その一言が聞きたくて


□ 01 □

気になっているのは、このところの君の様子。

こういう言い方はよくないなと思いながら、他の言葉が見つからない──浪費癖、というやつ。

が自分で働いて得た金なら好きに使えばというのはもちろんだよ、

でも使う対象がなんだかどうでも良さそうなものばかりでなんだかなぁ、とオレは思ってしまうわけ。

まだ子供のくせに色気づいてと言うのはいくら何でも、と自分でも思うから…黙っているけどね。

化粧品だったら似たようなものをもう持っていただろうと思うし、

アクセサリーにしても洋服にしても香水にしても、

そんなにごたごたとしなくても君は充分魅力的なのにと思うし。

逢うたびに、そばに寄るたびに、キスのたびに、君から香る匂いが違って感じてしまったり、

手を繋いだときに感じる指輪やブレスレットの金属の感触が妙によそよそしく思えてしまったり、

それに、…それに。

気に入らない。

夏だからという言い訳ならきかない。

胸元や背中が広く開いたワンピースやキャミソールは、それは似合うし可愛いけれど、

すれ違う男たちの目線を集めに集めて不愉快であることきわまりない。

(そうだよ)

(妬いてるよ)

オレがそんなことで妬いているなんて知ったらきっとは喜ぶでしょう、

だから口に出しては言わないけれど。

ねぇ。

オレはね。

怒っているんだよ。

気付いてよ。

オレの目の前で他の男たちの目の前で、君はオレのものなんだよ、わかっているの、それとも挑発?

いい加減オレも参ってる。

どうして愛しいはずの君に逢うたびにオレはイライラを募らせなきゃならない。

その無防備はオレだけのために。

そうでしょ?

ああ、思うだけでも胸がムカついてくる。

わざとだとしたら、わかったから、充分思い知ったから、もうやめてくれていい。

他の男たちの前でまで、いい女でいようとなんてしなくていい。

君の可愛いところは、あまさずオレが知っているから、それでいいでしょう、満足してよ。

こんな精神状態で覚悟なんて決まろうはずがない。

オレは君に、一生一緒にいてくださいと、どんなタイミングで言おうかずっと考えてはうずうずしているのに。



□ 02 □

最近蔵馬はずっと機嫌が悪いみたい。

あんまり笑った顔を見ないし、話しかけても素っ気ない返事ばかり。

私、なにか悪いことをした?

そう聞こうかと何度も思ったけれど、あなたはきっと何でもないよ、きっとちょっと疲れてる…なんて、

そんなことばかり言うに決まってる。

そのときだけは私を安心させるために…誤魔化すために? 笑顔を浮かべてみたりして。

計算高いあなたの性格だから、次にこうなるってパターンがいくつかあって、

私がこう出たらあなたがどう反応するかっていうの、わかるようになってきちゃったの。

ねぇ、私、どうしたらいい?

このあいだのプロポーズもなんだかお伽話の付け足しみたいだった。

不自然で、タイミング悪くて。

ずっとあなたはこんな調子で機嫌が悪くて、私のことなんて眼中にないみたいで。

そのさなかに、大切な話があるんだ、なんて言われたら、別れ話かと思うじゃない。

あのとき私が泣いてしまった本当の理由を、あなたはきっと知らないわ。

聞こえた言葉が別れよう、じゃなくて安心したの。

優しかったのはあのときだけ?

恋人になったばかりのころの、臆病に見えるくらい私を大事にしてくれたあなたはどこにいったの?

今のあなたが私を大事にしてくれていないと、そう言っているわけでは決してないの。

あなたのことが、今だって大好きよ。

一緒にいたらどんな些細な変化にも気がついてくれて、私のこと退屈なんてさせないでくれて。

完璧なエスコートをしてもらって、私、どこかのお姫様かお嬢様にでもなったような気分だったもの。

  そのピアス、見たことないな。

  新しく買ったの? …よく似合ってる、可愛いよ。

小さなピアスひとつ見逃さなかったのに。

  あれ、もしかしてこの間までと口紅の色が違ったりする?

  ああ、やっぱり?

