トレイン・トレイン


「ね、あれ、南野くんじゃない?」

テスト最終日、午前中で学校は終わり。

盟王高校最寄りの駅にいた蔵馬は、何となく聞き覚えのある声が遠くで自分を呼んだのを知る。

同じホームの端のほうに、女の子が数人固まって、こちらの様子をうかがっているのだ。

(あああ…なんだかまた面倒な)

顔には出さないが、内心でうんざりしてしまう蔵馬だ。

どうか話しかけないで欲しい。

今日くらいは、オレの平穏を邪魔しないでくれ…

恋人ができてからというもの、彼をアイドル扱いする女生徒達がほんの少し煩わしく思えてしまう。

彼女たちはまぁ、そういう女生徒達の一部だった…と記憶している。

ホームに滑り込んできた電車に乗り込む。

平日の昼間、さすがに人はまばらだ。

座席はさぁ座れと言わんばかりにあいているのだが、ドアのそばに立ってみる。

聞こえないふりで持っていた文庫本など開いたが、自分の名前と悪口とに人は敏感になるものだ。

少女達は隣の車両との連結ドアを開け放ち、その向こうからこちらを覗き見ているという周到さ。

南野くんは徒歩通学のはずだとか、読んでる本がどうだとか、どこに行くのかなとか、

他の話題はないのと聞きたくなるくらい自分のことしか出てこない。

ふた駅の間に降りて欲しいと蔵馬は願ったが、その気配はない。

そうしてふた駅先、いつも幽助達に会うときに降りる駅に着くと、

蔵馬はホームのほうをちらりと見やった。

彼が立っているドアが開くと、そこにたったひとり、彼が待ち望んだ乗客が現れる。

「あ、よかった、ちゃんといた」

同じ電車に乗り合わせられるかどうかが不安だったらしい。

「いるよ。テストお疲れさま」

「そちらこそお疲れさま。今度は何点で主席?」

茶化してくるのは聖和学園のセーラー服を着こなした少女。

盟王高校女生徒陣は言葉もないようだった。

からかいに苦笑している蔵馬に、少女は親しげに近づく。

向かいに寄り添うように立って、彼の手を引いた。

「読書はあとにして。私のほうが大事でしょう?」

「はいはい」

自信ありげな少女…のセリフは、彼女たちに届いただろうか?

向こうのひそひそ話はもちろんには聞こえていないだろうが、蔵馬の聴力の前には無駄な抵抗に等しい。

  誰あれ?/聖和女子の…/えー、もしかして…

邪推大会が始まった。

「蔵馬! ぼーっとしないでよ」

髪を一筋引っ張られて、蔵馬の意識はにきちんと向き直る。

「あ、いや、悪い…実はね」

「なに?」

「…盟王の女生徒がそっちの車両にいて、オレ達を観察してるんだよね」

は一瞬きょとんとしたが、女生徒達にばれないようにそっと目線だけそちらへ向ける。

「ああ、ホントだぁ…」

も蔵馬の気が散る理由が飲み込めたようだ。

「どうするの?」

「…どうしようね?」

そういって笑う蔵馬は、あまり困ったようには見えない。

むしろ愉快そうに見えるほどだ。

「…私としてはー…」

「うん?」

聞き返すのに少し身を乗り出すように首を傾げた蔵馬の胸元に、はなんの前触れもなく寄りかかる。

「…?」

「ライバルはいないほうが絶対にいい」

「…まぁ、そうだけど」

クスリと笑って、蔵馬もの身体を包み込むようにして、その腰のあたりで手を組んでやった。

隣の車両から、それでも声をひそめた悲鳴が上がった。

「うわ…今のは聞こえた。すっごい愉快」

「…性格悪いなぁ」

「何言ってるの、共犯者よ」

はわざとらしく顔を上げて、悪戯っぽく笑って見せる。

乗客がほぼいないことが、蔵馬ととの悪戯に拍車をかけた。

「…あの子達、なにか言ってる?」

「えーとね…君の噂を」

「なになに?」

ちょっと本人に言うには過激な言葉も含まれつつあるが、蔵馬は上手に言葉を選び、

オブラートで包みながら聞かせる。

「君を知ってるって。…ピアノのコンクールの話をしてる」

「あー。なるほど…」

そう言いながら、はしっかりと蔵馬の背に腕を回した。

また悲鳴が上がる。

「すごーい、面白い…」

抱きしめあうかたちになって、お互いの顔はだいぶ近い距離にある。

はわざわざ額を突き合わせるようにして蔵馬に話しかける。

「モテる彼氏を持つと面倒だけど、こういうのはちょっと楽しいかも」

「楽しいって…」

「ふふ。女の子がいっぱい、私にやきもち焼くの。ちょっと嬉しい」

「…モテる彼女を持ってもなかなか面倒だけどね…」

「蔵馬の比じゃないもの」

知名度のせいだろうと、はなかなか自分の価値を低く見る。

また蔵馬の肩のあたりに頬を寄せて、心地よさそうに目を閉じる。

「…あの子達の話、聞こえてないんだよね? 

