その鍵を開けるのは


「よっス! お邪魔ー…」

威勢のいい挨拶とともに幽助と桑原が訪れたのは蔵馬の部屋だったのだが、

どうもその語尾に覇気がなかった。

奇妙な顔である一点を凝視する。

「いらっしゃい。…静かにね」

口元で人差し指を立ててみせる蔵馬は、まだ制服のままだった。

ベッドの傍らの床に座って苦笑している。

「…うちに来ると最近いつもこうなんだよね」

文句を言いながら、彼女を見つめる目は限りなく優しく、暖かい。

ベッドの上にうつぶせになってくたりと眠っているのは、聖和学園の制服姿のだった。

「あぶねーあぶねー。狐に喰われちまうぞ」

そんなことを言いながら、桑原は眠るの顔を覗き込んだ。

少しだけ口が開いて、ちいさな寝息がもれている。

右の手には携帯電話。

暇にあかせていじっているうちに眠り込んでしまったのだろう。

「桑原くん…」

「おっと失言かァ〜?」

悪ィ悪ィ、とその場を退く。

「…まぁいいけど。が起きてるときはそういう話は無しにしてね」

目線はから外さずに、顔にかかった髪の毛を一筋よけてやる。

その仕草から、に対する蔵馬の深い愛情がにじんで見えるようだ。

「…ふ」

口元をむずむずとさせて、が身じろいだ。

その拍子に、短いスカートの裾から太股が大部分あらわになる。

「…………」

声も出ないのは幽助と桑原で、蔵馬はまたかというような顔でため息をついた。

「…無防備でしょ」

「………だな」

「これで襲うなってほうが無理だよね」

ブランケットをかけてやる蔵馬から、さらりと爆弾発言が飛び出す。

相手が相手なだけに、なんとなく意外なような恐いような気がする幽助と桑原だ。

「「………喰ったの??」」

「…人聞きの悪い言い方を…」

「…別の言い方だともっと露骨になンだよ」

よく考えると確かにそうかもしれない、と蔵馬も思う。

「「で?」」

まだ幼いと言える年齢のふたりは(何せ中学生だ)好奇心を隠せない様子だ。

対して蔵馬は沈着冷静の名をほしいままにしただけのことはある。

「……美味しく頂きましたよ」

惜しげもなくそんなことを言う。

赤面して黙り込んだふたりを横目で見やって、

「冗談ですよ。照れてリアクション取れないくらいなら最初から聞かないで欲しいな…」

などと釘を刺すのも忘れない。

幽助と桑原は横目を見合わせて苦虫を噛んだ…

(…こいつの冗談は洒落にならねーからな…)

どこまでが真実かは彼らには知り得ない。

千年の古狐は、たかだか中学生のふたりに比べればどこまでも上手だ。

「それにしても、ね」

ふっと息をつく赤い髪の狐。

恋人を見る目が優しいことに違いはないが、なにかを憂えるような表情だ。

「オレ以外の誰かの前でも同じように無防備なんだよね。寝ても覚めても、さ」

思い当たる節はふたりにもある。

傷口に唇をあてて霊気を送り込むという方法で怪我の治療をするだが、

幽助にも桑原にも飛影にも、平気でそれを行おうとする。

の後ろから蔵馬がものすごい形相でにらむので、彼らは必死になってそれを断ろうとするのだ。

(ほかにも、胸元の開いた服で思いっきりかがみ込んできたりするし)

(妙にスキンシップ過多だし)

(アブねー発言多いし)

あげればきりがない。

「…心配してるわけじゃないけど。気になるな」

それを心配してるというのだ。

頭脳戦では負け知らずの蔵馬も、可愛い恋人には負け通し。

のわがままを相手にしたら、理屈もなにもあったものではないのだから。

…何となくくやしいのだ、自分の思考のなにもかもがに引きつけられてしまっていることが。

それが恋愛感情という名でも、心配という名でも。

まして嫉妬だなどと、プライドの高い彼にからかい以外で言えようものではなかった。

(…重症。)

