お妃様のお着きです、と国王に伝えるのがの役目だった。
仲間たちの間にいて、自分の結婚式だというのに冷静そのものに見えた国王の表情ににわかに緊張が走る。
そして数瞬のちに、はにかんだようにちょっと笑って、ありがとうと言うのだった。
それを見たときには悟った。
ぜったいに、この恋は叶わないんだ、と。



政略結婚の王様とお姫様 other side



は代々王家に仕えてきた家系の末娘として生まれた。
祖父母、両親と同じようにも宮中に仕えるように教育を施された。
身分の違いによる細かな作法の違いを徹底的に仕込まれ、子どもたちが集まって庭で遊び回る間にも、
幼いとはいえ王子を間に交えれば一歩下がることを決して忘れない子どもだった。
当の王子は名を蔵馬といい、幼少時からその聡明さは大の大人を凌ぐほどと噂され、
歴史に類を見ない賢王となるだろうと期待を寄せられていた。
身分の高さとその類い希なる頭脳とを持ちながら彼自身は差別や争いを好まず、
が使用人ごときがと遠慮すると逆にすまなさそうに目を伏せるのだった。
隣国と戦争を繰り返す現国王を見て、彼は幼い頃から自分なりの帝王学を作り上げたようだった。
身分の差からのようにひたすら従う立場を貫こうとする思想が生まれる原因は、
そういう思想を許容する社会を作り出す支配者層に因るところも大きいと語ったとき、彼はわずかに十五歳。
信頼できる友人たちを動員して隣国に偵察に行くなどという破天荒もやってのけた。
帰国のあとに蔵馬の様子に変化が見られたことに気がついたのはだけのようだった。
敵国の王の娘に一目惚れしての帰国だったことを知ったのは、つい最近のことだった。
王位を継いで蔵馬が政治を執るようになってからというもの、
斬新な改革が繰り返されたことに対して古くから政治に携わってきた者たちの反発が度を増した。
隣国との和解の方法として彼が選んだのは自らの政略結婚という道だったが、
彼の妃となる姫君が初恋の相手である点では立派な恋愛結婚とも言えよう。
しかしこの結婚には最初から困難がつきまとっていた。
政略結婚という法策に反対する者たちが、花嫁の命までを狙い始める可能性が浮上した。
愛する女性をつらい目に遭わせたくないからと蔵馬が出した結論が、
ことがおさまるまでは自分と妻とは形式のみの夫婦であって間になんの関わりもない、
という態度を貫き演じ続けることだった。
そうして迎えた結婚式が今日──というわけだ。
姫君の到着を告げ、国王の控えの間から下がろうとしたは、当の蔵馬に呼び止められた。
…頼みがあるんだけど」
「はい。何なりとお申し付けくださいませ」
本当は早くこの場から消えてしまいたかったのだ。
自分がこの聡明な王に愛されるなどと、夢にすら見はしない。
身の程はわきまえているつもりだ。
けれど感情はそうはいかない…他の女性に想いを寄せる蔵馬を見ていたくなかった。
「なにがあるかもしれないから…信頼できる人にしか頼めないことだ」
「勿体ない御言葉でございます」
は居住まいを正した。
「彼女にも何人も侍女が着いてきていると思うけど、にも花嫁のそばについていて欲しいんだ…
 つまり、今日の儀式のあともずっと、王妃付の侍女のひとりとして」
侍女という言葉を使うのが嫌そうだった。
立場を表すその言葉を使うことで、幼い頃からの友人を差別したような気になるのが嫌なのだろう。
「今後ずっと…ということでございますか」
「うん…と、ぼたんと、あとは…」
蔵馬の面倒を幼い頃から見ている老嬢たちの名が挙げられた。
蔵馬自身が人となりをよく知っている者たちで王妃の周りはしっかりと守られることになる。
他の人には頼めないんだという言葉に、は折れるしかなかった。
「…では、姫君に御挨拶申し上げて参ります。そのあとは儀式までずっとおそばについて参ります」
「うん、ありがとう…助かるよ。にはいつも甘えてしまう」
そう言って蔵馬が浮かべた笑みは、その日初めて自身に向けられたものだった。
高鳴る鼓動を押さえつけ、は花嫁の控えの間に向かった。
慎重に慎重を重ねたような蔵馬の警戒は並大抵ではなかった。
