続・年下彼氏。 前編


その日、蔵馬は久々に幽助と桑原と学校帰りに会うことになっていた。

待ち合わせは街中の喫茶店だったのだが、蔵馬が店の前に着いたとき、

桑原は隣の本屋で雑誌を立ち読みしていた。

「やぁ、桑原君」

「お、蔵馬か。早ぇーな」

「そうかな?」

「高校生だろー? いろいろとやることもあるんじゃねーのか?」

「そんなことないよ。三年ともなると、受験に集中するようにってことで雑用はなくなるから」

「そんなもんか?」

「そんなもんだよ」

他愛ない会話の合間に、ふたりはこちらへ向かって歩いてくる幽助と螢子の姿を認めた。

なにやらまた痴話喧嘩の様子に見えるのだが、螢子が何か教え諭すように幽助に言いくるめたあと、

こちらに(多分蔵馬に向かって)ぺこりと頭を下げて、別の方向へ歩いていってしまった。

幽助は決まり悪そうに頭を掻きつつ、こちらへ向かってくる。

「悪ぃ、遅くなっちまって」

「いや、オレたちは構わないけど…よかったの? 螢子ちゃん」

「なにがだよ?」

「かーっ、これだもんなァ…女泣かせだぜまったくよ…」

雪村も苦労するぜ、なんて言われて、幽助はやっとハッとすると桑原にやり返す。

「まぁまぁ。でも、たまには螢子ちゃんにサービスしてあげないとね?」

蔵馬がそう言うと、幽助は一瞬きょとんとして。

次の瞬間、意味ありげににやぁ〜と笑う。

「そういうオメーこそ、彼女のひとりくらいいねーのかよ? なー、蔵馬」

「えっ?」

自分にそういうふうに矛先が巡ってくるとは思っていなかったらしく(蔵馬らしくもない)、

蔵馬は数瞬うろたえた。

幽助と桑原とが悟るにはそれで十分だ。

「あー!! テメー隠してやがったな、コノぉ!!」

「いや、隠すなんて、そういうつもりじゃ…」

「んで? どんな人なんだよ、オメーが惚れるくらいだから、よっぽど…」

なにが言いたいのか、幽助と桑原とはにたにたとした笑いを引っ込めることもなく。

「どんな人って、えーと…参ったな」

いつになく照れて困惑して、心底困った表情の蔵馬に新鮮な驚きを覚えつつ、

幽助と桑原は蔵馬の弱点を初めて見つけたことに悪戯心を覚えずにはいられない。

「…そうだな…なんか、こう…すごくしっかりしてるように見えるんだけど、

 なんとなく…放っておけないような人…」

「へぇーー!!」

ふたりは声をそろえてはやし立てた。

「きっと仕事とかいろいろつらいこともあると思うんだけど…文句も言わないで頑張ってる。

 …尊敬してるよ」

「へぇえーーーーーーーぇえー!?」

また声をそろえてへぇボタンを押すような仕草で騒ぎ立てたふたりは、ひとしきり叫んだあとはたと気付いた。

「仕事って?」

「ああ、社会人だから。…年上なんだ、彼女」

「ほぁあ!?」

開いた口が塞がらないとはこのことだろうかと、目の前のふたりを見て蔵馬はぼんやりと思った。

「と、年上っ!?」

「まじか!!?」

「本当だよ…」

そこまで驚かなくても、と蔵馬はちょっと呆れつつ。

「もういいでしょ、オレの話は」

無理矢理切り上げようとするが、ふたりの思考回路がしばらくそこから離れようもないことは明らかだ。

年上の、大人の女性というキィワードがでただけで、あらぬ想像をし始めているらしいことがよくわかった。

いつか彼らにも会わせたいと思ってはいたけれど、これでは想像していたタイミングと違いすぎる。

重いため息をついたところに、携帯電話の着信音が響く。

蔵馬の携帯電話だ。

「あ? なんだ、音変えたんか?」

なかなか鋭い記憶力の持ち主らしい、桑原は今までに聞いたことのある着信音ではないことに気付いた。

そのセリフに、蔵馬はなにも答えはせずにただ拗ねたような表情を向ける。

電話に出た。

「もしもし…さん?」

『秀一君?』

「どうかしたの?」

