呪われちゃった王子様と呪いを解いちゃったお姫様
王子様は幼い頃から、自分のために人を欺くことを覚えてそれを上手に使うようになりました。
それを見咎めたのは神様だったのか、妖精だったのかはわかりません。
あるときから、王子様の言葉には呪いが作用するようになってしまったのです。
王子様が言った良い意味の言葉は、聞いた人に逆の意味に聞こえるようになりました。
そのくせ悪い意味の言葉はそのまま聞こえるように出来ているのです。
それでも王子様は頭の良い方でしたので、思った通りのことを正しく話すすべをすぐに身につけました。
呪いがかかっても、王子様の生活には何の問題もなかったのです。
王子様は、名前を蔵馬と言いました。
たくさんの友人がいて、人々の信頼も篤く、姫君方に憧れられておりました。
何の障害もない日々の暮らしに、王子様はもちろん満足していました。
運命の出逢いを果たす、ある日までは。
ある日、王子様はお仕事でお住まいから少し離れたところにやってきました。
緑の潤い眩しい、木々の豊かな土地でした。
こんなに近くにこんな場所があったなんてと、王子様は時間のあいたときにひとりで散歩をしていました。
行く手には古いちいさなお城が見えます。
王子様はそこを目指してゆっくりと歩いてみました。
広い庭には花が咲き乱れていて、お仕事に疲れた目を癒してくれるようです。
庭と小道とを隔てる鉄の柵の間から、王子様はそっと中を覗きました。
庭に誰かがいるのが見えます。
白いシンプルな衣装が清楚で、とても似合っているように見えます…可愛らしい姫君です。
お部屋に飾るのでしょうか、咲いた花をはさみで切っています。
姫君はふと、王子様に気付いて目を上げました。
視線が絡んだ瞬間、王子様の心はその姫君に絡め取られてしまいました。
王子様はたった一瞬で恋に落ちた自分を知りました。
姫君はにっこりと微笑むと、王子様のおそばにやってきました。
「こんにちは、御機嫌よう、蔵馬様。お散歩ですか?」
どうやら姫君は、王子様のことを知っているようです。
それだけで王子様の胸は高鳴りました。
お姫様に答えようとして口を開きかけて、はっと気付きます。
王子様の言葉には呪いがかかっているのです。
お姫様の耳に、聞かせたくない言葉を届けてしまうかもしれません。
王子様は黙って口を閉じました。
お姫様は不思議そうな顔で王子様を見つめています。
「…あの、私、なにか失礼なことを申し上げましたでしょうか」
心配そうにそう聞いてくるので、王子様は必死で首を横に振りました。
お姫様は少し沈んだ表情をしておられましたが、先程切って抱いていた花束の中から、
とりわけ美しく咲いている一輪を王子様に差し出しました。
「どうぞ、お持ちになってください」
王子様は驚いてお姫様の手元を見つめました。
ほそくてきれいな指が、可愛らしい花を差し出しています。
王子様はおずおずと、その花を受け取りました。
お姫様はそれでまた、嬉しそうににっこりと微笑みます。
どうぞまたいらしてねというお姫様の言葉を背に聞きながら、王子様は甘酸っぱいような気持ちを抱きました。
そうしてまた、やっと自分にかけられた呪いの恐ろしさを知ったのです。
これでは、あの可愛いお姫様にたった一言声をかけることもできません。
頭の良い王子様は、良い意味でも悪い意味でもない言葉を使いながら、
お姫様に気持ちを伝えることはできたかもしれません。
でも、お姫様には本当の気持ちをきちんと伝えたいと王子様は思ったのです。
王子様はそれから毎日、お姫様のところへ散歩を装って遊びに行くようになりました。
鉄柵越しにお姫様と逢って、心地よい音楽を聴くようにお姫様のお話に耳を傾けました。
その言葉に答えてあげられないことだけが、王子様にとって苦しいところです。
お仕事の休憩時間になるといそいそと出かけていく王子様の変化に、友人たちも気づき始めました。
あるときなど彼らは王子様のあとをつけて、
王子様がお姫様と逢っているところを陰から覗き見したりしていたのです。
それでも、王子様はまったくそんなことには気付かず、御機嫌で執務室に戻るのでした。
たった一言をかわすこともないまま、それでも王子様とお姫様は次第に仲良くなっていきました。
ある日から、お姫様はお茶をいかが、と言って王子様をお庭の中へ招くようになりました。
王子様は緊張しながら、お姫様の庭にお邪魔したものです。
お姫様が育てたという花が咲いているのを見て、王子様はきれいだねと言うことができません。
お手製のお菓子に、美味しいよと言うこともできません。
教えてもらったお名前を、どう呼んだら微笑んでもらえるのかがわかりません。
逢った瞬間から抱いていた気持ちを、あなたが好きですと伝えることもできません。
自分のために人を欺くことの苦しさを、王子様は初めて知りました。
どうしたらこの呪いを解くことが出来るのかと、王子様は悩みました。
そうして、どれくらいの時間が過ぎたことでしょう。
あるとき、王子様は友人たちから、あのお姫様の縁談がまとまりつつあるという話を聞きました。
友人たちがいつの間にかお姫様のことを知っていたということも王子様にとっては驚きでしたが、
お姫様の縁談にショックを隠せません。
王子様はその日は仕事を放り出して、走ってお姫様のところへ行きました。
いつも王子様が訪れる時間よりもずっと早い時間だというのに、お姫様はもうお庭にいて、
四阿に腰掛けて憂い顔をなさっています。
お姫様は鉄柵の向こうに立っている王子様に気付くと、いつかのようにゆっくりと歩み寄ってきました。
「お仕事はどうなされたのですか?」
そう言って微笑むお姫様は、どこか悲しげに見えました。
王子様はどうにか説明しようとして、口を開いては言えずにとうとう俯いてしまいます。
その目に悔しい涙がにじみました。
「…蔵馬様」
お姫様が心配そうに見上げてきます。
鉄柵の間から、お姫様のきゃしゃな手が伸びてきました。
王子様の頬にそっと指先が触れます。
「泣かないで、どうなさったのですか」
事情もわからないはずのお姫様が、心配のあまりやっぱり涙目になっています。
お姫様のことがただ愛おしくて、王子様は頬に触れるその手をそっと握りしめました。
体温と一緒に気持ちも流れてゆけばいいのにと、そう思わずにいられません。
間違った言葉に聞こえてしまうかもしれないけれど、たった一度も王子様はお姫様に伝えていませんでした。
思い切って一言を絞り出します。
「好きです」
お姫様ははじかれたようにぴくりと反応しました。
「君が、好きです、…」
また涙が溢れます。
お姫様にはきっと、おまえなんか嫌いだ、そんなふうに聞こえたことでしょう。
それでも、王子様にはもう伝えずになどおられなかったのでした。
握りしめたちいさな手が震えています。
王子様はこれ以上お姫様のそばにいてはいけないと悟りました。
その手を離そうと、そうしようとしたとき。
お姫様のか細い声が、本当ですか、と王子様に聞きました。
「今まで、一言も、お話をしていただけなかったから、」
嫌われているのかと思っておりました、お姫様はそう言いました。
「………え?」
王子様はまだ涙目で、ぽかんとお姫様を見返します。
※ここまで
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王子さまお姫さまパラレルが本当に好きなのね、ということがうかがえるお蔵入り話でした。
人間が自分のよろしくないところに気がつくのは、それが愛する人にどういう影響を与えるのかと真剣に考える機会なのかなと思いました。
ハッピーエンドのラストまであと少しというところまで書けていましたが、ここまでです。