花嫁の控えの間までは長い廊下が続いており、
時折ドアに阻まれて門番役の兵士たちと問答をしなければならなかった。
そうして十数分も歩いてやっと控えの間に到着する。
開かれた最後のドアの向こうは煌びやかで眩しい光に満ちており、
花嫁を美しく飾るための多くのものが雑多に散らかってもいた。
「国王陛下の命により王后陛下に御挨拶を申し上げに参りました。
 わたくしはと申します。
 本日の儀式からこれから先の生活のお世話をさせていただきます。
 何なりと御用をお申し付けくださいませ…」
お決まりの挨拶を告げるあいだからはずっと頭を下げ続けていた。
「どうぞ、お顔をお上げになってください」
ほそい女性らしい声が言った。
畏れながら、と口の中で呟いてからは顔を上げた。
少し先の椅子に座る花嫁は清楚な美しさが真珠のように輝いて見える女性だった。
自分よりもひとつは年下だろうかと思う。
さんと仰いましたね。私が連れてきた者たちもこの城には不慣れです。
 どうか御親切に御教授を賜りたく存じます」
王妃となる女性が使用人に聞くような口では決してなく、は驚いて目を見開いた。
「私自身ももちろん…その…ずっと国が分かれて争っていましたから…
 お友達がいるわけでもありませんし、仲良くしていただけたら嬉しいです」
気取ることなく姫君はそう言うとにっこりと微笑んだ。
隣り合い民族の血を分け合った国同士なのに数百年ものあいだ途絶えることのなかった戦争のために、
隣国の者たちは乱暴者の戦好き…といった先入観がにはあった。
しかしその国の王の一人娘がこのようなことを言えるなどと、は内心でまたざわざわと感情がわき起こるのを感じた。
この姫君にも私は敵わない…
なにが敵わないかと言えば身分でも、その容姿でもなかった。
最初からその条件だけで敵うわけのない相手とわかっている、憎らしい恋敵。
その恋敵を、はこの数分のやりとりだけでこの上なく好きになってしまっていた。
仕える側にも感情はある。
愛すべき主人像というものをなりに抱いていたが、私情さえなければはこの姫君に誠心誠意を尽くして仕えただろう。
まだ見ぬ夫にただ一条の望みを託しているこの姫君は、
政治的な事情のためにその夫にすら冷たい仕打ちを受けなければならない。
その未来を先に知らされているに蔵馬がいちばん望んでいるのは、きっとこの役目なのだ。
にとって気を許すことの出来る友人となること。
話し相手として、相談役として、そしてそれを蔵馬に知らせる役として。
それは、なんという残酷だろう。
そうしてすべてが丸くおさまったあとで、二人が結ばれるのをただ見ていなければならない。
祝福をありがとう、などという言葉を聞いて笑みを浮かべなければならないのだ。
(…いい…叶わない恋なのは最初からわかっていたもの)
は心を決めた。
自分の恋心は殺してしまっても構わない。
見知らぬ土地にひとり嫁いできて心細い花嫁についていてやろう。
世話を焼いて、話し相手になって、ときに遠慮のいらない友人のように振る舞って。
そうすることが蔵馬の心配や心労を取り除いてやることにも繋がるのだ。
は意識して口元に笑みを浮かべた。
「王后陛下、長旅お疲れさまでございました。
 なにかお飲物でも御用意いたしましょうか? 甘い菓子などもございますよ」
「さっき花茶を頂いたの…お気遣いありがとう。
 それより…まだ結婚の儀は始まってすらいないし…その呼び方はやめましょう、さん」
「いいえ、いくら陛下のお達しでも分相応というものがございます…どうか御容赦を」
花茶のグラスを姫君の手元に見つけながら、はまざまざと身分の差というものを感じ取っていた。
こんなにもその壁が高く思えたのは初めてだった。
ぼんやりと思考回路の巡るままに、は思わずうっとりとその花嫁衣装に視線を投げた。
姫君はそれに気付いたようで、控えめに微笑むと口を開く。
「…きれいな衣装ね。花嫁衣装はこちらでも用意していたのだけど、
 この衣装は蔵馬様が御用意してくださったものなのですって」
「準備は一年もの期間をかけて整えられました。すべて万端にございます。
