3月14日 気持ちを託すもの


結局何をどうするとも決まらないまま、蔵馬はの家へと向かっていた。

いつも通り一緒にいるのが一番という言葉には納得がいく。

何となく申し訳ない気持ちになるのだけはどうしようもないのだが。

歩いていると、携帯電話の振動がメールの着信を知らせた。

からメールが届いている。

【お買い物でちょっとおうちを出るから、私がいなくても上がってていいからね(^^)/】

これはどうも、の部屋でを出迎えるということになりそうだ。

それにしても、出かけるのに上がって待っていていいとはつまり、部屋に鍵をかけずに出るつもりなのか?

それとも、蔵馬なら簡単に鍵を開けることができるだろうという考えからだろうか。

(そりゃ、鍵を開けるのくらいは大したことはないけど)

自分の気持ちとしては、恋人の部屋の鍵をこじ開けて不法侵入などしたくはない。

手の上で植物の種を転がす。

ちょっと気を込めれば、簡単に芽吹いてするすると蔓が伸びた。

(…結局)

手の上の植物を眺めながら思う。

(いくら強くなろうと、オレにできることってこんなものなんだよな)

息をついて、蔵馬は気持ちを新たにの部屋を目指して歩き出した。



一方そのころ、切らしたコーヒーだの菓子だのを調達しに、は近所のコンビニエンス・ストアへやってきていた。

本当は蔵馬を迎えがてら一緒に出かけてもよかったのだが、初詣の日にそのコンビニを訪れて以来、

蔵馬はなぜか気分を害して二度と来たくないなどと呟いていた。

それがにでれでれと見とれている男性店員のせいとは知る由もなく。

どんな些細なことでも、面白くないこととは出会わない方がいい。

それで、蔵馬にはそうと知らせずに部屋を出たのだった。

ホワイトデーのお返しにと、綺麗にラッピングされた包みが並んでいるコーナーがある。

誰に贈るでもなく、何となく手に取りたくなってしまうのは女の性というやつだろうか。

そういえば蔵馬は、何を返そうかとずいぶん気をもんでいたようだった。

(…そんなに気遣わなくてもいいのに、ねぇ)

を喜ばせたい一心で考えを巡らす蔵馬の姿は、想像するだけでおかしくなってしまう。

何かしてくれようとする気持ちはもちろん嬉しいけれど、やっぱり一緒にいられるのが一番嬉しい。

蔵馬もちゃんとわかってくれてはいると思うけどと、はクスッと笑ってしまう。

(彼女思いの男の子も、たーいへん)

その正体が伝説にまでなった極悪盗賊のお狐様だというのが、またおかしい。

妖狐姿の彼とは実はあまり面識がないのだけれど、研ぎ澄まされた凛とした印象が、

普段の蔵馬とはやはり違って見えた。

同じ人だというのに、まったく違う人のようで。

(蔵馬のこと、もっといっぱい知りたい! …っていうのでもいいんだけど…)

せっかく蔵馬が悩み抜いてくれたのだから、

彼が仕組みたがっていることがあるとしたらそれに素直に乗ってあげよう。

蔵馬はもうの部屋に着いている頃だろう。

早く帰ろう、きっと待っているから。

は急いで会計を済ませると、早足でコンビニをあとにした。

そもそも蔵馬はのお客さんだというのに、部屋に勝手に上がって待っていてねなんて失礼すぎる。

帰ったらまずそのことを謝らなくちゃとは思う。

それから、ほとんど毎日会っているけど、会いたかったことを伝えよう。

そして、それから…?

