後編
幻海邸へ着くまでのあいだ、さきほどまでとはうってかわってぼんやりとしてしまったの様子が、
蔵馬には妙におかしかった。
けれどまぁ、笑ってしまうのは可哀相。
はなりに、真剣に蔵馬のことを想っているということだろうから。
たかだか占いの結果に気持ちを左右されてしまうなんてところが、やっぱり可愛いなと思えた。
女性陣四人はお互いの思惑をちゃんと知っているようで、奇妙な結束が見える。
落ち込んだ様子のを励ましたりしているが、本人はそれに逆に気遣って弱々しい笑みを浮かべたりする。
そんな様子がまた微笑ましいのだ。
幻海邸へやっと到着すると、すぐにバーベキュー大会の準備が進められる。
幻海師範はやるなら自分たちでやれと知らん顔だが、ちゃんと会場を提供してくれたりして、
けっこう若者たちとの交流を楽しんでいるようだ。
まず、力仕事は幽助と桑原の役目。
…というか、このあたりから大会らしくなってきて、彼らはあらゆる仕事を競いながらこなし始めた。
残りのメンバーで他の仕事を分担する。
仕切るのはぼたんだった。
「はい、んじゃ蔵馬、水汲み頼んでいい??」
残る力仕事は蔵馬に託されて、ポリタンクを手渡される。
樹海を少し行ったところにある泉の湧き水をわざわざ汲みに行くらしい。
「ちゃんもね」
「えっ?」
「だって、野菜切ったりなんて三人いれば充分ですよ」
「え、でも」
「いいからいいから」
「ま、待って…」
そのまま四人、顔をつきあわせてひそひそ話に突入する。
輪から取り残された蔵馬は一応わけのわからないという顔をしつつ待ってみるが、
申し訳ない、筒抜けだったりする。
(…異常聴力を恨むべきか…)
女の子同士の秘密の会話なのに。
三人がと蔵馬とをふたりきりにしてやろうという魂胆で先ほどの提案をしたのはみえみえ。
は「そんなことしなくていいったら!」などと真っ赤になって反論しているが多勢に無勢。
言い負かされてポリタンクを押しつけられてしまった。
「じゃ、いってらっしゃーい」
「ごゆっくりー」
はすごすごとタンクを抱いて蔵馬のそばまでやってくる。
(ごゆっくり、だって)
三人はにこにこと手を振ってくる。
その笑顔の裏に様々な策をめぐらしながら。
(恋する女の子もなかなか忙しいな…)
はちらりと目線を上げる。
申し訳なさそうな顔をして、聞き取れないほどちいさな声で。
「ごめんね、待たせて…」
「いいよ、じゃあ行こうか」
ふたりが連れだって樹海の奥に消えるのを見届けると、残る三人の策士たちはうふふと目配せして笑った。
樹海の中に人がよく行き来する道などないから、足元は荒れ放題だ。
「気をつけて、転ばないように」
蔵馬は少し先を歩きながら、ちゃんとを気遣ってくれる。
の持つポリタンクを引き受けようと手を伸ばすが、は大丈夫だと頑なに断ろうとする。
「…遠慮しないで?」
「ううん、本当に…」
は赤くなって俯いてしまって、いちいち言葉にも詰まってしまう。
好きな人の前で緊張してしまうタイプの子はたくさんいるだろうけれど、もそうなのだろう。
(占いの結果を気にする割には、あまり覚えていないんだろうか)
言葉を省くと、もしかすると誤解を生むかもしれないんだよ…
もちろん、盗み聞きしていたことを告げるつもりはないから、黙っているけれど。
魚座の結果もちゃんと覚えている。
根拠もはっきりしない、世界中の魚座に同じことを告げる占いを根っから信じるわけじゃない。
けれど、その言葉に背中を押されてみるのもいいかと思った。
「じゃあ」
タンクを持たずにあいた手を差し出してみる。
「転ぶと危ないからね」
はぽかんと蔵馬を見つめて、たぶん頭の中は真っ白だ。
…積極的なアプローチを。
蔵馬はの返事も行動も待たないで、の手を引いて歩き出した。
すべすべした肌が指先に心地良い。
華奢な手がかすかに震えたけれど、気づかないふりをした。
泉に着くまでの数分間、ふたりは無言で歩き続けた。
木々が途切れ、足場も少し落ち着いて、泉は澄んだ空気であたりを満たしていた。
もこのときばかりは緊張が解けたようで、蔵馬から指を離して泉に駆け寄った。
冷たい水に驚き、喜ぶ。
遊ぶの横で水を汲みながら、蔵馬は切り出した。
「…占いの結果を、気にしていたようだけど」
「えっ?」
唐突な投げかけに、は笑った顔を引きつらせる。
「…恋占いだったよね。好きな人がいるんだ?」
の意志による告白を待たずにその気持ちを知ってしまった蔵馬からすれば、
少し意地の悪い質問かもしれなかった。
知らないふりをしなければならないのも、時にはちょっとつらいものだ。
「え、…と」
もじもじして黙り込む。
蔵馬も黙って、の答えを待ってみる。
横たわる沈黙の上に、さらりとした風が吹いた。
「…蔵馬こそ、好きな人いるって…」
「うん」
「…」
「……」
「………」
「…………」
「……………なにか言って…」
「なにを? …気になるの? オレの好きな人のこと」
は気まずそうに目を伏せて、こくりと頷いた。
「うーんん…そうだなぁ」
水に満ちたタンクのふたをきっちりと閉めて、蔵馬はの持っていたほうのタンクも引き寄せた。
「…どんなひと?」
が問うてくる。
漂うの霊気はひどく不安定で頼りない。
いくら表情を取り繕ってみても纏う気に出るというのだから面倒だ。
