恋愛遊戯
恋愛遊戯 旦那様のきもち

蔵馬から電話がかかってきました。
に電話をかけてみた。
出ると彼はこう言いました。
ちょっと企んでいることがあって。
ただいまって言っての家に行くから、はおかえりって言って出迎えるんだよ。
ただいまって言っての家に行くから、はおかえりって言って出迎えるんだよ。
どうしたのと聞いたら、なにか企んでいるような笑い声。
どうしたのと聞かれて、可笑しくなって笑ってしまった。
首を傾げているうちに、玄関のチャイムが鳴りました。
君の答えに関わらず、オレの指はもうインターフォンを押せるわけで。
開けると携帯電話を耳にあてたままの蔵馬が立っていて、予告の通りにただいまと言いました。
ドアを開けた君はまだ携帯電話を耳にしていて、ただいまと言ってもぽかんとしたままでいる。
本物の彼の声と一緒に、受話器からもただいまという声が聞こえました。
おやおや、今言ったばかりなんだけどな。
 ほら、どうしたの。おかえりは?
 
ほら、どうしたの。おかえりは?
私は彼に言われたことを思い出して、慌てておかえりなさいと言いました。
は今言われてやっと思い出した様子で、勢いよくおかえりなさいと言ってくれた。
蔵馬は嬉しそうににっこり笑うと玄関に入ってきて、にこにこしたままで力一杯私を抱き寄せました。
まず最初の思惑はこれで叶った。
なにがあったのでしょう。
嬉しくてを抱きしめたら、自身はなんだかよくわからないといった様子でじっとしている。
お仕事がうまくいった日なのでしょうか。
今日のオレの企みはとても特別なことなんだ。
同じ年でもまだ学生の私とは違って蔵馬は社会人だから、
まだ君は気付かないだろうけど、いや、気付いてくれなくてもいいんだけどね。
世の中の面倒くさいこととも一足早く向き合っているようでした。
そう、家に帰ったら君がいて、おかえりなさいと言って出迎えてくれる。
私にはまだその面倒くささがどんなものかはわかりませんが、蔵馬はいつもそんな話をしようとはしません。
オレはただいまと答えて家に入り、帰りを待っていてくれた愛する人にキスを贈る。
そんな話をしてもつまんないでしょうと彼は言います。
そんな些細な、いかにも人間くさい夢を、このオレが抱くことだってあるさ。
でも本当は、彼が感じているすべてのことを、一緒に感じることができたらいいな…と思っています。
可笑しい奴だと、飛影あたりなら笑うかもしれないけれど。
 ただいま、。ああ疲れた。
 
ただいま、。ああ疲れた。
蔵馬は吐息混じりに私のこめかみのあたりでそう言って、やたらしつこく髪を撫でてきました。
言って、愛おしくてわしわしとの髪を撫でてみた、乱れるのも構わずに。
なんだかわざとらしい。
は髪が乱されるのはあまり気にかけないけれど、ちょっと訝しげに首を傾げている。
蔵馬に触れられるのは嫌いじゃないけど、約束もなく私の部屋にやってきたことといい、
何を企んでいるんだろうとか、そんなことを考えているんだろうな。
なにを考えているのかが気になります。
オレはよっぽど君に悪戯ばかりして喜んでいるみたいじゃないか?
蔵馬の場合は私が困るようなことを喜んで考えたりもするから特に、です。
そんなことないよ、意地悪も好きのうち、なんてね、都合がよすぎるかな。
 どうしたの? お仕事お疲れさま。
 
どうしたの? お仕事お疲れさま。
そう言うと、蔵馬の気配からぴりぴりした感じがすぅっと抜けました。
がひとこと何気なく言うだけで、肩の力がふっと抜けるのがわかって、正直驚いた。
 会社からまっすぐ来たの? 夜ごはん食べてく? カレー、作り過ぎちゃったの。
 
会社からまっすぐ来たの? 夜ごはん食べてく? カレー、作り過ぎちゃったの。
 あ、それは嬉しいな。ありがとう。なんだか図ったようなお誘いだけど。
 
あ、それは嬉しいな。ありがとう。なんだか図ったようなお誘いだけど。
 …なにが?
 
