元カノのキモチ。


私の元カレは、遊びでしか女と付き合うことがない。

とりあえず、気持ちよくなれればそれでいいらしかった。

だからかどうか、エッチはあってもキスがないのだ。

それでもそうやって割り切っていれば彼女の座に居座ることはできる、

それに気付いてから私は見事に割り切った。

奴が欲しいと言ったら与えることにした。

私からはなにも求めないことにした。

そうしたら、表向きものすごくうまくいっているカレカノになった。

そうしてしばらく私と奴の関係は続いたけれど、長持ちはするわけがない。

奴はそういう裏の顔を持っているくせにどこかはばかみたいに純粋で、

結局、惚れられずにはいられない。

本物の恋愛になったら、私は奴にとってはお荷物だから。

そうして今、奴は私のクラスメイトで、私の元カレになった。

つまりは、つかず離れずだ。

「今、付き合ってるコいるの?」

興味本位を装って、何気ない振りをして聞いてみた。

「今? …うん、まぁ」

宿題を解く手を休めず、目線をこっちにも寄越さずに奴は言った。

放課後の教室、人はまばら。

「ふーん…」

「いないの?」

「私?」

「そう」

「いないよ。あんた以来御無沙汰」

「そう。それはそれは」

苦笑しながら、それでもやっぱり奴はこっちを見ない、この野郎。

ちょっと嫌味っぽく言ってやったのもこれじゃただの空振りじゃないか。

こいつはたぶん、嫌味に気付いて知らぬ振りをして通り過ぎてくれやがったのだ。

盟王高校始まって以来の秀才ふた柱、

そのうちの一人ともなれば元カノの嫌味ひとつかわすのなんて大した苦労じゃないだろう。

「どんなコ?」

「可愛い子」

即答かよ。

だんだん腹が立ってきたけど、それを顔に出したら負けの色が濃くなってしまう。

平静を装っておけ、奴をいい気にさせたら悔しい。

「よっぽどイイんだ、」

「何の話?」

奴はやっと顔を上げた。

意味ありげな笑みを浮かべて。

とりあえず奴の興味を私との会話に惹きつけることには成功した。

その証拠に、奴の指先は計算途中の簡単な掛け算を間違えている。

「あんたのことだから、

 ヤッてる最中も可愛いその子をさんざんいじめて何度もイカせて泣かせるんだ、きっと」

「…酔ってる?」

「ウーロン茶で酔えるか」

「…何もないよ」

奴はまた、目線を問題に戻した。

間違えた掛け算に気付かずに、やりかけの計算の続きに取りかかる。

「何もないって、なにが」

「彼女とはまだ、何もないよ」

冷静そうに言った。

まるでいつもどおりに。

内心どれくらい動揺しているんだろう、そういえばこいつの慌てた顔なんて見たことないな。

「それはまた慎重なことで」

「そう」

大事なんだ、と奴は呟いた。

大事なんだ、だって?