電話の相手は、蔵馬の恋い焦がれる相手、年上の彼女。

恋人からの電話だとすぐわかるよう、着信音を変えているのだということがふたりにしっかりバレてしまって、

自分の弱点が増えていくことに一抹の不安を覚える蔵馬だ。

『あのね、今日早めに仕事が終わりそうなの』

「え、本当?」

蔵馬の表情がぱっと明るく輝いた。

『うん、それでね、もしよかったら、うちに来ない? 夕食ご馳走してあげる』

ご馳走というほどのものは作れないけどという付け足しに、蔵馬は嬉しそうに首を振った。

電話を隔てての動作なんか見えるはずがないのに。

けれど、声だけはこれ以上なく嬉しそうだったから、機械を通していることなど関係なしに伝わるはずだ。

はにかんだような素直な笑みを浮かべて、今までに聞いたことのない優しい声色で話す蔵馬を見て、

幽助と桑原は呆気にとられていた。

恋の魔力とは恐ろしい。

夕方に待ち合わせする約束をして、蔵馬はやっと電話を切った。

瞬間、どしりと肩に重みがかかる。

何か言いたげに、幽助と桑原が蔵馬の肩に腕を載せつつ。

「ヨシ。奢れ。蔵馬」

「な、なんでオレが!?」

「いいじゃねーかよ、このっ、色男!!」

普段ならそろそろ魔界植物でもちらつかせてふたりを黙らせるところだろうが、今の蔵馬にはその余裕もない。

さんっていうのかぁ…夕方に待ち合わせだったよなー?」

「ぜってー彼女さん見てやっかんなー♪」

ふたりに両側から肩をつかまえられて、蔵馬はふらふらとしながら街中を歩かされる羽目になった。

その拘束と質問責めとが、夕方になるまで解けることがなかったのは…言うまでもない。



遠慮なくオーダーを繰り返された上にしっかりと奢らされてなお、蔵馬はまだふたりから解放されていなかった。

時刻は夕方、黄昏時の六時。

いつもなら平日も休日も残業ばかりでデートすらままならないが、今日は蔵馬を部屋に招待してくれた。

なるべくなら無粋な邪魔は欲しくないと願うところだが、幽助と桑原とはをひと目拝むまで離れる気はないらしい。

ため息も重く沈むようだけれど、それでももうすぐ、に逢える。

そう思うだけで、気持ちはひどく明るく晴れやかで、つらいわけでもないのに胸の奥にずきずきとした甘い痛みが走る。

隙あらばのことばかり考えている蔵馬にいちいち突っ込むのもそろそろ疲れてきた幽助と桑原は、

また幸せそうにぼんやりとし始めた蔵馬を眺めてはハァと息をつく。

待ち合わせは以前デートで来たことのある喫茶店で、夜もずっとオープン席を出しているカフェだ。

日傘の立っているオープン席の、向こうから3つ目のテーブルがのお気に入りだった。

「…もういいでしょ、帰ってくれないかな」

蔵馬は道の向こうにカフェが見えたところでふたりにそう急かしたのだが、当の本人たちはてこでも動く気配がない。

「…さんに断ってないんだけどなぁ」

きっと驚かせてしまうと、蔵馬は今から申し訳ない気持ちになってしまう。

「な、どれだ? カノジョさん」

こそこそと必要もなく隠れながら、幽助と桑原はカフェのオープン席を観察し始めた。

蔵馬は一息ついて、とうとう諦めた。

「…あの、左から3つ目の席にいる…」

「ああーー!!」

髪を綺麗に見苦しくなくまとめて、スーツを着こなしている。

コーヒーカップを片手に、もう片方の手で器用に文庫本のページをめくりつつ。

テーブルの上にはソーサーと、先程蔵馬と繋がっていたであろう携帯電話。

多分いつでも可愛い年下彼氏からの連絡に気付けるように、すぐ手の届く、目線の届く場所に置いているのだろう。

「…こうなったら、紹介するよ。一緒に来て」

蔵馬は半ば開き直って、の待つカフェへとすたすた歩き始めた…直後、ぴたりと歩みを止めてしまった。

に声をかける男がいたのだ。

(ナ、ナンパにあってる、カノジョさん!?)