「聞こえないよ。蔵馬ほど耳良くないし」

「そう」

それは良かった。

女生徒達の会話は勢いあまっての悪口に発展しつつあった。

やきもちも黒焦げになると恐いらしい。

  何あの子、調子に乗って/ちょっと可愛いからって…

(…女性の妬みほど恐ろしい感情はないな)

魔界時代からそこそこ、ある程度のトラブルは目にしている蔵馬だが、改めてそう思った。

けれど我が身に降りかかるとなると…事態の重さは天と地ほどの差ができる。

千年もの時を生きてきて、ひとりの人をこれほどまでに愛しぬいたことなどない。

どんなものからでも守りたいと思う気持ちが、内側にじわりとしみわたる。

今、距離があるとはいえ自分の目の前であからさまな嫌がらせが起きている。

本人に聞こえていないのをいいことに…

(…だんだん腹が立ってきた………)

「…蔵馬。妖気がイライラしてるけど…離れて欲しい?」

「…のせいじゃないんだ。…このままでいて」

怒りのためかどうか…蔵馬の表情はちょっと真剣で、は悪戯中にも関わらず結構本気でときめいた。

「…じゃあ、このままでいる」

はまたぱふ、と蔵馬の胸元にしなだれかかった。

もう悲鳴こそ上がらないが、女生徒達が口汚くをののしる声がヒートアップしていく。

「……黙らせたいな」

「え?」

「煩いんだ…」

(あ、やばい)

蔵馬が切れそう。

「…妖狐にはならないで」

はちょっと焦って、顔を上げることができずにささやく。

「…ならないさ…向こうを黙らせればそれでいいんだから」

そう言うと、の髪をそっと撫でる。

その手での顎を上げさせると、蔵馬は極めていつも通りに唇を重ねた。

あまりに唐突だし、場所が場所なだけには一瞬ひるんだが、

腰を抱き寄せてくる蔵馬の腕にはかなりの力が込められて逃れようもない。

本気だ、と思ってあきらめた瞬間、は思ったよりも簡単に瞳を閉じることができた。

しばらくそのまま蔵馬のするに任せていたが、電車の中でのキスはいつもより長く感じられる。

実際、結構なあいだ蔵馬は離してくれなかった。

長いこと唇を吸われ続けて、やっと数センチほど離してもらえたと思えば、

よく通る声が「好きだよ」とささやいて、また奪われる。

女生徒達に見せつけるためのキスなのは明らかだが、何となく不愉快な思いはしなかった。

また長いながいキスをして、離れると今度はきつく抱きしめられた。

「…ごめんね、」

耳元で蔵馬が詫びた。

「いいよ、蔵馬…」

はさすがにちょっと赤面していたが、抱きしめられたままでクスリと笑う。

「一回ね、電車の中でキスしてみたかったの」

ささやくと、蔵馬もちょっと笑いを漏らしたのがわかる。

しかしすぐになにかに気づいたように肩を落とす。

「あああ…」

「何?」

「明日学校に行くのが恐い」

「…ファンクラブに問いつめられちゃうね、蔵馬…」

「いや…まぁそうなんだけど…携帯で写真撮られてるみたいだ」

「…………うぇ…そこまでするんだ」

「オレはともかく、がね…」

はー、と蔵馬は深いため息。

「私は大丈夫だよ? 学校違うし…」

それに、と付け足して。

「絶対負けない自信があるもの。蔵馬は私を選んでくれるの」

「…それは、もちろん」

は少しだけ蔵馬から離れて。

「大好き」

満面の笑みでそう告げる。

蔵馬もやっと、安心したような笑みを浮かべる。

そして、何を思ったかふと、女生徒達のほうへ目線を向ける。

誰かががちゃっと携帯電話を取り落としたらしい音が聞こえる。

それを見た蔵馬が少し意地悪く笑ったのをは見逃さない。

千年を生きた狐にもまだ残る少年のような部分に、は苦笑するばかりだった。



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