と口を挟みたいところだが。
ちゃんがいっつもかばってくれてたの」
「そんな感じだね」
想像がつくな、などと蔵馬は微笑む。
「高校はね、ちゃんは公立高校に行ってるの…」
「ああ、じゃあ学校が分かれたのは高校に入ってからだろうね」
はちいさく頷いた。
ちゃんは元気だし明るいし、すぐお友達が出来たんだけど…私ってやっぱりだめで、時間かかっちゃって…」
同じ顔をしているのにこんなにも違うと、はちょっと遠い目だ。
「あの、ね、蔵馬」
「うん?」
ちゃん、今日は意地悪で悪戯いっぱいしたけど、すっごくいい子なの」
真剣な目でまっすぐに蔵馬を見つめて、はそう言った。
「嫌いにならないでね」
「大丈夫だよ、の大事なお姉さんでしょ」
そう言うと、はまた恥ずかしそうに…それでも誇らしげにはっきりと頷いた。
これ以上ない信頼を持っている家族のはずだ。
たかだかひと月程度の付き合いの蔵馬に太刀打ちできる絆かというと微妙なところだが、
ちょっと羨ましくも、妬ましくもある。
(…オレの目の前で、こんな顔したことってなかったよな)
可愛くて仕方ない、それこそ目に入れても痛くないなんて本気で思えるような彼女。
どんな表情もどんな仕草も愛おしくて仕方ないけれど、
のことを話している今このときの顔がこれまででいちばん麗だと思った。
そのまま何気ない会話が続いて、その日は暮れた。
の母親が夕食を一緒にと誘うのを丁重に断って、まだ夕日が沈みきる前に蔵馬は家をあとにした。
まだ明るいからと言って、が駅まで見送りに出たいと着いてくる。
指先を繋いで歩きながら、ぽつりぽつりと言葉を交わす。
「安心したよ、これでも緊張していたほうだから」
「…そうなの? すっごく、余裕に見えるのに…」
蔵馬に悪印象を持つところなんてひとつもないとが言うのにちょっと引っかかりを感じる蔵馬だ。
さんにはあまり好かれていないみたいだけどね」
苦笑気味に言うと、そんなことはないとは必死で弁明をしようとする。
ちゃん、素直じゃないところもあるの、でもちょっとだけなの。
 蔵馬のこと嫌いなわけじゃないのよ、ただ………!」
続けようとする唇を奪った。
ちょっと触れるだけのキス。
離れてみると、何が起こったのかもよくわからないといった様子で呆然としている。
「…大丈夫だよ」
安心させなければと条件反射のように微笑んでみる蔵馬だが、はまだ半分くらい意識が飛んだまま戻ってこないらしい。
駅はもうすぐそこだ。
「見送りはここまででいいよ。…また明日、学校で…ね」
はなんだか切なそうに、恥ずかしそうに目を細める。
頬があかく染まっていく。
大丈夫かな、と少しは思いながらそれでも、蔵馬はもう一度優しく唇を重ねた。
繋いだままのの指先がかすかに震えている。
がゆっくりと瞼を伏せたのがわかった。
ゆっくり時間がかかってもいい、こうして距離が一歩ずつ縮まればそれでいいと蔵馬は思った。
唇と指先に感じるのぬくもりに、ただ愛おしさがこみ上げる。
そうして、二人といないはずの恋人を慈しむ蔵馬の姿を、端からじっと眺めている目があった。
誰よりも濃い血を分けた双子の妹を、少しずつ蹂躙していく奴がいる。
ちょっとが可愛くて大人しくて女の子らしいからって。
好きの裏返しでいじめるなんて矛盾は許さない、は私の妹、私が守るんだから。
あんたもそうなのと、あとから追いついてしまったは憎しみにも似た気持ちを抱いてそこに立っていた。
いじめるのではなく、優しく慈しみに満ちた仕草でにそっと触れる蔵馬の指に目を留める。
のことを心底大切に思う気持ちがにじみ出るようなその指先が、の心を絡め取る。
恋する気持ちがどんなものかをはそうして知ってしまった。
男と見れば怯えてに助けを請うてすがりついてきたが、今までに見たこともないような、
とろけそうに幸せそうな目で蔵馬を見つめ返している。
あいだに入ってを助けていたはずの自分なのに、確実にふたりのあいだに割り入る隙はない。
自分は邪魔者だ。
(なによ、なによ、あいつ…!!)
別れ際までにこにことして幸せそうな二人を離れた位置から睨みながら、
はものすごい勢いで考えを巡らせ始めていた。
どうしたら、あの二人の仲を引き裂くことができるのか?


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