幽助と桑原とは、蔵馬がどんな恐ろしい報復に出るかと生唾をのんだ。

恐る恐る、立ち止まってしまった蔵馬を見やると。

怒りに震えているのでもなく、妖狐化しそうな勢いでもなく…呆然として、ひどくショックを受けている様子だ。

唇をかみしめて、顔色が急に青ざめてすら見える。

ふたりがまたカフェのほうへ目線を戻すと、どうもナンパではないらしいことがうかがえた。

知り合いらしく、慣れた様子で言葉を交わす。

男はそのままの向かいの席に座り込んで、なにやら話し込み始めた。

ウェイターがオーダーをとりにきたが、男はそれを断った。

同僚だろうか、は鞄から書類を取り出して、ふたりでそれを見ながら何か話している。

同じ書類を一緒に眺めるのに、男はのほうへ肩を寄せる格好になる。

蔵馬はそれを見て不機嫌も不機嫌、恐ろしく不機嫌な妖気をあらわにする。

そしてなにを思ったか、すごい勢いでまたカフェのほうへと歩き出した。

「おっ、オイ、蔵馬…」

幽助と桑原は慌てふためいてそのあとを追う。

蔵馬が声をかける前に、は彼が近寄ってくるのに気付いたらしい。

書類をテーブルに置いて、にっこりと手を振ってきた。

蔵馬もそれに、遠慮がちに手を振り返す。

後ろからこそこそと着いてくるふたりと、の隣に座る男を気にしているのだ。

「秀一君、ゴメンね、急に電話して。忙しくなかった?」

「いえ、大丈夫です。…電話、嬉しかったから」

「そう? よかった」

はそう言って安心したように笑った。

「こちらは?」

男がに問うた。

「弟さん?」

その言葉に震え上がったのは、やっと追いついた幽助と桑原のふたりだ。

蔵馬がブチ切れて妖狐化して、手のつけられないほど暴れても仕方ないくらいにはツボを突いたセリフだ。

が、実際に蔵馬は切れることもなく、きわめて冷静でいるよう必死になっているらしかった。

の恋人はあくまでも秀一で、蔵馬ではないから。

事情を知らないの前で、簡単に本性をあらわすわけにはいかなかった。

「失礼なこと言わないでください」

機嫌を損ねた様子で立ち上がったのはだった。

「彼と待ち合わせているから、って言ったじゃないですか」

は蔵馬の横に立つと、その腕に自分の腕を絡めてみせる。

「彼氏、って…高校生じゃない」

苦笑する男に、は一瞥をくれると。

「邪魔しないでくださいます? 久しぶりのデートなんだから。ねぇ、秀一君?」

「え? …ええ」

蔵馬はそう答えるのがやっとのようだった。

「まったく、面白い人だな、さんは。じゃ、明日、会社でね」

そう言うと、男は見世物でも見るような目線を一瞬蔵馬に投げかけて、さっさとそこを立ち去った。

しばらくして、は煮えくり返った感情を爆発させるようにまくし立てた。

「ああ、もう、腹が立つったらーーーーーー!! なんなのよ一体、会社でも外でもネチネチネチネチ…!!」

さん」

「ごめんね秀一君、嫌な思いさせちゃって…あれ、会社の上司なの」

が以前からこういった言葉のセクハラに悩まされていた上司なのだが、

心配をかけまいとして蔵馬に話すことはしていなかったのだ。

「秀一君と待ち合わせているからって、そう言ったんだけど…帰ってくれなくて。本当に、ごめんね」

心底すまなさそうに謝るに、蔵馬はおもむろに抱きついた。

「…っ…秀一君??」

の肩に額を預けながら、油断すれば泣きそうになってしまうのを蔵馬は必死にこらえていた。

