長の年月 01


「…あれ…………?」

魔界の森の奥深く、今は住む者のない絶えた集落の跡地を訪れた幽助。

そこではかつての仲間が恋人とふたり、慎ましやかな暮らしを送っている。

魔界・霊界・人間界を巻き込みかけた魔界統一トーナメントから、もう何十年と経ったろうか。

それからずっと、数年おきにトーナメントは行われ続けてきた。

つい先日、十数回めのトーナメント戦が終了したばかりで、幽助は何度めかの大統領の地位についた。

とはいえ、難しい政治の話など彼にはまだまだよくわからない。

そこで、彼の知る限り最高の知略知慮を持つ友人を訪ねてきたのだ。

「おーいっ、ー!」

こぎれいに整えた小さな庭と、可愛らしい佇まいの家。

そのそばで、洗濯物を干している若い女性の姿が見える。

幽助はその背にもう一度呼びかける。

!! なぁ、聞こえねーのかー?」

さすがに気付いたようで、女性はくるりと彼の方に向き直る。

瞬間。



ぞく、…と、彼の背筋を何かが舐めた。



身震いするような凍り付く一瞬、その違和感はなんだったろうか。

女性は張り付いたような無表情であったが、幽助の姿を認めると花のように微笑んだ。

緊迫感がゆるりと溶ける。

「幽助」

「よぉ、久しぶり…蔵馬、いるか?」

その女性…に歩み寄ると、物干し竿の向こうの家の扉が開かれた。

「幽助? どうしたんだ、急に」

家の中から何事かと顔を出した声の主は、彼のよく知る相変わらずの麗しい姿だ。

「あ、蔵馬…悪ィな、いきなり押し掛けて」

幽助はすまなそうに頭をかいた。

「いや、気にしないよ。

 用件は何となくわかってる…大統領に就いたそうだね?」

「ああ」

幽助は苦笑する。

蔵馬には大抵のことはお見通し、それは今も昔も変わらないのだ。

蔵馬は幽助を家へ招き入れると、洗濯物を干し終えたに優しく声をかける。

もおいで。お茶の時間にしよう」

幽助が蔵馬との二人に会ったのは、前回の魔界大統領選抜トーナメント以来、数年ぶりだ。

そのときは幽助も蔵馬も大統領の地位を逃したのだが、参加者の殆どはそれを副賞程度にしか思っていない。

それはそれ、と皆が全力で戦えたことに満足して、また次のトーナメントで会おうと約束をした。

しかし、蔵馬だけがその約束を反故にした。

彼は今回のトーナメントへは現れなかったのだ。

コーヒーと、が焼いたらしいケーキを振る舞われ、幽助は久々に顔を合わせるふたりとしっかりうちとけた。

ほんの数年会わない程度で揺らぐ関係ではないことはもちろんだが。

しばらく世間話とトーナメントの話題が続いたが、話がとぎれたところで幽助が問うた。

「よォ、蔵馬…」

「うん?」

「なんで今回、出なかったんだ? トーナメント」

「…ちょっとね。いろいろあって」

蔵馬はいつものポーカーフェイスで言葉を濁す。

自分のことはいつでも悟られてしまうというのに、彼のことは雲をつかむよう。

幽助はそのことにいつも少しばつの悪い思いをしている。

が自分用の紅茶の葉を替えにキッチンへ戻ると、幽助は身をかがめて小声で聞いてみる。

「…のこと、か?」

蔵馬は少し遠いところへ目線を泳がせた。

「…まぁ、そういうこと」

人間界で生まれて人間界で育った、は普通の女の子だ。

愛する蔵馬が(本人の意向とはいえ)血を流すところを見て、平静でなどいられない。

数回目のトーナメントに彼が参加したとき、は初めて蔵馬が戦うところを見たのだが、

そのときは観客席でくらりと失神してしまった。

邪眼でそれを見つけた飛影が舌打ちをしつつ、を医務室まで運んだというエピソード付きだ。

それ以来、蔵馬が戦闘に参加するという話を耳にすれば、涙目で「お願いだからやめて」と懇願するようになった。

潤んだ目で見つめられれば、蔵馬でなくとも言うことを聞いてしまいそうになる。

どうにかして誤魔化し誤魔化し、これまで蔵馬の助力を仰いできたのだ。

そんな様を十数年に渡って見続けてくれば、蔵馬がトーナメントに参加しなかった理由もわかってくる。

「…ところで、幽助の用件だけどね」

「あ、う…」

「幹部は誰が?」

「あー…いつものメンバー。って言ったら、わかるだろ?」

「ああ、…いつもの、ね」

蔵馬はゆったりと笑うとコーヒーをひと口。

「何となくわかるよ。…まとまりのなさそうな…」

「ああー…そうなんだよなぁ。オレがまとめようったってよ、どうせ乱闘になるに決まってんだ」

幽助はぷいと怒り顔だ。

「はは。まぁ、丁度いいんじゃないのか? 

