蔵馬さんの困った数日


3月3日の蔵馬とのメール

蔵馬【そういえば、今月はホワイトデーだけど。何しようか?】

【別にいいよ、気を使わないで(^^)一緒に過ごせたらそれだけで嬉しいもん】

蔵馬【でもはいろいろしてくれたし、オレの気が済まない】

【そういうとこ頑固だよね、蔵馬って(^^;)気にしなくてもいいのに〜。

  でもバレンタインはチョコって決まってるけど、ホワイトデーってなにするんだろうね】

蔵馬【なんだろうね。オレも知らないな…調べてみるよ。ところで、頑固って?】

【失言…ゴメンナサイm(_ _)mでもホントに気にしなくてもいいんだよ〜?】

蔵馬【気になるってば(笑)。楽しみにしててね】

【はーい。楽しみにしてマス。…会えるんだよね、14日】

蔵馬【それはもちろん。のために予定をあけてあるよ】

【よかったー。でも蔵馬、毎年大変そう…いっぱいもらうでしょ、チョコ】

蔵馬【からだけだって、何回言ったらわかってくれるの? それともわざとやってるのかな?】

【わざとなんかじゃありませんよーだ。フンだ。モテる彼氏を持つと大変なんだからね!!】


「…御機嫌を損ねちゃったかな?」

携帯電話のディスプレイを眺めながら、蔵馬はふぅとため息をついた。

そっぽを向いてしまうの姿が目に浮かぶ。

こうしてはいられないと、蔵馬はコートを羽織って夜の中に飛び出しましたとさ。



3月4日 蔵馬さんぐぐる

蔵馬はネット上にいた。

とりあえず大手検索サイトに飛んで、検索ワード「ホワイトデー」で探してみる。

スポンサーサイトがいくつかと、他にもいろいろな関連サイト名がずらりと並んだ。

その文字の羅列だけでそこそこ情報は得られてしまうほどだ。

「ホワイトデーはキャンディーを贈る日」

(…本当か?)

多少疑念に駆られつつ、蔵馬は画面をスクロールしてなにとはなしに画面を眺め続けた。

チョコレートのお返しだからだろうか、菓子やスウィーツという文字も多く見られる。

他にもブランドやらアクセサリーやら香水やら。

ピンとくるものが見えてこない。

バレンタインデーにしろホワイトデーにしろ、要は菓子業界の戦略だろうと言ってしまえばそれまでだ。

由来がなんであれ、気持ちを伝えるきっかけになるのならそれはそれでいいんじゃないかと思った。

(…気持ちか、まぁそうだろうな)

贈るものはなんだっていいはずなのだ。

(あまり堅苦しく考える必要もないか…)

それにしてもと、画面を見ながら蔵馬はため息をついた。

気持ちを贈る日にかこつけて、あちこちの業界がそれとなく高い買い物を推奨する日になっていないか?

本当に大切なものはなんだろうと考えながら、蔵馬はウィンドウを閉じた。



3月5日徒然

「へー。アメなのか」

「そうらしいね」

幽助と桑原に昨日の調査結果を話す蔵馬。

喫茶店にいて、三人はがやってくるのを待っている。

「君たちももらったんでしょ、チョコレート。何を返すの?」

「…考えてなかったな…」

ふたりはうーん、と考え込んでしまった。

喫茶店の窓越しに、が走って来て手を振るのが見えた。

「ごめんね、遅くなって」

幽助と桑原がなにやら考え込んでいるのを見て、は不思議そうに首を傾げた。

「ホワイトデーに何を贈るかって話」

「そんな深刻になることないじゃん」

「でもね、バレンタインはとりあえずチョコレートって決まっているけど。

 ホワイトデーにはこれといった決まりってないような気がするし」

オレも迷ってるんだよと蔵馬は苦笑した。

「…そもそもね、男の子ってホワイトデーの存在忘れてること多いじゃない」

はふくれ気味にそう言った。

「友達の彼氏もみーんな忘れちゃうって言ってたよ」

「まーな…バレンタインほど行事らしくねーからな」

しかし今回は愛する雪菜さんのため、桑原は14日の計画を練り上げるつもりでいるらしい。

「女の子のほうが行事とかイベントとか記念日とか…そういうのが好きなんだろうね」

「そういう根本的な違い? それにしても忘れるってひどくない?」

は恨みがましい目線を蔵馬にちらりと寄越す。

「忘れてないよ、安心して」

「…別にいいけど。プレゼントが欲しくてしつこく言ってるわけじゃないし」

何をしようかって聞いてくれるだけで嬉しいから。

はそう言って、メニューに視線を落とした。

さりげない仕草のひとつひとつが愛おしい、なぜだろう?