内心で合掌する幽助と桑原。

けれど、明らかに年上であるはずの蔵馬が一人に振り回されてヤキモキさせられているのを見るのは、

ちょっと微笑ましくも思える。

ふと、蔵馬は立ち上がってベッドに膝をかけ、まだ眠るの上をまたぐように、

ベッドの向こう側へ手をついた。

「お、おおおおいぃっ」

焦って止めに入るふたりが目にしたのは、の携帯電話を手に取った蔵馬の姿。

「…………蔵馬さん?」

「いいのかよ…」

「…内緒だよ」

悪びれた風のない笑顔で彼はベッドから降りると、開きっぱなしになっていた携帯電話をいじり始めた。

薄いパールピンクの機体に、ビーズを連ねたシンプルなストラップが一本。

プリクラ一枚貼られていない。

思わず幽助と桑原もディスプレイを覗き込む。

着信履歴。

コエンマ。

コエンマ。

コエンマ。

……………

「…何であの人がこんなに多いんでしょうねぇ」

蔵馬の妖気がイライラを帯び始めたことに、ふたりはちょっと怯え気味だ。

「ほら、仕事だ仕事! 心配ねーって」

「わかってますよ。…それにしてもこき使いすぎですよコレ。」

そういって拗ねたように表情を曇らせる彼は、身体年齢相応の少年らしく見える。

リダイヤル。

蔵馬。

蔵馬。

蔵馬。

浦飯幽助。

「…幽助?」

にらんでくる横目が恐い。

「し、仕事だ仕事!! 気にすんな!!!」

「そうだぜ! 同じ霊界探偵なら、あるだろ??」

なぁ、とわざとらしくうなずきあう幽助と桑原。

こういうときの連係プレーは見事なものだ。

メールボックスは…

「さすがにコレはプライバシーの侵害かな…」

と言いつつ、その手がためらうことはないのはなぜだろう。

決定ボタンを押すと、ダイアログ・ボックスが行く手を阻む。

「…『暗証番号を入力してください』??」

しぃん、と一瞬沈黙が訪れる。

「…これは、チェックされることを前提にやばいものを隠してるってことかな?」

疑いの目がディスプレイに注がれる。

当の本人は、まだまだ心地よい夢の中。

「…見くびってもらっては困るな…」

ぽつりと呟く蔵馬。

「「…はい?」」

嫌な予感がよぎる幽助と桑原。

「…隠そうとするものを見つけるのは得意なんだ…本業は、盗賊だからね」

震え上がるふたりを余所に、蔵馬は「真剣に」ディスプレイに向かい合う。

「暗証番号…四桁の数字か。妥当なところで誕生日…」

の誕生日の数字を幾通りかの組み合わせで入力してみる。

『暗証番号が違います』

「…誕生日じゃないのか。じゃあ…」

電話番号。住所や学校関連の情報に混じる数字の組み合わせ。

『暗証番号が違います』

蔵馬がだんだんムキになってくるのがわかる。

あとからにばれたら、雷が落ちることも忘れているのではないだろうか。

すでに蔵馬自身に声をかけられない幽助と桑原は、がまだ眠っていてくれることを祈るばかりだ。

「………? これで一通りの数字は試したはずだけど…」

蔵馬は「輪をかけてまじめに」思考を巡らせる。

天下一の策士の表情が覗く。

「…よぉ、もうやめといたほうがいいんじゃねーか?」

が起きちまったらどーすんだよ?」

「…それは、確かにね。勝手にメールまでチェックするのは、個人的にはどうかと思うし」

ならやるな。

幽助と桑原が内心で突っ込みを入れたのを彼は知らない。

「暗証番号でロックしておいてくれて助かったかも知れないな」

まだ起きる気配のないを振り返る。

肩までかけられたブランケットの端を握りこんで、くるりとくるまっている姿が何とも可愛らしい。

携帯電話を枕元に返そうと蔵馬が近寄ると、が寝言で彼の名を呼んだ。

「…………」

「あーあー、お熱いこって…」

ふたりももう呆れ顔だ。

その言葉に苦笑しつつ、携帯電話を置きかけて…ふと思う。

また携帯電話をを引き寄せて開くと、メールボックスまでたどる。

『暗証番号を入力してください』

「蔵馬? おいおい…」

いい加減にしろよとげんなりした様子の幽助と桑原に見向きもせず、

蔵馬はある四つの数字を打ち込んだ。

「…あ」

『しばらくお待ちください』、と出たあと、堅固な鍵は開かれた。

「…あ、開いちゃった…?」

桑原が恐る恐る問うた。

「…………うん…問題ないね…」

メールの相手は蔵馬だらけらしい。

それに照れたのか、蔵馬の顔はちょっと赤く染まっていたりする。

「悪いことしちゃったな」

携帯電話を今度こそ枕元に置くと、ベッドの端に腰掛けての髪を撫でる。

「…ごめんね、

幸か不幸か、はまだ目覚めない。

それを見ながらふたりは顔を見合わせる。

幽助が遠慮がちに聞いた。

「…なー、蔵馬」

「うん? なに?」

目を上げた彼はまだちょっと赤い顔をして、…なぜかどことなく嬉しそうだ。

「なんだったんだ? 暗証番号」

「………ああ」

蔵馬は照れをごまかすように大げさにのほうに目線を落とす。

「…おい」

「………0303」

「…なんの番号だ、それ…」

うーん、と唸る蔵馬。

「…オレの誕生日だよ」

一瞬ぽかんとしたが、幽助と桑原は次の瞬間笑いこける。

大笑いに苦い顔をしつつ、の目が覚めたら思い切り抱きしめてやりたいと、

髪を撫でる指先に愛情を込める蔵馬だった。



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