言いたいことはたくさんあるけれど、

そばにくっついていると言葉にしなくても気持ちが空気に溶けてわかってしまう気がして、

実際に言うということは少ないかもしれない。

今日は伝えたいことをみんな言葉にするんだと決めて、は肩で息をしながら自分の部屋へ駆け込んだ。

「蔵馬、ただいま! 来てるよね!」

返事はない。

「…あれ、まだいないの…?」

玄関に靴はある。

気分を損ねてしまったかしらとどきりとしながら、急いで靴を脱いで部屋に駆け込む。

「くら……あれ?」

「………あ。」

リビングのソファの陰、玄関からはちょうど隠れて見えない位置の床に蔵馬は座り込んでいた。

その足元に、これでもかというほどとりどりの花があふれ返っている。

「…おかえり」

「た、ただいま。なにやってんの?」

いたずらを見つかって叱られている子供のように縮こまって、蔵馬はじっとを見上げている。

狐の耳がついていたら、間違いなくぺこんとへたれていただろう。

硬直したその手から、また新たに花が生まれては床に落ち、を繰り返す。

「いや、いろいろ考えたんだけど結局思いつかなくてこういうことに…」

ソファの周りを、足の踏み場もないほどに埋め尽くす花の山。

バラもあればチューリップもあれば、他にもガーベラやアルストロメリア、ミニひまわり、かすみ草、

フリージア、スイートピー、大輪の百合、もうありとあらゆる花が所狭しと散らばっている。

名前もわからないような花も、花屋には絶対に置いていなさそうな小さな野花も混じっている。

「…女の子へのプレゼントに花っていうのもありがちが過ぎるんだけどさ」

蔵馬は拗ねたような顔でふっと目線をそらしてしまった。

はしばらくその様子をぽかんと眺めていたが、おかしくてふっと苦笑する。

「ううん、嬉しい! ありがとう蔵馬!」

「…そう? なんか…納得行かないな」

「そんなことない、すっごい嬉しい」

蔵馬は花を踏まないように立ち上がると、ソファの上へと避難した。

ソファの背を挟んでと向き合う格好になる。

「…チョコレートのお返し」

「うん」

少しすまなさそうな様子で笑う蔵馬に、は満面の笑みを返す。

蔵馬が差し出した手の上から、何かがまた芽吹いての目の前で急速に育ってゆく。

やがてつぼみが膨らんで、魔法のように花びらが開く。

初々しい紅色のバラの花だ。

「…ありがとう、

「どういたしまして!」

目の前で開いた一輪の花をそっと受け取って、ははにかんだように目を伏せた。

「…やっぱりさ、女の子のほうが似合うよね、花とか」

「そう? でも、バラって何となく気取った感じが…」

「言ったな…?」

「あ、そういう意味じゃなくって…」

あははと誤魔化し笑いのだ。

まぁいいやと、蔵馬は床中に散らばった花を拾い集める。

すべて集まると、腕からもこぼれ落ちそうなほどの花束が出来上がった。

「すごーい」

「それでは改めまして」

花束贈呈。

の両腕では抱えきるのが難しい、とりどりの花たち。

一番蔵馬らしいといえば蔵馬らしいプレゼントかもしれない。

「…しまったなぁ」

「え?」

両腕いっぱいの花束を必死で抱えるは、花びらの向こうから背伸びでもするように蔵馬を見つめる。

「喜んでもらえたのはいいとしても」

「うん、なに?」

蔵馬はぶすっとふてくされたような顔をした。

「…抱きしめるのが難しいな」

「え、えーと?」

なにせ、の両腕は今、蔵馬からの贈り物を抱きしめるので精一杯なので。

「出しすぎたかな…失敗した」

「…自分で出したお花にまで妬かなくても」

「好きで妬いてるんじゃないけどね…自分だってたまにばかみたいだなと思って恥ずかしくなるよ」

花びらの向こうに埋もれかけた恋人に、キスをするのも今は困難だ。

「…じゃあ、後ろ向いて? 

「え」

何か企んでいるでしょと、訝しげな目線が蔵馬に飛んでくる。

「もちろん。今日は後ろ抱っこで我慢するってことで」

ほらほらと腕を広げられると、今のにはなすすべもない。

それに、を喜ばせるためだけに十日以上も考え込んだ蔵馬に、

ちょっとくらいのご褒美はあってもいいかもしれない。

赤くなった頬を花びらで隠しながら、はおずおずと後ろを向いた。

蔵馬の腕がを捕まえて、抱き寄せてくる。

「…大好きだよ、

耳元に寄せられた唇がそう囁いた。

ハスキーな声にぼんやりうっとりとしそうになりながらも、は平静な意識を保とうとつとめた。

の肩口に頭を預けて、蔵馬はリラックスした様子で目を閉じている。

その姿がひどく可愛らしく思えて、も安心して蔵馬に身体を預ける。

蔵馬はふっと目を上げると、を見て照れたように微笑んだ。

どちらからともなく、唇を重ねる。

「やっぱりね、一緒に過ごせるのが一番嬉しい」

「…そうだね」

「来年も一緒に、ね? こんなに悩まなくてもいいからね」

「はい」

蔵馬は苦笑しながら、またの唇にキスを繰り返した。

恋人を慈しむ気持ちの端で、そういえばみんなはうまくいったのかななどと余計なことも考える。

気持ちを贈る日までの数日間、悩みに悩んでけっこう苦しめられたけれど。

でも、ずっとのことだけを考えていられたんだと思えば、そう悪いものでもなかったかもしれない。

「あ、あのね、蔵馬」

「うん?」

「今日はね、思ったこと全部口に出して言うって決めたの」

「うん」

「好き」

「…………」

「大好き。…なんか言って」

「…ストレートだね」

蔵馬が嬉しそうに笑うのを見て、もまた花がほころぶように笑う。

抱きしめた花束も色褪せるくらい、自身が咲き誇る花のように蔵馬には見えた。

(絶対に戦いには使えない花だな)

そんなことを思って、蔵馬はひとり、クスリと笑う。

大切に守るから、腕の中でずっと咲いていて欲しいと蔵馬は願った。

「…なに笑ってんの?」

「別に」

「??」

家族や仲間への気持ちとは別に、とびきり大切に思っている人がいる。

けれど、とりあえず本人には、もう少し内緒にしておこう。

不思議そうな顔をしているを誤魔化すように、蔵馬はまた何度もに優しいキスを繰り返したのだった。



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