…なにが?
 ちょっとした遊びに付き合って欲しくて。いいよね?
 ちょっとした遊びに付き合って欲しくて。いいよね?
いいよねなんて聞くけれど、遊びの内容にもよります。
キッチンからはいい匂いが漂ってきている。
いいよと言ったあとでものすごく困るような、
家に帰ってくるのが楽しみという経験はそれほど多くない気がする。
恥ずかしいような提案をされてどうしようもなくなったこともあるもの。
でも、待っていてくれるのが愛しい君だというのなら、話は別だよ。
本音をいつも最後まで言わないのは、蔵馬のずるくて頭のいいところ。
ねぇ、今日の遊びは特別、まだ種明かしはしないけど。
でもそれにいつもいつも引っかかっちゃう私って。
早くうんと言って欲しいな。
 どんな遊び?
 
どんな遊び?
 警戒してるね? 危ない遊びじゃないよ。でもちょっと照れるかも。
 
警戒してるね? 危ない遊びじゃないよ。でもちょっと照れるかも。
蔵馬は耳元に苦笑を漏らしました。
照れるかも、それはオレもそうだと思う。
照れる? 嫌な予感。
はうわぁ、というような、ちょっとうんざりのような顔をした。
 なぁに? ちゃんと教えて。
 
なぁに? ちゃんと教えて。
 うーん。おままごと?
 
うーん。おままごと?
 ………。
 ………。
 いや訂正。でもごっこ遊びなんだけど。
 いや訂正。でもごっこ遊びなんだけど。
 …なぁに。言ってみて。
 …なぁに。言ってみて。
 あのね…新婚さんごっこ。
 あのね…新婚さんごっこ。
言われた途端に一瞬身体が硬直してしまいました。
耳元で言ってみたら、が身体ごと呆気にとられて固まってしまったのがわかった。
蔵馬はそれに気がついて、可笑しそうに笑っています。
可愛い人だな、もう。
もう。そんなに笑わなくても。誰のせいだと思っているの?
つい笑いが漏れてしまって、が横目でオレを睨んでいるのがわかった。
 一回におかえりなさいって出迎えてもらいたくって。
 
一回におかえりなさいって出迎えてもらいたくって。
蔵馬はぽんぽんと頭を撫でて、背中を撫でて、やっと少し離れました。
の髪を、背をぽんぽんと撫でてみて、ちょっとだけ離れると、さぁちょっと思わせぶりな旦那さんを演じてみる。
 さて奥様、疲れて御帰宅の旦那様におかえりのキスはないんですか?
 
さて奥様、疲れて御帰宅の旦那様におかえりのキスはないんですか?
調子に乗ってる!
途端、は怒ってふくれかえってしまった。
怒ってふくれてみせたら、ごめんごめんと彼は謝りました。
ああ、予想通りの反応!
謝っててもちっとも反省してないんだもの。
ごめんごめんと一応謝ってみるけれど、可愛くて仕方ないもので、申し訳ない表情を浮かべるのが難しい。
誤魔化されない!
ただいまのキスをする。
そう思っても、ごっこ遊びの中のキスにも嘘はなくて、いつの間にか胸の奥がとろけそうな心地。
恋人でも奥さんでも、を好きなことにかわりはないよ。
蔵馬のばか。
久しぶりのキス、ちょっと嬉しい。
そんなところばかり上手なんて、見たこともない過去の女の子たちに妬きたくなっちゃう。
はでもまだ少し不機嫌そうだ…たぶん、キスで誤魔化したなんて思ってるんだろう。
蔵馬はもう一度ただいま、と言いました。
結果的にはそれにも違いないけれど、今日もまぁ誤魔化しがききそうだったのでそのままただいまと言ってみる。
私ももう一度おかえりと答えて、彼を家に招き入れて上げました。
はおかえりと言って家へ上げてくれた、誤魔化されてくれたようだ。
今夜一晩だけ、一人暮らしの寂しい部屋が新婚夫婦のおうちに変わるということ。
今夜一晩だけ、ここはオレとの暮らす家。
わぁ、本当に照れる。
いいな、本当にそうしてのそばに毎日帰ってこられたら。
どうしてこんなことを突然思いついたのでしょう。
一緒に暮らすだけなら、今でもどうにかすればできると思う…けれど。
ちょっと子どもっぽく見えることもある彼の中身が、本当は妖狐蔵馬というもうひとりの彼であること、
本当はずっと考えていた、安定のない魔界ではほとんど考えつきもしなさそうなこと。
それを思うとやっぱり不思議です。
盗賊なんてやっていた頃は特に、特定の恋人は足手まといと言えなくもなかったし。
もう何度も私の部屋に来たことがある彼は慣れた様子でソファに座って、ぱたりと横になりました。
ソファに呼ばれたように自然と座り込み、途端に脱力して倒れ込んでしまった。
 蔵馬。すぐごはん食べる?
 