この私を目の前にしてよくも言えたもんだ。

こいつはこういうところがめちゃくちゃに残酷で冷酷だ。

──オレにとっての君は、もう過去なんだ

簡単に言ってくれやがったってわけ、傷つかないよう遠回しにオブラートにくるんで、

まぁ御丁寧にどうも。

「写メとかないの? 見てみたい」

そう言うと、奴はしばらく黙って永遠に終わらない計算に立ち向かっていたけれど、

どこかで道を間違ったらしいことにやっと気付いて携帯電話を取り出した。

見せられた画像は、清純派アイドルなどとサムいキャッチを銘打ってテレビに出られそうな女の子だった。

なんだよ、まじで可愛いじゃん。

確かに、こんな子を押し倒すにはある意味勇気がいるよな。

突っ込んだらヨゴレそうって、思うもん。

「真面目にレンアイしてるってわけ?」

「そう」

携帯をひったくられた。

ノートやら教科書やらを片付けだす。

邪魔くさい、鬱陶しいなと言いたげに見えたけれど、彼女と待ち合わせているんだと奴は言った。

「どこで?」

「駅」

「じゃあ、私の帰り道だ」

「………」

「私も帰ろうかなぁあ」

わざとらしくそう言ってちらりと横目で奴を眺めると、なんとも形容しがたい顔をしている。

まぁ、着いてくるのは遠慮して欲しいと言いたげだ。

そんな顔をされて、誰が遠慮すると思ってんだよ。

別に、今カノに会って何かしようとか、意地悪言ってやろうとか思ってるわけじゃないよ、

そこまでひねくれてなんかないよ。

たださ。

私だって真面目にレンアイしてるんだから。

相手が私を好きになってくれてないだけなんだから。

片想いだって恋愛なんだから。

好きな奴が大事にしてる子をひと目見てみたいって思っただけだよ。

私と何が違うのかを知りたいだけだよ。

その子の何があんたを引っ張るのか、知りたいだけだよ。

まだセックスもしてない相手が、なんで私より大事にされているのかを。

夕闇に暮れた街はそれだけで寂しくて切ない気持ちを盛り上げてくれる。

余計なお世話だよ、くそ。

駅前通りに辿り着いて、駅の入り口付近が見渡せる。

山のように違法駐車された自転車の向こう側に、違う学校の制服を着た女の子がひとり立っている。

遠目で私には判別できないけど、あの子がそうだということはわかった。

「…カノジョ、名前なんて言うの?」

「…

「ふーん。なんて呼んでるの?」

「名前で」

「名前で、なんて?」

「…、って」

おまえね。

今までさんざん遊んできた「名目上カノジョ」を名前で呼び捨てたことなんかないだろ。

ムカつく、ムカつく、ムカつく、

妬く権利なんて私にはないよ、

そんなものもあんたは全部奪ってしまった。

そのあとで私は知らしめられたんだ。

まだ、南野のこと、好きだよ───

、ごめん、待たせたね」

第一声でカノジョの名前を呼んだ。

それだけでチクリと心臓に針が突き立てられる。

「蔵馬…あ?」

奴に気付いたカノジョは、奴のことを…クラマと呼んだ。

きょとんとした、でも訝しげな目線が私に更に突き刺さる。

奴は私のことをこれ以上なく簡単に紹介したあとで、クラスメイトだよと付け足した。

そう、「ただの」クラスメイト、それ以上でも以下でもないよ、今はね。

今は、心配はいらないよ、南野はあんたに骨抜きにされてるっぽいから。

でも私はあんたにひとつだけ勝てることがある、まだあんたが手に入れてない南野を私は持ってる。

優しいカレシに、気が狂いそうなほど突かれたことなんてまだないんでしょ?

何度となくイカされて最後には気を失うなんて経験も。

私は対等だよ、今はまだあんたに完膚無きまでにやられたなんて思わなくても大丈夫なはずだよ、

それなのにどうしてこんなに焦っているの。

私もわかっているからだ/
わかりたくない

カラダだけ繋がることが大事なんじゃない/
セックスすることはいちばん好きだってことでしょ

南野の気持ちはみんなこの子に傾いてる/
まだ一度だって抱かれたこともないくせに

思考の混沌の前で私は何事もなかったかのように笑った。

カノジョは引きつった笑みを浮かべて、一歩奴のそばに寄った。

警戒されてるみたいだ。

女の勘が働いたんでしょ、私の彼とこの人、ただのクラスメイトじゃないんだって。

南野、覚えとけ。

女はあんたが思ってるほど簡単じゃない、どこで掛け算間違うかわかんないんだよ。

意地悪い笑みが浮かぶのがわかる、まるで性格悪い女じゃん、私。

客観的に自分を見れば、ただの悪あがきだな。

カノジョは不愉快そうなのを隠そうとしてるけど、隠れてないよ。

拗ねたように唇を噛みしめて、私を凝視してる(一般的に言えばニラんでるってやつ)。

品定めするようにカノジョを眺めたあと、笑った私は絶対優越感に満ちた顔をしてた。

カノジョはいきなり、南野の腕に抱きついた。

「どうしたの?」

呑気だな、オイ。

大事なカノジョなんだろ。

元カノと引きあわせるのを許すってこと自体どうかしてる。

私に嘘ついてもカノジョは守ってやれよ。

「もう行こう、いっぱい待ったんだよ」

「そうか、ごめんね」

南野はちいさいカノジョを見下ろして、優しくにっこり笑った。

こいつのこんな顔、見たことない。

私がカノジョだったときも、こんなふうに笑ってくれたことなんてない。

きっと、私がカノジョだったときに、今の私と同じように妬いた女はいないだろう。

…それって、付き合ってたって言えないんじゃん。

「じゃあ、行こうか」

南野はカノジョの手を取った。

手を繋ぐとか、キスするとか、セックスじゃなく抱きしめるとか、そういうのは私にはなかった。

最初から最後まで私の片想いなんだ?