そんなところまでよく気がつくのね、すごい。

  それはもちろん、可愛いのことだから。

  髪の毛の一本まで、それこそが自分でもまともに見たことのないような場所まで、オレは全部知ってるよ。

変なことを言わないでと怒っても、蔵馬は簡単に私の警戒なんて解いてしまう。

  でも、この唇の色は初めてだなぁ。

  オレが知らないの部分があるなんて、悔しいな、許せない。

  ちょっとよく見せて、こら逃げないで、ちょっと味見するくらい構わないでしょう?

なんでもキスの口実になっちゃうところが、蔵馬の悪戯なところだけど。

そんなやりとりもみんな全部好きなのに。

どうして最近は、そんな素振りをちっとも見せない。

キスをするのも、抱きしめてもらうのも、みんな当たり前の儀式みたい。

ねぇ蔵馬、好きの気持ちが当たり前になっちゃったら、それは恋と呼べるの?

恋が愛に変わるときなんて、こんなものなの?

私が夢を見すぎているせいなの?

蔵馬、私もう、どうしていいかわからないの。



□ 03 □

結婚式をもう間近に控えて、当日の主役たる新郎新婦役のふたりは街に出ていた。

花嫁衣装がのサイズに仕上がったというので、衣装あわせをしに行くのだ。

少し枯れた色の日差しが目にも優しく見える季節。

真夏の盛りでもない今は、もさすがに肌を露出したような服を着ることは減った。

減っただけで、あるときはあるのだ。

メイクの感じも香水もアクセサリーもころころと見覚えのないものやまったく違う印象のものに変わる。

些細なことだとわかっていても、蔵馬にはどうしてもそれが気になって仕方がない。

逢うたびに違う人、まるで。

蔵馬の知っている、何の飾りも彩りもなくてもいい、ただそこにいる自身が隠れてしまったように思えた。

何もしなくても、内側からにじみ出る輝くばかりの美しさがにはあったのに。

つまらなく飾ることばかり覚えた未来の花嫁は、きっと蔵馬の不機嫌に気付いていることだろう。

だから、このところはずっと蔵馬の御機嫌伺いのようにしている。

そうじゃない、こういう関係が欲しかったんじゃないと自分の内側で問答してみても、

受け入れがたいものを知らぬ振りで笑うことは、今の蔵馬には難しかった。

気を使わせてごめんと内心で謝りながら。

ここ数か月のあいだ、蔵馬ととは数えるほども本音で話してはいないだろう。

衣装をあわせにが更衣室へ消えて、取り残された蔵馬はひとり重たいため息をついた。

あんなに焦がれた恋人が、自分のためにウェディング・ドレスを着ようかというときに。

とちゃんと話をしなくちゃ、と蔵馬は思った。



□ 04 □

純白のドレスを身にまとい、大きな鏡の前に立って、は自分の顔が曇りがちなことに気付いてしまった。

結婚を控えた女性の顔とは思えない。

幸せなんてひとかけらも見えない。

不安の種がどこにあるのか、はちゃんとわかっていた。

蔵馬が可愛いよとか、きれいだよと言ってくれるのが嬉しくて、

今までそれほど気にかけていなかったメイクやファッションを整えるようになった。

それも最初のうちだけだったのかもしれない。

がどれだけ頑張っても、蔵馬はちっとも何も言ってくれない。

たとえば妻が夫のために装うのは当たり前と、蔵馬もそんな考え方を持っているのだろうか。

なにせ生きた年数は気が遠くなるほど長いから、古い考え方があってもおかしくはなかった。

なにか一言言うどころではない、不機嫌そうにのほうを見ようともしない。

もっと私を見てと、口に出して言うことはできなかった。

きっと気に入らなかったんだと思い直して、服もメイクもころころと変えた。

がちょっとメイクをしてみただけで蔵馬は気がついて嬉しそうにしてくれた、

あのときの自分はどんな風に装っていたか、そんなこと…思い出すこともできない。

頑張ってなんていなかった頃なのだから。

ドレスを着付けるのを手伝ってくれた女性たちはみんな、おきれいですよと口々に言った。

それがセールストークのようなものだとはにだってわかっている。

