拝啓、六月の花嫁 −前編−


目を覚まし、起きあがる、隣で眠る彼女を起こさないように。

太陽のような色の髪がシーツの上にこぼれ、日に灼けた肌を惜しげなくさらして。

ブランケットを掛けてやって、気付かれないようそっとベッドを抜け出した。

魔界の朝は暗い気がする、気のせいだろうか?

簡単にシャワーを浴びたあと、部屋へ戻ってくると彼女はまだ眠っている。

纏う妖気がちょっと揺らいでいるので、目覚めは近いようだけれど。

今日は用事があるから、彼女の遊び相手はしてあげられない。

正確には、今日含め先一週間ほど。

人間界に帰らなくてはならない。

お転婆で幼くて本能に忠実、そんな彼女をおいてお守り役のオレがいなくなったら、

周りの世話係たちは苦労するだろうな。

クスリと笑いを漏らした。

寝ても覚めても、獣に属する妖怪の彼女は元気を持て余しているから、

昨夜も大人しく組み伏せるまでにかなり骨を折った。

噛みつかれた腕に跡が残っている、これは人間界では隠し通さないとね。

たぶんまわりの誰もが認めている、公認の恋人同士というやつなのだろうけれど、

魔界ではその境界とか、そういうものが少し曖昧な気がする。

自分がどっちに属する生き物なのか、そろそろわからないのでなんとも言えないけれど。

昨夜のうちにきちんと自分でアイロンをあてておいたシャツのうち一枚を着こむ

(彼女はこういう世話は焼いてくれない)。

やがて一分の隙も見えない青年実業家がそこに現れる、まるで魔界には似つかわしくない様子だが。

「どこ行くの」

振り返ると、彼女はもうぱっちりと目を開けてじっとオレを見ていた。

「一週間ほど留守にするよ、人間界で大事な用があるので」

「あたしと遊ぶのとどっちが大事なの」

うーん。

その手の質問に男は弱いと言うけれどね。

「ごめんね、帰ってきたら嫌ってほど遊んであげるから」

「蔵馬のばか! あほ!! とんちんかん!! ひとでなし!!!」

「人でなしは、否定しません」

まぁたしかに人間じゃないからと屁理屈にも似た言葉で彼女をかわして、部屋を出ようとする。

彼女はまだ拗ねた顔でがばりと起きあがると、裸のままでつかつかと歩いてきて背中に抱きついた。

…もうちょっと胸があったらイイ感じなんだけどなぁ。

と思ったのは内緒で。

これは彼女にとっても最近コンプレックスらしいから。

最近というのはまぁ、オレと関係を持つようになってから、という意味。

「どこに行くの」

「人間界だって」

「なにしに行くの」

「用事を片付けに」

「用事ってなに」

「えーとね…わかるかな」

魔界では馴染みのないことだと思う…一度言葉を切ると、わからないわけがないなんて強がり。

そんなに頑張っちゃうことないのに、こういうところが可愛い人なんだよな。

「ケッコンシキに出るんだ。」

「………なにそれ」

いきなりの前言撤回。

自分の言葉に露ほどの責任も持たない、この好い加減さも彼女らしいと言えばそうだ。

「好きあった男女が、みんなの前で、お互いを一生大事にしていきますって誓う、そういう儀式」

魔界式にはそれで十分だ。

「…そんなことのどこに意味があるの」

「人間には大事なことなの。証が必要なんだよ」

「あたしは蔵馬が好きよ。これ以上の証がどこにあるの」

直球ストレート、苦笑するよりほかないけれど、確かに誓いも何も、

最初にいちばん大切なのはこの意思表示なのだ。

「いい子にしておいで、お土産買ってきてあげるから」

ぽんぽんと頭を撫でてもこの子は怒ることはない。

本気で幼いから、子供扱いも当たり前なのだ。

「あ、そうそう。そのケッコンシキだけど、みんなの知り合いだから。

 今日から向こう一週間、幽助も、たぶん飛影も人間界に来ると思う」

飛影はたぶん、行きたくても素直にそういう態度をとることが出来ないので、

躯に無理矢理引きずってもらってやっと顔を出せるだろう。

黄泉も修羅も来ると言っていたが、あの親子、どうやって角や耳を隠すんだ?

六人衆もむしろ、同窓会のような雰囲気に期待しているらしいし。

「だれもいないのー!?」

「うん、ごめんね。出来るだけ早く帰ってくるから、待ってて…」

言い終わる前にあっと言う間に拗ねて涙目になって、上目遣いにオレを見上げた彼女は。

八つ当たりにばちんと景気良く平手打ちを食らわせて送り出してくれたのだった…


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