蔵馬。すぐごはん食べる?
 うん、ありがとう。
 
うん、ありがとう。
 …お決まりのセリフは言ってあげないよ。
 
…お決まりのセリフは言ってあげないよ。
 つれないなぁ…。魂胆読まれてたか。でも、頭のいい子は好きだよ。
 
つれないなぁ…。魂胆読まれてたか。でも、頭のいい子は好きだよ。
覗き込んでいた頬を指先で撫でられて、新婚夫婦にこういうやりとりはあるのかなとなんとなく思いました。
寝ころんだオレを覗き込んできたの頬をそっと撫でてみる。
お決まりのセリフ。
お決まりのセリフとはあれだろう、風呂か食事か、それとも私? というやつ。
お風呂にする? お食事にする? それとも…
に聞いてもらえたら、どんなに空腹でもなんでも、君が欲しいと言いたいところだ。
蔵馬の答えはわかりすぎて恐いから、そんなこと聞いてあげません。
ただオレのそういう回答パターンはには読まれてしまっているらしい。
カレーのお鍋に火を入れて、ひと煮立ち。
カレーの鍋を火にかけて、はオレに背を向けたままキッチンに立っている。
ふとソファの彼を振り返ってみたら、目を閉じて心地よさそうにしているのが見えました。
ちょっと眠くなってあくびをこぼし、ほんの数瞬うとうととしてみた。
自分のおうちにいるみたい。
他人の家という気がしないし、ももう他人じゃないんだろうな、自分にとって。
思ってから、想像以上に新婚さんごっこにはまりこんでいる自分に気がついて、恥ずかしくなってしまいました。
愛おしい人、家族になれたらと願う人。
自分を誤魔化すように必死でお鍋をぐるぐるかき混ぜていたら、
目を開けてまたの様子を伺ったら、なんだか赤い顔をしてぐるんぐるんものすごい勢いで鍋をかき混ぜている。
蔵馬がくすくす笑う声が聞こえてもっと恥ずかしくなってしまいました。
何を考えていたのだか…可笑しくてまた笑ったら、はますます赤くなってしまった。
一緒にごはんを食べて、いろいろな話をしました。
こういう状況で一緒に食事をするのはひどく久しぶりだ。
仕事と学校、それぞれで会えない日も増えてしまったのは確かだけど、
実際に会うのは高校生の頃のように頻繁にとは行かなくなってしまったけれど、
話し足りないくらい会えない時間が長かったわけでもなくて、
電話もメールも毎日降るように交わしていて、どうして話題が尽きないんだろう。
私たちは今ちょうどいい距離を置きながらお付き合いを続けているところ、と言えそうです。
特別な何かとか、特別な話とか、そういうものがでてくるわけじゃない。
蔵馬が蔵馬の家族の話をするのは珍しいことじゃないけど、最近はよくそんな話題があるなぁと思います。
オレととはとても普通だ。
新しい家族が増えてからはお義父さんと義弟さんの話も。
最近意識的に家族の話をすることに、もそろそろ気付いている頃じゃないかな。
私の自慢話をしているなんて言うから、私も困ってしまいます。
わざとらしく、君の話もするんだよと言ってみたら案の定困った顔をする。
自慢の彼女と言えるだけ、私は特に可愛くもないと思うし、特別性格がいいとか、なんとか、
家族は君に会いたがってるよと、そこまではあえて言わないでみるのだけど。
そういうことに自分で思い当たらないから不思議に思えます。
家族に紹介したいという思いがあるのは結構前からだけど、君は躊躇してしまいそうだな。
蔵馬がいっぱいいる女の子の中から私を選んでくれたことも、本当は不思議なんだけど。
オレが選んだ素晴らしいひと、家族も君を好きになってくれると思うんだけど。
 明日はおやすみなの?
 
明日はおやすみなの?
聞いてみたら、蔵馬はお皿いっぱいのカレーをぺろりと食べ終わったところで、
ちょうどカレーを食べ終えたところにはそんなことを聞いてきた。
きょとんとした目でいいや、出勤、と言いました。
いいや、出勤と答えたら、は不思議そうな顔をしている。
 おかわりいる?
 