頬がゆるむのを誤魔化すように、冷めかけたブラックコーヒーを口にする蔵馬だった。



3月6日魔界行き

なぜそういうことになったのか蔵馬には知る由もないのだが、

バレンタインには雪菜からわざわざ飛影にチョコレートが贈られたのだそうだ。

次元を越えてまでの贈り物に、一体どんな気持ちが込められていたのだろう。

(逆に大した意味はなかったりして…?)

雪菜にもなんとなく天然が入ったところがあったりするし。

それでいて鋭いところも内側に秘めている。

どことなく掴み所がないように思えるのが、ふたりに共通しているところかもしれない。

やっぱり兄妹なのかと思った。

「…雪菜ちゃんにお返ししないんですか」

「何がだ」

「チョコレート」

「?」

「もらったんでしょう」

「…人間界の遊びに乗ってみただけだろう」

「そうですか? オレはそうは思いませんけど」

飛影は不愉快そうに眉をひそめた。

それが、露呈したくない感情を誤魔化しているサインだということは、蔵馬にもそろそろわかる。

「ちゃんとお返しする日っていうのがあるんですよ。あと10日…きりましたね」

「くだらん」

「チョコレートに込められた感情がなんであれ」

遮るように、蔵馬は言った。

「彼女も少なからず、あなたのことを想っているんですよ」

そう言うと、近づいた躯の妖気に遠慮するように立ち上がる。

「魔界にもバレンタインデーとホワイトデーとがあれば、なにか変化があったかもしれませんね」

拗ねたような顔で目線を背けた飛影がちょっとおかしくて、蔵馬はクスリと笑いを漏らした。

そうして、躯が現れる前に百足をするりとあとにした。



3月7日雨の日と月曜日

一日中あたたかい日で、そろそろ春かなとやっと思った。

通学路に並ぶ桜並木はどの枝もまだ裸のままだけれど、これが芽吹いて花が咲くとそれはもう見事なのだ。

夜のあいだに冷えた空気がいま水滴になって、枝からしたたり落ちる。

木が泣いているような、雨が降っているような不思議な光景だ。

桜には思い出があるし、春は嫌いじゃない。

花が咲いたら、みんなで見に来るのもいいかもしれない。

は桜は好きだろうか?

桜の花が風に舞う中に、彼女が背を向けて立っているのが見える気がした。

(…背を向けて? 嫌なシチュエーションじゃないか)

こっちを向いていてくれなくちゃと思って、ふいに不機嫌になる。

雨の日と月曜日は…なんて歌が、そういえばあった。

どっちも憂鬱という内容だったような…うろ覚えだ。

どんな憂鬱な日でも、が傍らにいるだけで忘れられない一日にだってなるだろうと蔵馬は思う。

そうやって気が付けばいつも頭の中でを追っている。

強かろうと策略を巡らすに長けようと、絶対に蔵馬が勝てない相手のひとり。

(…思ったより…やられてるかな、参った)

内心で素直に負けを認めると、急に、逢いたい気持ちがこみ上げた。

約束も何もしていないけれど、いても立ってもいられない。

は今、どこで何をしているだろう?

