プラシーボ


蔵馬は喘ぎあえぎ、息が苦しい、と訴えた。

そばにいてはどうすることもできずにおろおろとして、目に涙さえ浮かべている。

「ど、どうしたらいい? お薬飲む? どうしよう、なんで…」

いつもより熱っぽい蔵馬の手を握りしめながら、はただ不安でたまらなくて泣きそうになる。

蔵馬は今日、学校にいるときから具合が悪いというようなことをぼやいていた。

彼にしてはもちろん珍しくて、は朝から気が気じゃなかったのだ。

人間界の風邪程度で蔵馬がダウンするだろうか?

最近妖狐化したことがあるとも聞かないし、とは精一杯考えを巡らせる。

妖狐の姿に戻ってしまうと、南野秀一の肉体が過度に体力を消耗すると聞いてからは心配でたまらない。

「…大丈夫だよ」

苦しそうに、それでも蔵馬は無理に笑おうとするので、それがかえって痛々しく見えてしまう。

はとうとうぽろりと涙をこぼした。

「…どうして君が泣くの」

「だって」

どうすることもできない自分があんまり無力で。

の涙を拭ってくれる指から、体温が燃えるように熱く感じられた。

蔵馬の額に指をのせると、冷たくて気持ちいい、と言われてしまう。

「蔵馬は、熱い、ね」

熱が高いみたい、と言う声も震える。

「すぐ引くよ…大丈夫」

「…お薬、探すね。寝ててね、蔵馬」

は涙目のままで立ち上がると、部屋を右往左往し始める。

そんな場所に薬があるわけないでしょ、と思わず言いたくなるような場所すらのぞいてみたりして。

(ああ、、混乱してくれてる…?)

思わず蔵馬はクスリと笑ってしまう。

実は、それほど苦しくないし、それほど熱は高くないとわかるし、それほどつらくはない。

ふつうを装っていられる程度には。

けれど蔵馬が苦しいと言えばはそれを真に受けて一緒に苦しんでくれようとするし、

つらいからそばにいてほしい…なんて弱音にも聞こえる台詞を、あまり照れずに言えたりする。

心配のあまり、熱を感じる指先のセンサーが誤作動したみたい?

些細ないたずら、だけれど、降るようにそそがれるちいさな優しい愛情を感じてみたくて。

(ごめんね、)

余計な心配をかけてしまって。

まだおろおろと薬を探しているの姿を眺めて、蔵馬は苦笑した。

、」

呼んでみると、はぱっと振り返ってベッドに横になる蔵馬に駆け寄ってくる。

まるで瀕死の重病人に、枕辺に呼ばれた…というような様子で。

「…薬、いいから。そばにいて、手を握っていてくれる…?」

甘えてみたら、は訝しむこともなく頷いて、蔵馬の手を取ってくれた。

細い指先がぎゅっと蔵馬の手を握りしめる。

その肌からにじむようにを感じて、自分の指先からにじわりと愛情がしみていく気がして、

蔵馬は心地よく目を閉じた。

瞼の裏で、あ、失敗した、と思った。

今のならきっと、添い寝してと甘えたらそうしてくれただろうに。

キスしてくれたら気分が良くなるかもなんて、いつもなら下心ありでしょとにらまれる台詞も疑われることがなかったかもしれないし。

恋する中にまで計算、打算。

でもまぁそれも、恋の正論というやつだ。

策を巡らせるのは得意技。

…」

「なに、蔵馬…ここにいるよ」

「うん…眠るまでこうしていてくれる…?」

わがままもきいてくれると思う。

「いいよ、蔵馬がもういいって言うまでずっといる」

そんなことを言われたら、ずっと帰しはしない…と蔵馬は内心でまた苦笑した。

可愛くて一途な恋人。

本当のことを知ったら怒るだろうか。

ちょっと君に、甘えてみたくて、わがままを言ってみたくて。

心配してもらいたくて。

小さな子供が受けるような優しい愛撫を、髪に感じてみたくて。

くだらないけれど、大事なことだと思えた。

よく、自分が死んだらどれくらいの人が泣いてくれるだろう、なんて問いがあるけれど、

はきっと目が溶けるまで泣いても足りないくらい涙を流してくれると蔵馬は思った。

のために自分を大切にしなきゃ、とも。

自分のことで大切な誰かが泣いているときほど、胸の奥にわき上がる感情に痛みを感じることはない。

まるでを試しているようだ…と思いながら、蔵馬はわずかに眠気を感じて息をついた。

「蔵馬、眠いの…?」

うとうとしているつもりで、返事をしないでみた。

目を閉じたままの反応を伺っていたら、唇にそっとキスが落ちてくる。

おやすみのキス、だろうか。

早くよくなってね、かもしれない。

とキスをするのも珍しいことではもうないけれど、幸せなご褒美だ。

薄く目を開けると、はちょっととまどったように目を伏せた。

「…熱が上がりそう」

「………ばか」

寝なさい、なんてぷいとそっぽを向いてしまったはそれでもしっかり手を握っていてくれるから、

蔵馬は心の底から安堵を覚えることができる。



「なぁに?」

「ごめんね」

「なにが?」

「好きだよ」

いつもいつもしつこいくらい耳元にささやく言葉に、は嬉しそうに微笑んでくれる。

滅多に聞けない言葉だわ、なんて顔で。

蔵馬は手の中の細い指をそっと握りしめた。

このぬくもりだけは、微熱の幻影では終わらない。


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