おかわりいる?
 うん、少し。
 うん、少し。
立ち上がってまたカレーをお皿によそってあげながら、また聞きました。
おお、新婚さんらしい会話じゃないか。
 それなのにうちに来たの?
 
それなのにうちに来たの?
 うん。泊まって行くつもりでいたけど構わないよね?
 うん。泊まって行くつもりでいたけど構わないよね?
 うん…うーん…いいけど…大丈夫?
 うん…うーん…いいけど…大丈夫?
私は構わないけど、明日もお仕事の蔵馬にお泊まりは逆に面倒くさそうです。
は後日のオレの仕事を気にしているらしい、奥さんらしい配慮じゃないですか?
 だから、新婚さんごっこだから。行ってきますって言って、に行ってらっしゃいって言ってもらって。
 だから、新婚さんごっこだから。行ってきますって言って、に行ってらっしゃいって言ってもらって。
蔵馬はカレーのお皿を受け取るとスプーンを握り直して言いました。
スプーンを取り直すと、新たにカレーがよそわれた皿に向き直る、料理上手な奥さんだなぁ。
 それでこの部屋を出るまでがごっこ遊びなんだ。
 それでこの部屋を出るまでがごっこ遊びなんだ。
さすが蔵馬と言っていいのかどうかわからないけど、遊びにも徹底してます。
なかなか洒落たというか、自分でそう言うのもなんだけど、楽しい企みだと思うな。
手を抜かないっていうか。
律儀に付き合ってくれる君もね、ありがとう。
強制的に巻き込まれてる私だけど、あんまり迷惑じゃありません。
いつもにこにこして巻き込まれてくれるけど、もう諦めてるからなんて理由とは思いたくないな。
考えていたところです。
いつでもオレが主導権を握ってると思ってたけど、意外に君の内心は読めないことがある。
蔵馬の考えてる全部のこと、楽しいこともそうじゃないことも知ることができる立場って、
何を考えてるんだろう、屈託のないその笑顔の奥で。
蔵馬の奥さんになることなのかなぁ…なんて。
ごっこ遊びじゃない夫婦になったら、わかるようになることもあるのかな。
でも、自分からそんな話をするとか、プロポーズをするとか、ぜったい無理です。
何十年も連れ添ったあとにやっとわかるようなことも?
だから、蔵馬がそう言ってくれるのを私はずっと待ってます。
人の絆と感情と、知る前はばかにしていたこともまんざらじゃない。
なんて答えようかな、なんてことまで考えながら。
オレは人間の世界と、そこで君と恋愛することを楽しんでる。
 お風呂沸かしてくるね。おかわりしてていいからね。
 お風呂沸かしてくるね。おかわりしてていいからね。
そう言って立ち上がると、蔵馬は眩しそうに私を見上げています。
も少し乗ってきているみたいだ、新婚さんごっこ。
 至れり尽くせりだね、ありがたいな。いいお嫁さんになるよ、
 
至れり尽くせりだね、ありがたいな。いいお嫁さんになるよ、
 …今のところ予定ないもん。
 …今のところ予定ないもん。
ちょっと拗ねた顔で言ってみたら、蔵馬はちょっと困ったように笑いました。
おや、ちょっと不意打ちを食らった気分だ。
なんて言うかなと思って、ちょっと試しちゃった、ごめんね蔵馬。
遊びの最中に急に現実に戻ってしまった。
背を向けたあとで蔵馬がぼそっと、
それにしても、新婚さんごっこの最中に予定ないなんて素で言わなくてもいいじゃない、思わせぶりだなぁ。
今はオレの奥さんなんだけどなぁと呟いたのは、聞こえなかったふりをしました。
今はオレの奥さんなんだけどなぁ。
蔵馬のごっこ遊び通りなら、奥さんになるのは今夜だけだもの。
は聞こえなかったのか、さっさとバスルームに引っ込んでしまった。
今夜の間中に、蔵馬が感じてる楽しいことも楽しくないことも共有させてもらえるとは思えないし。
ふたりで暮らす部屋にいて一人で君を待つこと。
ずっと一生、私が死んじゃうまで…そう言ってくれなくちゃ意味がないの。
結婚すること…一緒にいること、お互いの元へ帰ってくるということ。
バスタブを洗ってから栓をして、お湯の蛇口をひねってから戻ったら、
とりとめもない考えの間に、はバスルームで御機嫌のようだった。
蔵馬はもうごはんを食べ終わってキッチンで洗い物をしてるところでした。
せめてもの御礼に、言い出しっぺの旦那様としては家事もお手伝いしましょうね。
 蔵馬いいよ、疲れてるでしょ。置いといてくれたら明日やるから。
 蔵馬いいよ、疲れてるでしょ。置いといてくれたら明日やるから。
 オレの理想としてはね。
 