そう、そう、そういうこと。

南野とカノジョの行き先は、私の帰り道とは逆向きのホームだった。

線路を挟んで、向こう側で並んでベンチに座ってるふたりが見える。

見ないように気をつけた、のどが詰まって窒息しそうだ。

指を絡めたままでカノジョは俯いてつま先を見ていて、南野はカノジョの様子を気にしてる。

何か話しかけては黙り込み、また話しかける。

そんなに気を使うもんなの、本命のカノジョって。

きっと、私のことを言い訳してるに違いない。

あの焦った顔。

ちょっと、いい気味。

そう思ってすぐにその気持ちを押し込めた、今日の私は本気で性格悪い。

惚れた相手が大事にしてる人がいるなら、うまくいくように願えばいい。

好きな人が幸せになってくれることが自分にとっての幸せ。

一般論は簡単にそう言うけど、それができれば人間苦労なんてしないんだ。

苦い恋愛なんて生まれずに済むし、私も呼吸困難に陥ったりしない。

電車が私を迎えにホームに滑り込んできて、向こう側にいるふたりとのあいだを遮った。

よかった。

一日はこれで終わる。

電車に乗り込んで、空いた席がないからデッキに立つ。

空間が隔離されてやっと安心できたのに、窓からふと外を覗き込んだのは間違いだった。

カノジョの腕が南野の首に抱きついたのが鮮やかに目に入る。

そのまま南野はカノジョに引き寄せられて、キスをさせられるような格好になる。

南野はこれまででいちばん驚いた顔をしてる。

たぶん、私が見てることをあのコは知ってる。

知らなくても、見ていて欲しいと思って見せつけている。

南野が認めた今のカノジョ、元カノの私が敗北宣言せざるを得ないように

「大事なんだ」と紹介したカノジョが。

取るに足りない、敵にもなり得ない私に嫉妬してるんだ。

大事にされてるのに、大事すぎて汚すこともできないくらい南野が惚れ込んでる恋人なのに、

あのコは私をめちゃくちゃに意識してる。

南野は私のなのって、見せつけて勝ちを得ようとしてる。

だとしたら、あんたの思惑は大当たりだよ。

私はあんたには勝てないよ。

元カノだもん。

本当の片想いから彼女に昇格して別れた今も、私はずっと片想いのままだもん。

あんたが得られたものを、私はひとつも、ひとかけらだって手に入れてないんだから。

どこまで奪えば気が済むの。

胸の奥で想うことも許してはくれないの。

そんなことを微塵も感じさせないで、

最後までクラスメイトの顔をしているつもりなのに、それでもダメなの。

わかりたくないことほど頭の中に言葉になって残る。

私はもう、南野の人生に関わりある人間じゃない。

その他大勢の、すれ違って終わりの人間なんだ。

私は泣いた、別れ話の時だって笑ってやったのに泣いた。

他の乗客がこっちを見てるのもわかったけど涙は止まらなかった。

好きだったのに。

好きすぎて自分の好きの気持ちを犠牲にできるくらい好きだったのに。

南野が私のことを好きじゃなくても大丈夫なんて言葉で誤魔化せていたくらい好きだったのに。

電車がホームを出て、少しずつ加速して駅から離れていく。

まるで皮肉みたいに距離が広がる。

そのうち南野とカノジョがもっと仲良くなって、

いつかセックスすることもあるんだろう、そうしたら。

そのときは絶対、奴は私を攻めたみたいな抱き方はしないはずだ。

髪を撫でる指先ひとつ震えるくらいかもしれない。

奴が絶対私に開かなかった純粋な部分の心を、その時はカノジョに向けて思い切り広げるんだ。

いくら頑張っても南野が絶対私に注いでくれなかった愛情ってやつを、カノジョは受け止めるんだ。

南野は元カレで、私は元カノで、それはお互い過去の人間になり合ったってことでしょ。

そうして前を向いたらそこにあるはずの今に、私はまだあんたのことを見てる。

まだ好きだよ、南野、この恋はひとり、現在進行形のまま。

叶わないことがわかってていくらでも夢を見る、甘美で気持ちよくて何度でもイキそうだよ。

あんたも私もカノジョもきっと忘れちゃったら楽だろうと思ったあとで、

忘れたくなくてまた涙にくれる、

元カノのキモチは元カノ本人の私にだって、複雑すぎてわからない。



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