考えながら、蔵馬はとにかくがむしゃらに走り出そうとしていた。

今はまだ眠る桜並木が、彼の背を沈黙のままに見送った。



3月8日学校帰り

手を繋いで仲良く歩く蔵馬ととの目は、何気なくだがホワイトデーという文字に吸い寄せられる。

「すっごい気にしてるでしょ」

「うーん…魔界にはこういう習慣はなかったし。彼女がいるのも初めてだし」

「………へー。」

「…なに? その反応は」

「蔵馬から彼女がいるの初めてとか言われても、説得力なーい」

「そんないかにも女たらしみたいな言い方を…」

「違うの?」

「違うって」

「嘘ぉ」

「信用ないな」

「だって今日もね、学校の前まで迎えに来てくれたでしょ?」

「うん」

「窓からみーんなチラチラ蔵馬のこと盗み見て」

「…ああ、成程つまり」

「なに?」

「やきもちだ?」

「ち! 違います!!」

真っ赤になって怒るに、苦笑を隠せない蔵馬。

すたすた歩いていってしまう彼女を、蔵馬は微笑ましい気持ちで追いかけるのだった。



3月9日卒業式

一年上の卒業生たちを見送る日だ。

とは言っても、特別な感慨はない。

部活の先輩がいる程度で、特に知り合いはいないわけだから。

だるくて眠い儀式の進行をやり過ごせば、在校生としての仕事は終わる。

午前中で解放されるはずだから、今日は帰ってからゆっくりできるかな。

春らしいうららかな天気だ。

こんな日には戦いのことなんてなにも考えたくない、面倒くさい。

あくびをかみ殺して、壇上で泣きながら卒業証書を受け取る生徒を眺めた。

式が終わって、帰り際。

とっくに学校を去っているはずの卒業生たちが、まだ玄関に残っている。

名残を惜しんでいるのかなと何気なくそばを通り過ぎようとする。

…女子生徒ばかりのようだが。

「あっ、見つけた! 南野君!!」

「え?」

…嫌な予感がする。

こういうときは、逃げるが勝ちだ。

全力疾走で突っ込んでこようとする彼女らにくるりと背を向けて、蔵馬はすたこらさっさと逃げ出した。

耳に入ってくる言葉を聞くうちに、ボタンがほしいとか勢いあまった告白だとかが目的とわかる。

(冗談じゃない、がいるんだから)