オレの理想としてはね。
蔵馬はスポンジをふにふにと握りながらそう言いました。
戻ってきたに言われて、ここぞとばかりに言い返してみることにする。
 できることをお互いにやりあえるというか、分担できるというか、
 
できることをお互いにやり合えるというか、分担できるというか、
 そういうことに気がつく旦那さんになることなんだよね。
 
そういうことに気がつく旦那さんになることなんだよね。
そんなに泡立てなくても汚れは落ちるんだけど…蔵馬でもよく知らないことってあるんだなぁ。
トドのように寝そべってばかりいる旦那には間違ってもなりたくない。
ちょっとおかしかったけど、おうちのお仕事も手伝ってくれる優しい旦那様に甘えてみようかなと、
家でもそれほど母さんを手伝うわけでもないけど、そこそこの手つきじゃありませんか、奥さん?
にわか奥さんの私は思うのでした。まる。
でもまぁ、どんなに頑張っても家庭の主婦にはかなわないものだろうけど。
バスタブにお湯がたまって、楽しくなったので洗面所の引き出しからあひるのおもちゃを出してきて
バスタブにたまった湯の具合を見に行ったが戻ってこないのでオレも様子を見に行ったら、
浮かべてみたら、蔵馬がうしろで苦笑していました。
はうきうきとあひるのおもちゃを湯に浮かべているところだった。
 なに? それ。
 
なに? それ。
 あひる村長! 可愛いでしょ。
 
あひる村長! 可愛いでしょ。
 可愛いのは、そうやって喜んでる、君のほう。
 
可愛いのは、そうやって喜んでる、君のほう。
う。またいやな予感。
の笑顔は途端に引きつった。さて。
 可愛い奥さん。夜も更けて参りましたが。
 可愛い奥さん。夜も更けて参りましたが。
 いや!
 
いや!
 まだ何も言ってないけど。何を考えていやって言ったの?
 まだ何も言ってないけど。何を考えていやって言ったの?
 いやなものはいや! 蔵馬の意地悪!
 いやなものはいや! 蔵馬の意地悪!
 まだ意地悪してませんって。
 
まだ意地悪してませんって。
 まだってことは、これから意地悪する気まんまんだったんじゃない!
 