旦那様も喜ばれますよ。

彼女らはそう言って、さぁ見せに行きなさいとを急かしているのだ。

花嫁衣装を着て夫となる人の前に立つ、こんなに幸せなことはきっとない。

それなのには恐かった。

今の自分を見て、蔵馬がきれいだよ、と言ってくれる…その自信がなくて。



□ 05 □

衣装あわせを終えて、帰る前に喫茶店に寄った。

は結局、ウェディング・ドレス姿を蔵馬に見せることはしなかった。

当日のお楽しみと、口ではそう言いながら。

「…元気ないね、

アイスコーヒーのグラスをストローで軽くかき混ぜてみる蔵馬。

手持ちぶさたなのをなんとなく誤魔化したかったのだ。

からからと氷が音を立てた。

の元気がない理由など、蔵馬には痛いほどわかっている。

「そんなこと、ないよ…」

「マリッジ・ブルーというやつかな?」

「…そう、なの、かな」

は誤魔化すように笑って見せたが、その顔は少しつらそうにゆがんでいる。

「…なにか不安があるなら…ぜんぶオレに話してくれないかな」

今も、もちろんこれからもねと付け足した。

結婚したあとに不安があるのは蔵馬も同じだった。

女性が自分を飾ろうとするのは不自然なことじゃない。

それが気になるという程度でこんなにも不機嫌な態度をとってしまう自分が、

結婚したあとに見つけたの新しい一面を嫌ってしまったら。

一生一緒にいてくださいと言ったのは蔵馬のほうなのに、そうできる自信が崩れそうになっていた。

「不安、は、あるよ…でも漠然とした…なんて言うの、」

つまり、と言っては口ごもってしまった。

言葉にしたくてもできないようで、もどかしそうに俯く。

その場の会話はそれで行き詰まってしまって、ふたりは黙ったままで喫茶店をあとにした。

暮れかけた街に人通りは少なくて、手を繋いで歩きながらぼんやりと茜色に染まる空をふたりは眺めた。

「きれいだね、空」

場が保たないのが苦しかったのか、蔵馬はぽつりとそんなふうに呟いた。

は、ただそれだけで堪えきれなくなってしまって、きつく唇をかみしめてそのまま泣き出してしまった。

「…、?」

機嫌を損ねるような言葉はなにひとつ吐いていないはずなのに、

の涙にとまどった蔵馬はの肩に手を触れようとして…そのまま手を下ろしてしまった。

が泣き出した理由もわからないような自分には、に触れる資格すらないように思えた。

「蔵馬…」

はとめどなく涙を流しながら、ちいさな声で彼を呼んだ。

「私、蔵馬のこと、わかんなくなってきちゃったよ…」



□ 06 □

「ごめん、…オレは」

何を謝ったのかわからないことに蔵馬は自分でうろたえた。

その場の誤魔化しのためだけに謝罪の言葉を口にした、狡い自分に気付かされたからだ。

「私のこと好き…?」

唐突にはそう聞いた。

あふれる涙を拭いすらせずに。

「え、……?」

「好き? まだ私のこと、好き? 結婚したあともずっと好きでいてくれる?」

「…好きだよ、ずっと、…変わらないよ」

「本当に?」

なかなかは信じようとしてくれない。

「…私のことずっと見ててくれる?」

「うん」

「嘘!」

「嘘じゃないよ、どうしてそんなことを…」

「気付いてなんてくれないくせに!」

何に気付かないのかと、蔵馬は訝しむ。

のことならなんだって知っているはずだ。

どんな些細なことにだって気付かないなんてことはなかった、今までも、今も、たぶん、、、

けれどを泣かせるだけ気付くことができなかったなにかが確実にあると、蔵馬は思い知らされた。

それが何なのかはまだわからなくて、焦りばかりただ募る。

気付いて。

私を見て。

好きだと言って。

このところずっと、の目が蔵馬に告げていたのはその言葉だったのだ。

を好きでいる気持ちにはなんの変わりもなかったくせに、蔵馬はから目をそらし続けていた。

あんまりきれいで、愛おしすぎて。

他の男たちの目まで集めてまわる恋人が眩しくて、直視もできなかった。

「ごめん」