「…好きで年下に生まれたんじゃない…」

苦しそうに一言絞り出された声は少しかすれていて。

じろじろと不躾な視線を無遠慮に投げかけてくる通行人たちをは目線で一蹴すると、

今しがたのやりとりでこれ以上なく傷ついてしまった恋人を、優しく抱きしめ返した。

「…ごめんね、秀一君」

蔵馬はまだ顔を上げることも出来ずにいた。

弱々しくて頼りない妖気がふわりと幽助と桑原のそばまで漂ってくる。

あんな蔵馬を見たことなど、勿論一度もなかった。

さっきまでふたりで散々蔵馬をからかったことにすら罪悪感が芽生えてくる。

「ごめんね、秀一君。…でもね、私は今のままの秀一君だって大好きよ」

の言葉に、蔵馬はほんの少し身じろぎする。

「年齢の差に問題がある? 年下でも高校生でも、秀一君は私の大切な彼だもの。

 年齢のコンプレックスなんか忘れるくらい、秀一君のいいところ、私たくさん知ってるわ」

蔵馬はやっと顔を上げた。

それでも表情はこの上なくつらそうだ。

「全部教えてあげようか。一晩はかかっちゃうかな?」

細い指で蔵馬の両の頬を優しく撫でながら、は聖母のような微笑みを向けた。

それでやっと、蔵馬の表情もやわらいだ。

「…大丈夫だよ、…ちょっと…つらかったけど」

「ごめんね、本当に…今度から待ち合わせは、会社から離れたところにしようね」

そう言って、はぽんぽんと蔵馬の頭を撫でる。

(うわー、本物だ…)

(お狐様が手懐けられてらァ…)

まだちろちろと奇異な目線をふたりに向ける通行人の更に向こう側で、

幽助と桑原はぽかんとその様子に見入っていた。

「…前に話した幽助と桑原君とが、なりゆきで着いてきてるんだけど」

「…え?」

「…オレとしても不本意なタイミングなんだけど…」

そう言って、まだ多少つらそうな、そして不満そうな目を背後に向ける。

そこに、典型的な不良少年がふたり、ちょっとかしこまった顔つきで立っていた。

「やだぁ、言ってくれれば…」

「…だって、オレにもそんなつもりなかったから」

ごめんなさいと、蔵馬はすまなさそうにに頭を下げた。

「あ、いいの、…ちょっと、恥ずかしくて」

は苦笑した。

「紹介してくれるんでしょう?」

「…うん、さんが嫌じゃなければ」

「嫌だなんて。どうして」

「…まださっきのが引っかかってるから。…年下の彼氏って、恥ずかしいかな」

「まさか、秀一君はどこに出しても恥ずかしくない彼氏だもの」

は満足そうに笑って見せた。

「恥ずかしいんじゃなくて、照れるのね。どうしよう〜」

両頬に手を当ててきょろきょろする

幽助と桑原とは手招きされてやっとふたりに近寄るタイミングを掴むことが出来た。

「どうも、初めまして。といいます」

やや緊張気味に、は明らかに子供といえる年齢のふたりに丁寧に礼をする。

幽助と桑原もいつもよりずいぶん改まった様子なのが可笑しかった。

「悪りーな、蔵馬…オレらはこれで帰るからよ」

邪魔したなと言うと、ふたりはそそくさと背を向ける。

その背を蔵馬は呼び止めた。

「ふたりとも、悪かったね…変なところ見せちゃって。また改めて、埋め合わせするよ」

「いーからいーから。カノジョさんと仲良くしろよ〜」

「…もちろん」

やっと蔵馬らしい答えが返ってきて、幽助と桑原はそれでどうにか安心して帰路につくことができたのだった。



close    next→