まだってことは、これから意地悪する気まんまんだったんじゃない!
 …そうとも言うか。鋭いね、奥さん。手強いなぁ。
 …そうとも言うか。鋭いね、奥さん。手強いなぁ。
じりじり詰め寄ってくる蔵馬と、私のうしろにはバスタブにあひる村長。
にこにこしながら距離を詰めてみると、は警戒しながら後ずさろうとして唇を噛んだ。
逃げ場はなさそうです…。
バスルームの奥に逃げたのは失敗だったんじゃない? 奥さん。
さんざんからかわれて、逃げられなくて、恥ずかしい思いをさせられて、
さて、オレも君を相手して初めて知ったけど、好きな子いじめのなんとも楽しいことと言ったら。
もうダメと思ったところで蔵馬はなんだか放してくれました。
君は怒るんだろうけど、途中でわざと逃がしてあげるのも愛と優しさゆえ…信じてはもらえなさそうだけど。
お先にどうぞと言ってバスルームを出ていくので、なんとなく呆気にとられてしまいます。
お先にどうぞとバスルームを出てみたら、背後でなんだか気が抜けてしまったようにはぽかんとしていた。
あひる村長と一緒に湯につかりながら、なんだあの人はとぐちぐち言ってみます。
あひる村長は災難な日だ、若奥様に旦那の愚痴を延々聞かされ続けて。
蔵馬にはちゃんと聞こえていて、たぶんソファでテレビでも見ながら笑っているのでしょう。
ソファに座ってテレビのチャンネルを適当に繰りながら、おかしくて笑ってしまう。
やな人!
んー、可愛いひとだ。
でも嫌いじゃなくて、大好きで、困ってしまいます。
愚痴ってるのがちゃんとオレに聞こえてるってわかってて言ってるんだよね。ねぇ。
シャワーが髪を湿らせていく感触に、蔵馬が髪を撫でてくれたことをふと思います。
遠回しだけど、なかなかのテクニックだよ、
肌を滑っていくお湯の熱さに、蔵馬が抱きしめてくれるときのことを思い返します。
オレも盗み聞きだから、堂々と反論はできないしね。
別に、そういうことを、意識しているつもりじゃ、ないんだけど、
ただいまと言って帰ってきて、一緒に食事をして、のバスタイムが終わるのを、オレは待ってるのか?
自分がバスルームにいて、その外の部屋に蔵馬がいて私がでてくるまでの時間をつぶしている、
やってることは日常のそれではあるが、一緒にいるのが君というだけで。
それだけのことがすごく恥ずかしい気がしました。
うーん、自分で言いだしたこととはいえ、本当に照れるじゃないか。
結婚して最初の頃は、普通に生活するだけでもこんなに照れ照れするものなんでしょうか。
長く生きてきても結婚してたことはないからなぁ。
想像するだけの新婚生活と、蔵馬は遊びだって言うけどそのシミュレーションとでは、ずいぶん違うみたいです。
さすがのオレにも未知の世界だけど、今のこのごっこ遊びとはやっぱり少しは違うだろう。
蔵馬はどんな気持ちでお部屋にひとりでいるんでしょう。
明日の朝で終わりではない、ずっと続いていく君との日々。
本当は新婚でも夫婦でもなんでもない恋人の部屋にひとりでいて、何を考えているんでしょう。
君を待つ部屋も君だけの部屋でなく、ふたりの家で、オレは客じゃなくて。
距離は考えるほどのことでもなくて近いのに、
まだ未来のことだろうけど、オレと君がお互いに自分の家と呼べる場所ができて、
蔵馬との間を隔てるいくつかの壁やドアがとても強固で頑ななものに思えてきて不安になりました。
それから? それから。
急いでお風呂から上がってバスルームを出たら、蔵馬はちょっときょとんとして早かったねと言いました。
空想を途切れさせたのは、君が必死そうな顔でバスルームから出てきたからだ…早かったね?
蔵馬がお風呂に入っている間、さっきの想像に掻き立てられてしまったのか、やっぱり寂しくなってしまいました。
やたらとの香りの残るバスルームに今度はオレが閉じこもる。
賑やかなテレビの音が逆に、おまえはひとりだひとりだと言うから泣きたくなります。
どんなに「親しい」間柄でも意外とバスルームってじっくり見ることがない気がする。
髪をゆるゆると乾かしながら、蔵馬が早く戻ってきてくれたらとそれだけ考えていました。
あひる隊長はまだバスタブの中でぷかぷか遊泳中…おい。
蔵馬は髪が長いから、お風呂も時間がかかりそう。
のことに関してはオレはかなり情けなくもなるけれど、おもちゃにまで妬くなんてばかばかしいにもほどがある。
そう思っていたら、バスルームのドアが妙に乱暴に開けられて、蔵馬がつかつかと早足で歩いてきました。
急に、自分の内側の何かが沸点に達した…バスルームのドアをばん、と音を立てて開けた。
濡れた髪から滴がしたたり落ちていても、蔵馬は全然気にしていないみたいで、
早足で歩いていき、ぽかんとオレを見上げるにつかつか近づいた。
真剣な顔のままでもう無理と言いました。
もう無理、と言ってもには意味が分からなかったようだ。
 何が無理?
 
何が無理?
聞いてみたら、答えるのももどかしいんだと言いたそうに、
無理。まともに応答する間も惜しいんだ。
ソファのこっち側に回ってくると私をひょいと抱き上げました。
ソファに回り込んでを抱き上げる。
 蔵馬…! ちょっと!
 
蔵馬…! ちょっと!
蔵馬は器用にベッドルームまで来るとベッドに私を放り出しました。
バスルームには馴染みがなくても、ベッドルームになら、まぁ、ねぇ。
本当に、放り出すっていう言い方がぴったりするくらい「ぽい」ってされたの!
もうこうしてをベッドに連れていくのも何回目かだけれど、だいぶ荒々しいだろう、今日のオレは。
びっくりして顔を上げたら、もう蔵馬は私のバスローブを脱がしにかかっていました。
はびっくりして顔を上げたけれど、オレの手のほうが早い、当然。
 蔵馬…
 
蔵馬…
 褒めて欲しいよ。ここまでは我慢したんだから。
 
褒めて欲しいよ。ここまでは我慢したんだから。
 蔵馬…
 
蔵馬…
 なに?
 