きっと、寂しい思いをさせていた。

ひとことなりと言えばよかった。

好きだよ、と。

気付けばどっと後悔の念が押し寄せて、蔵馬は悔しそうに唇をかみしめた。

のことはなんだって知っているつもりで、それが本当につもりでしかなかったことには気付かなかった。

「…のこと、好きだよ」

「…でも、でも、私、蔵馬とは結婚できない! 恐い!」

プロポーズを今になって断られて、蔵馬はさっと青ざめた。

どこかでチラと勉強していたはずのマリッジ・ブルーの花嫁さんを静める方法論なんて、

実際にこんなときが来たらまったく思い出せもしない。

、…待ってよ…」

うまいセリフがひとつも出てこないことに蔵馬は唖然としてしまった。

こんなにうろたえた自分を初めて知った気がした。

「恐い、って」

「ウェディング・ドレスを着て見せても、蔵馬喜んでくれないかもしれない…!」

「そ、そんなわけないじゃない」

あんまりな言いように今度は拍子抜けして蔵馬は息をついた。

「ひとことだけ、きれいだよって、そう言ってもらえたら、私それでいいのに…!!」

きれいだよ。

可愛いよ。

よく似合ってるよ。

ここ最近で一度もそれをに向かって言っていないことに蔵馬は気付いた。

目に余ると、そう思ってイライラしていたのだ。

思えば当たり前だ。

好きな人にきれいだと言って欲しくて、それで女性は自分を飾ろうとするのに。

どうでもいい通りすがりの男の目を引くためでなんて、決してあるはずがないのに。

そして思い出した、さっきたったひとこと何気なく、たかだか夕焼け空を見てきれいだと言ったことを。

蔵馬のために頑張っていたにこそ向けられるひとことだったのに、

あんなにも軽々しく、その場しのぎに。

「ごめん…」

本当に、と言いながら、蔵馬は気付けば公道のど真ん中での身体をきつく抱きしめていた。

人通りが少ないとはいえ、通る人は皆泣いている女性を抱きしめる男性の図に釘付けになっている。

「ごめん、言えばよかった、何度でも…気づけなくて、ごめん…」

の嗚咽は、側を通りがかった女子高生ふたりがくすくすと笑う声で強制終了となった。

赤い顔で蔵馬から離れると、ちいさくごめんねと呟いた。

また手を繋いで、何も言わずにゆっくりと歩き慣れた道を歩く。

の住むマンションの前まで送って離れようとした蔵馬だが、

が手を引っ張ったままで中に引き入れようとするので…黙って従った。

エレベータの中、セキュリティカメラもこっちを向いていることはわかっていたけれど、

蔵馬はそっとの唇にキスを落としてみた。

少し離れると、は初めてキスをしたときのような初々しい顔をしていた。

あのときから君のこんなところは変わらないのにと蔵馬は思う。

いつの間に当たり前になって、いつの間に見落とすようになったのか。

ささやかだけどこんなにも大切なことを。

部屋に招き入れられて、一言も交わさないままでそれでも思うことは同じだったようで、

折り重なるようにベッドの上に倒れ込んだ。

何もかも初めてのような新鮮な気持ちで、蔵馬は何も飾らないの姿を改めて目に焼き付けた。

今きれいだよと言ったら、信じてくれるだろうと思った。

言わなくても通じてるなんて言葉はきっと嘘だ。

耳元できれいだよ、好きだよ、愛してるよ、と繰り返したら、はまた少し泣いた。

涙までこんなにきれいな人を知らないと、蔵馬は思う。

いつもには紳士的に接していたつもりの蔵馬だったが、

自分がこんなにも優しくなれるなんてと驚きの気持ちも隠せずにに触れた。

たったひとことが聞きたくて、試行錯誤を繰り返し、すれ違い、言い合いまでして。

腕の中ですやすや眠るの顔をじっと眺めながら、蔵馬は大丈夫、、と思った。

きっとずっと、仲良しのふたりでいられる。

(さぁ、今度はオレの番だ)

蔵馬は繰り返し繰り返しに囁いたから、今度はが言う番だ。

あなたが好き、そのひとことが聞きたくて。

浅いまどろみから恋人が目覚めるのを、蔵馬は幸せに満ち足りた気持ちで待つのだった。


close