デスクに向かって書類とにらめっこなんて、あのメンバーの中で似合う奴はいないよ」

「だから! …頼む、この通りっ」

パンと手を合わせて、幽助は蔵馬に頭を下げる。

「本拠地はこれまで通り癌陀羅なんだ。蔵馬、オメーしかいねーんだ! 一緒に来てくれっ」

なおも低姿勢の幽助。

そこへ、熱い紅茶の入ったポットを持って、がひたひたと歩いてくる。

「そうは言われても、ね」

蔵馬が渋る様子を見せると、幽助は「頼むって!」と勢いよく体を起こす。

「!! きゃ…」

幽助の唐突な動きに驚いたが、びくりと跳ね上がった拍子にポットをひっくり返す。

「! !!」

コーヒーがこぼれるのもかまわず、蔵馬は乱暴にカップを置いて恋人のそばへ駆け寄る。

熱い紅茶はの腕をびっしょりと濡らした。

白くきめ細やかな肌が、見る間に赤く染まってゆく。

「…!! 悪いっ…」

幽助もあわてて駆け寄ったが、は呆然と真っ赤になった自分の腕を見つめているばかりだ。

「冷やさないと…! 、ほら立って…」

蔵馬が半ば抱え上げるようにしてを立たせ、キッチンの方へとあわただしく戻ってゆく。

やがて、ざぁ、と水の流れる音が聞こえだした。

が蔵馬にぽつりとつぶやく。

「…私、大丈夫よ」

「大丈夫じゃない、気を付けないと…」

「大丈夫よ。わかっているでしょ」

「…大丈夫じゃ、ないんだ…」

蔵馬の声は悲痛そうだ。

「わりぃ…、大丈夫か? おどかしちまって…」

心底すまなそうな顔で、幽助がキッチンへ現れた、が、

蔵馬がをきつく抱きしめているシーンに出くわしてしまって極端に焦った。

「っ…お前らなぁっ…」

「え?」

蔵馬は辛そうな顔をふと幽助に向けた。

「昔っからそうだったけどよ、人の目の前でもかまわずイチャイチャしやがって…!!」

「…いや、ごめん…」

毒舌二倍盛りくらいの台詞が返ってくることを予想していた幽助だが、

あまり素直に謝られてしまって今度は拍子抜けしてしまう。

蔵馬はかまわずに向き直った。

は流水で腕を冷やし続けながら、抱きしめてくる蔵馬の肩に頭をあずける。

「些細なことにも、気を付けてほしいとあれほど言ったじゃないか…」

「…ゴメンナサイ」

「君がいなくなったら、オレは…」

幽助は蔵馬の言いようにくらりと力が抜けるのを感じた。

そこまで言うか!? 

いくら人間が脆いからといって、ポットの湯をひっくり返したくらいで死んでたまるかってんだ!!

どうも昔から、それこそ蔵馬もも人間界で暮らしていた頃から、このやりとりの甘さが苦手な幽助だ。

仙水との戦いのあと、街で偶然蔵馬とに出会った、それが最初だ。

「彼女なんだ」、と控えめにを紹介した蔵馬が、

これまでに見たこともないような優しく幸せそうな目をしていたことを、十年以上たった今でもよく覚えている。

数百年を魔界で生きただろうあやかしが、

たかだか十数歳の人間の女の子に本気で恋をするなんて思えなかった。

けれど若かりし日の二人の、人目もはばからないラブラブっぷりは目も当てられないほどだった。

蔵馬がここまで豹変するとはと、仲間内でずいぶん話題になったものだ。

「ああ、あのさ、オレ、帰るわ」

懐かしい光景に、これもまた懐かしい胸焼けを覚えて、幽助はそそくさと背を向ける。

「ああ…悪かったね、幽助…」

せっかく来てくれたのに、と蔵馬はちょっと残念そうな顔だ。

「…考えといてくれな。癌陀羅ではもういろいろ始まってっけど、いつでも歓迎すっからよ」

幽助もちょっと残念ではあったのだが、万年ラブラブカップルにこれ以上付き合うのは厳しかった。

「ああ、考えておくよ。…また、ね」

蔵馬は名残惜しそうにから離れて、幽助を見送りに家の外までやってきた。

「…たまに、こっちにも遊びに来いよ。こんな田舎でよ、だって退屈しねーか?」

「退屈、は…ないと思うけどね。そうだな、たまにみんなに会うのもいいかもしれないね」

「だろ? 国が整ってた場所の方が暮らすのには便利だし」

「まぁ、ね。けど、…オレとには、ここがちょうどいいんだよ」

「…そうか?」

突然、ごう、と渦を巻いて風が吹きすぎた。

「………が……っているからね」

「…あ?」

耳元で風が鳴って、蔵馬の言葉は幽助によく届かない。

「…またね、って」

「あ、ああ…またな。に、悪かったって言っといてくれよ」

「ああ。…なら大丈夫だよ」

先ほどの様子とは打って変わって安心しきった顔でそう言う。

ほんのわずかずつではあるが、久しぶりに会った二人に感じた違和感が幽助の脳裏をちらちらとかすめる。

手を降り続ける蔵馬の姿が森の木々の向こうに見えなくなっても、

幽助はその薄ら寒いなにかを拭いきることはできなかった。




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