なに?
蔵馬はもう一秒も待ちたくないなんて顔で、でもぴたりと手を止めました。
もどかしいな、焦らしてるわけじゃないんだよね、君の場合天然で。
「…ホントはえっちしたかっただけなんじゃないの…?」
「…ホントはえっちしたかっただけなんじゃないの…?」
「…そのへんはあとで」
「…そのへんはあとで」
言い訳する暇もありません、という感じで、蔵馬はそれ以上なーんにも言いませんでした。
ゴメン、真面目に余裕ない。
これだから! これだから男の人って!!
は明らかに怒ってしまった。
新婚夫婦のイメージは、仲良しで、お互いを思いやりあって大事にしあって、
せっかくここまで作り上げた新婚さんのイメージが最後の最後で夢から覚めたような?
色に例えるならふわふわピンクねって感じだったのに、最後の最後で総崩れです。
ごめんね、でも、これだって好きあった間には大事なことなんじゃないの?
蔵馬のばか。
というのは、男の側の都合のよい言い訳なのかな。
プロポーズされても即答ではいなんて言ってあげないから!
とりあえず今夜今このときは忘れてもらわなくちゃ、さぁ熱を上げて。
うんと焦らして困らせてやるんだから!
明日になったらちゃんと謝るから仲直りしよう。
明日の朝だって拗ねちゃって朝ごはん作ってあげないんだから!
愛し合っているのはもちろんだけど、ちょっとの喧嘩と仲直り…
奥さんの御機嫌とりをしなきゃならない旦那様の気持ちを味わうがいいわ、
そういうのもきっとふたりで暮らしていくのには大切なこと。
なんて意地の悪いことを考えました。
きっとまだまだオレにもわかってないことがたくさんある。
だって、たまには私が意地悪してもいいと思います。
君に教えてもらうことも、初めて見る君の姿もたくさんあると思う。
蔵馬がいっぱいごめんねを繰り返して、好きだよ、大好きだよ、愛してるよって繰り返して、
きっと君も、見たことのないオレをたくさん見つけて、
私はそれを聞きながら御機嫌を直すタイミングを見計らうの、
嬉しかったりとまどったり、たまに恐くなることもあるのかな。
私のほうがたまに優位に立ってもいいはずでしょう?
「幸せすぎて恐いの」…なんてセリフならいいんだけどね。
蔵馬、明日の朝、拗ねた奥さんのかわりにお詫びも込めて朝ごはんを作る旦那様役がちゃんとできたら、
ねぇ、オレが本当に企んでいることを君ならきっともうわかっているんだろう。
考えてあげてもいいよ。
お見通しなんだな、オレもたまにはお手上げってこともある。
まわりくどいあなたのことだから、新婚さんごっこもプロポーズの前夜祭なんでしょう。
こんな手の込んだことをしないで、ストレートに愛してる、結婚しようと言えたなら、
明日、行って来ますと行ってらっしゃいを交わしてこの遊びが終わる前にあなたが言うセリフ、
オレだって苦労しないんだよ、わかってますよ自分の癖くらいはね。
ちゃんとわかってるのよ。
そして君もわかってるんだろう、オレのこと。
(たぶん)未来の奥様だもの、甘く見られちゃ困ります。
ああ、なんだかんだと結局かなわないことってあるものなんだなぁ。
理想の旦那様像を蔵馬が持ってるのと同じように、私にも理想の奥様像があるの。
君はきっと可愛い素敵なお嫁さんになるだろうね。
明日の朝、私を理想の奥様でいさせてくれたら、プロポーズにはいって言ってあげてもいいよ。
それこそ、自慢の妻というやつにね。
きっと素敵な新婚夫婦になれるよね?
誰もが羨むようなオレと君と、ふたりから始まる新しい家族に、
ごっこ遊びも素敵だったけど、現実にも、これからずっと、一生かけて。
本当はオレ自身がいちばん焦がれているなんて…明日、朝になったら…言えるだろうか? 自信ないな…




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反転かけるとあら不思議。なんて。