彼女がいるんですと言っても聞く耳持たずといった様子の先輩たちを撒くので手一杯。

のんびりと過ごすはずの午後はそうして食いつぶされてしまった。



3月10日の蔵馬との電話

蔵馬「ねぇ、本当になにがいいんだろう?」

『やだ、まだ悩んでんの? そんな深刻にならなくてもいいんだったら』

蔵馬「気持ちの問題でしょ? 何かしたいよ」

『気持ちの問題だから何もしなくてもいいって言えるのになぁ』

蔵馬「いろいろ考えたんだけどね」

『お楽しみにしておくから。でも、蔵馬ってあんまりプレゼントとか悩まなさそう』

蔵馬「そんなことないよ。どうしたらが喜んでくれるかなって、いつも考えてるよ」

『…また、そんなこと言って』

蔵馬「あはは。照れてるでしょ」

『うっさいからもう! 何で平気なの〜?』

蔵馬「何でだろうね? 照れてないわけでもないんだけどね」

『絶対嘘! 友達もみんな言ってるもん、彼氏そんなこと言わないって』

蔵馬「へぇ? そうなんだ。世の中の男性諸君はもっと女性を気遣うべきだよね」

『蔵馬のはたまに行き過ぎなの!』

蔵馬「そんなことないって。可愛いから可愛いって言うし、好きだから好きって言うんだよ」

『もぉ!!』

蔵馬「怒るところも可愛いよ。そんなところも全部好きだよ」

『…糠に釘ってこういうことね』

蔵馬「何も言わないよりもいいでしょ?」

『う…まぁ、ね…』

蔵馬「…好きだよ」

『………ハイ』

携帯電話の向こうでがどんな顔をしているかが容易に想像できて、

蔵馬は思わずクスリと笑いを漏らした。



3月11日後日談

「ホワイトデーの話題ばっかりだったけど、三月ってひな祭りもあるんだよね」

「うん、うち飾ったよ」

ストローで氷をつついて遊びながら、はそう答える。

卒業式が終わると在校生たちも暇になってくる。

たまたま午前放課の日が重なったために、ふたりは待ち合わせて適当なファースト・フード店に入ったところだった。

「飾ったの?」

「うん。さすがに七段とか八段とかじゃないけど」

「…うちは男しかいないしなぁ」

「あんまりなじみないでしょ」

「ないね」

「お母さんとか持ってなかったの?」

「見たことないけど。祖父母の家にならあるのかな」

「ふーん」

「アレってしまうの遅れるとお嫁に行けないとかそういう話があるでしょ」

「あるある。でもいつしまったら遅れないですんだってことになるの?」

「…さぁ。ただでさえオレはなじみがないから」

わかりません、と蔵馬はコーヒーを口に含む。

「今年は四日にしまったよ」

「…遅れてる気がするね」

「するね」

「やっぱり三日の夜にしまうのかな?」

「うーん? でも、私あんまりそういうこと気にしてないから」

「まぁね。しまうのが遅くても、そもそも飾らなくても結婚する人はするだろうし」

「うん、そうだけど」

「…まだ何かあるの?」

はやっと氷をつついて遊ぶ手を休めて、意味ありげな目線で蔵馬を見上げる。

「もらってくれる人いるから」

「…………」

不意打ちの逆プロポーズともとれる言葉に、珍しく蔵馬が硬直した。

「やった、今日は私の勝ちじゃない、コレ?」

「…やられた」

心底悔しい気持ちと照れと嬉しさとが混在する複雑な心境で、蔵馬はがくんと俯いた。

「ああなんか、今すっごいいい気分…! お茶おごってあげよっか」

「…それは、どうも」

苦笑しながら顔を上げる。

なんだかんだ言いつつ、は蔵馬の感情まで入り込んでくる天才だ。



3月11日家族会議

「秀兄ぃはホワイトデー毎年大変でしょ」

義弟は無邪気そうにそんなことを聞いてくる。

「そんなことないけど」

押しつけられるだけのチョコレートは、誰からの贈り物かもわからないことがある。

絶対数が多すぎてひとりで全部に返すのは不可能に近いし、何より逆に誠意がない気がする。

その気もないのにここでまで愛想良くする必要はないと思っていた。

「今年のほうが大変かも」

さんでしょ」

「そう」

「返す相手がひとりでいいのに大変なの?」

「…何をしたら喜んでくれるのかなぁとね」

ずっと考えているけれど、いまだに思いつかない。

気持ちを託すのにふさわしいもの。

なんだっては喜んでくれるとは思うけれど。

「秀は誰かいないの?」

「え、い、いないよ…」

うろたえた義弟にも、想う相手くらいはいるらしい。

キッチンで夕食の支度をしている母親に何気なく問うてみる。

「母さんは、どんなもの貰ったら嬉しい?」

「あら…なぁに、ホワイトデーに?」

「そう。義父さんからとか」

「そう、ねぇ…」

包丁を動かす手を休めて、なにやら考え込んでいる。

「あんまり思いつかないわ。でも、一緒にいつも通りに過ごせるのが一番いいかもしれないわね…」

(…いつも通りに、ねぇ)

「…秀兄ぃとさんのいつも通りって、どんな?」

義弟はごくごく普通に、何気なくそう聞いたのだが。

蔵馬は黙り込んでちらりと目線だけを義弟に返す。

「…聞きたい?」

「え、えーと」

「いいよ、とっくり語って聞かせてもオレはまったく構わないけど。

 多分聞いてる方が恥ずかしくなるくらいめちゃくちゃにノロけるけどそれでも秀は聞きたい?」

では遠慮なくと蔵馬が身を乗り出そうとしたのに、義弟は慌てて立ち上がると自室へと逃げ出した。

苦笑する蔵馬に、背後から母の鶴の一声。

「…母さんはちょっと興味あるわ」

言うまでもなく、次に自室へと逃げを決め込んだのは蔵馬のほうだった。



3月12日夜明け前

なんだか奇妙に、意識が冴え冴えとして眠れなかった。

不安定な状態にまた近づきつつある。

開け放たれた窓から入ってくる冷気が、容赦なく肌を刺す。

それも今はあまり気にかからなかった。

ため息をついて俯けば、頬にかかるのは銀の髪。

獣の耳と尾が、月明かりを受けて妖しく輝いている。

今が夜中でよかった、と蔵馬は思う。

誰もが混乱してしまうだろう、彼の真実を知ったら。

完全なる妖怪としての自分が今ここにいるというのに、

思考だけは変わりなく人間である家族や周りの人々を気にかけている。

それが人間界に暮らすうちに訪れた変化なのだとしたら、それも悪いとは思わない。

魔界にいてがむしゃらにただ生き急いでいた頃とはずいぶん変わったのだろう。

他人に対する思いも、自分に対する考え方も。

…たとえば、女ひとりの愛し方も。

魔界時代に心底愛した女性がいたかどうかは、自分でもはっきりとわからないほどだ。

何もかもが遊びの延長だったかもしれない。

今は生きることも愛することも遊びではあり得ない。

だから苦しくなることがある。

あやかしである自分の本性に慣れていないはずの、恋人のことを想うと。

「秀一」と「蔵馬」、どちらも自分で、両方がのことを愛している、それには変わりがないというのに。

昔よりもはるかに強大な力を手に入れて、恐れるものは減ったはずだ。

それなのに、内心にひた走る焦燥、このジレンマ。

吐いた息も白く凍るような夜の寒空、夜明け前。



3月13日カウントダウン

(ああ、結局何も考えついてないし)

(どうしよう)

(気がついたら前日だし)

(腹を括ろうにも本当に何も考えつかないし)

(そんなに気構えする必要がないのもわかってるんだけど)

(今更何かしようにも時間がないんじゃないかな)

(とりあえず明日はの家に行くことにはなってるけど)

(どうしよう)

(気持ちとは言っても)

(なんだかなぁ)

ひとり悶々とする蔵馬。

とりとめのない思考ばかりが積み重なっては崩れて消える。

が嬉しそうに微笑む顔だけは目の前にちらちらとかすめるというのに。

その表情が見たいだけで、それだけでこんなに何日もかけて悩む自分がいるとはお笑いだ。

「はは」

つい乾いた笑いが漏れた。

今の自分は端から見ればひどく気味の悪い奴だろうなと思いながら、

周囲に誰もいない自室にこもって、何をするでもなく考えにふけっている。

(…まぁいい)

(明日だ、明日)

(…なんとかなるさ。)

計算高いと恐れられた彼だが、そもそも計算を組むことすらできない状態に陥ると急に捨て身になったりする。

14日まで、あと三時間。




そして当日…

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