 不躾に、申し訳ございません」
衣装をじろじろと眺めてしまった非礼をわびた。
「ううん、どうか気になさらないで。…花嫁衣装は女性のあこがれですものね」
姫君は手袋をはめた指先で、ヴェールの端をちょっとつまんで見せた。
「…さんは、おひとり? 私とそう年も違わないでしょう? 御結婚の御予定なんか、あるのかしら」
姫君の質問には凍り付いた。
周囲にいて話を聞いていた侍女たちが「まぁ、姫様」と姫君を窘める。
「…わたくしの心にございますのは、いつでも国王陛下御一家への忠誠のみでございます」
恋などしている暇はございません…すらすらと嘘が出た。
「…そう? あの…蔵馬様って、どんな方かしら…」
心配そうに姫君はそう言った。
「お優しいお方でございますよ。いつでも国王として人々を気遣うことをお忘れにはなりません。
 御友人もたくさんおられますし…博学でいらして、そこらの学者では太刀打ちできぬほどでございます」
「まぁ…そう…お噂だけはたくさん耳に入ってくるのだけど…」
姫君はまだ心配そうだった。
「王位を継がれてからは、国同士の争いをいかにおさめるかということに心を砕いておられます。
 それに…国中の御婦人が恋い焦がれるような大変見目麗しいお方です」
姫君はちょっと赤い顔をして、目をぱちくりとさせる。
婚約者でありながら、姫君は蔵馬の顔を知らないのだった。
「本当…? あの…他の女性と遊ばれるような方かしら…?」
「とんでもない」
「…私、好きになることができればいいけど…」
そう言ってほんの少し視線を落とす。
その口元には愛らしい笑みが浮かんでいた。
蔵馬がこの先、愛する妻に対してどのような態度をとり続けるつもりなのかはもわからない。
しかしきっと姫君はのちのちになって、が語った言葉は嘘だったと思うことだろう。
憎まれ役を買って出なければならない蔵馬の心中を思うと、もつらかった。
他の侍女たちが室内の片づけに忙しそうな中、はふと花茶のグラスに目を留めた。
あまり中身の減った様子はない。
「…花茶は香りがきつくはございませんか?
 よろしければ、もう少しさっぱりとしたものにお取り替え致しましょうか。
 冷たいレモン水などでは? ハーブ水も御用意できますが」
がよく気がつくことに姫君は少し驚いたようだった。
しばらくの顔をまっすぐに見つめていたが、ありがとう、と言うと微笑んだ。
「大丈夫です…きっとさんは、蔵馬様から揺るぎない信頼を得てらっしゃるのね」
「いいえ…至らぬことばかりで…」
「そんなことないわ…お話しさせていただいて気持ちもやわらぐし」
緊張していたのと呟いて、姫君はふっと苦しそうに息をついた。
きっとろくに食事もとれずにいるのだろう。
スケジュールの詰まり具合からしても、姫君の精神状態からしても、
しっかりと食事をとり身体を休めるという当たり前のことすらが難しそうだった。
そのフォローとケアをするのがのつとめとなるのだ。




※ここまで


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パラレル編『政略結婚の王様とお姫様』の番外編でした。
蔵馬にずっと片想いをしていた侍女の女性をヒロインに据えて、苦しい片想いを延々と書いていくという性格の悪いおはなしです。
本編がハッピーエンドなのでなおのこと悲恋が際立つだろうな、というのが表向きの計算で、その裏に
「蔵馬に恋するあまり・お姫様ヒロインに心惹かれるやら嫉妬するやら葛藤するあまり、お姫様ヒロインの暗殺に荷担してしまう」
という本当に性格の悪いラストを企んでいました。
本編のラストでお姫様ヒロインに刃を向けた侍女が、この番外編のヒロインなのです。
こういう裏展開をつくってみると、暗殺者となってしまった侍女ヒロインを切り捨てねばならない蔵馬の立場も実はつらかったなあ、
などとあとから思うところも出てきたりして、いろいろと再発見をお楽しみいただけたのではないかと、少々惜しみつつ。
ちゃんと書き上げてお目に書けることができればいちばんよかったのですが、とりあえずここまでです。