「どんな…そう、なんて言うか」
が泣きそうな顔で見つめてくるのが蔵馬にもはっきりとわかったけれど、
わざと視線を合わせないようにつとめた。
「放っておけない人…かな」
はほっとしたような、もっと悲しいような表情を浮かべる。
恋する少女の心情は、とてもとても複雑なのだろう。
「いいな…」
「え?」
素直に「蔵馬の好きな人」をうらやむ言葉が、の口から漏れる。
「蔵馬にそんなに気にかけてもらえる人。いいな…」
うらやましい、と小声で言ったのも、蔵馬の耳にはきちんと届いた。
「…羨ましい、なんて…」
「えっ…」
聞こえていたとは思わないは弾かれたように顔を上げる。
「自惚れてしまうよ…いいの?」
蔵馬がちょっと困ったような顔で、を見返した。
はもちろん、一言すらも返せない。
ほんの数瞬、ふたりはただじっと見つめ合った。
タンクからごぼりという音がもれて、水があふれ出した。
蔵馬は気づいてタンクを引き上げ、少し水をこぼしてからふたを閉めた。
「…『必要な言葉を省くと誤解されやすい』だったっけ」
「え?」
「の占いの結果だよ。…オレの自惚れが、を困らせる誤解になってしまったら嫌だな…」
蔵馬は立ち上がり、両の手にずしりと重いタンクを提げて。
「…さ、戻ろうか。…なにもなかったような顔でね」
そう言ったきり、いつもと変わらない笑みを浮かべたまま歩き出す。
は呆然と立ち尽くしていた。
何度か口を開きかけて…ためらい、俯き、考え、…覚悟を決めて。
「蔵馬…!」
かなり先を歩き始めている蔵馬に駆け寄って、その背にすがりついた。
「え?」
ぶつかられた軽い衝撃で思わずタンクを持つ手を離してしまう。
背中にぶつかってきたを肩越しに認めると、柄にもなく顔が火照ってくることを知った。
「わ、私…!」
もう殆ど泣き出したような顔で、それでもは蔵馬から目をそらそうとしない。
(頑張れ、、…聞かせて…)
自分の内側で脈打つ音と一緒に、なぜだか放っておけない少女を支えたいような気持ちもわき上がる。
「私、あなたが好きです…!」
唇からの気持ちが溢れるのと同時に、その瞳から涙がつぎつぎこぼれ落ちた。
ああ、そんな君だから、本当に。
「…放っておけないんだよな…」
にきちんと向き直って、その涙を拭ってやる。
…今口づけたら、たぶん泣きやむどころの話じゃないだろうな。
では許容範囲でと、できるだけ優しく、の額にキスを落とした。
とたんにかぁっと真っ赤になって、は両手で顔を覆って俯いた。
「…ありがとう」
の耳元に唇を寄せて。
「嬉しいよ。…占いを信じて良かったかな…」
クスリと笑う蔵馬に、は不思議そうな目線だけ投げてよこす。
「『押し引きのバランスがポイント、意中の相手には告白のチャンス』ってね」
自惚れるなって本当に言われたらどうしようかと思ったよ、などと苦笑してみせる。
の気持ちは盗み聞きの段階で知ってしまっていたから、
そんな返事がくるわけがないとわかってはいたけれど…蔵馬だってちょっとくらい不安になることはある。
ぽんぽんとの背中を軽くたたくように抱きしめてやると、はちょっと落ち着いたような表情を見せた。
「…続きは、また今度」
「え…?」
はまだ赤い顔で蔵馬を見上げてくる。
「みんなが待っているから。今日は戻ろう」
から離れて、さっきとっさに落としてしまったタンクを持ち上げなおす。
「今度は、ふたりで逢おう? …指令もなにも関係なしでね」
「………!!」
は心底驚いて、立ち尽くした。
「ほら、行こう。…帰りは手を引いてあげられないからね」
蔵馬の両手はタンクとつながれているので。
はあわててその後を追った。
片方のタンクを一緒に持ち上げて歩く。
「…あ」
急になにかに気づいたように蔵馬が立ち止まってを見つめる。
はどぎまぎした様子で首を傾げるのみだ。
「言い忘れてたけど」
「…なに?」
蔵馬はふっと笑った。
「オレも君が好きです、」
さっきの会話は告白とは言えないよね、と呟いて、蔵馬はひとりでさっさと歩き出した。
は照れたり驚いたりするたびに立ち尽くして取り残されそうになる。
パニックに近い思考の中で、蔵馬の早足が照れ隠しだということには気づけない。
追って、追いついて、並んでまた歩く。
もう、目線で追いかけるだけの恋じゃない。
「…今度からはね」
蔵馬がぽつりと呟いた。
は彼を見やる。
「悪い占いは信じなくていいよ」
「…そうする…」
「悪い結果が出ていても、ちゃんとオレが裏切ってあげるから」
「……う、ん…」
はやっと、蔵馬の言葉に微笑めるくらい平静を取り戻したようだ。
「オレの言葉だけ信じて」
もうすぐ樹海も途切れて、仲間の賑やかな声が聞こえてくる。
ふたりでいる時間が途切れるのを惜しむように、蔵馬は一瞬、の唇を盗んだ。
「蔵馬っ…」
「『堪え忍ぶのが吉』。腐っても伝説の妖怪盗賊ですから」
今度はなにを盗もうか…覚悟しておいてね。
ぺろりと悪戯っぽく舌なめずりをしてみせる。
真っ赤になって怒るに苦笑しながら、
照れ屋のが仲間の前ではきっと何事もなかったように振る舞うことを予見して、
蔵馬は樹海のむこうへ逃げ出すのだった。
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