プレシャス×プレシャス


とはいつでも逢える。

逢いたいと思ったらとりあえず窓から飛び出して五分くらい走る。

全力で走っていって、の部屋のベランダに降りた方が玄関にまわるより少し早い。

窓をノックすると、は驚いて急いでカーテンを開ける。

大抵オレがを訪ねるのは夜か真夜中というちょっと不健全な時間。

は何の警戒もしないで、自分に対して実はヨコシマな感情を少なからず抱いている男を、

それと知らずに部屋に招き入れる。

しめたとほくそ笑むのも一方だとは思うけれど、

オレはがそうして礼儀正しくオレを部屋へ上げてくれたことに敬意を表して、

とりあえず大人しいお客に甘んじてみる。

はオレをソファに座らせ、甘いコーヒーをいれてもてなしてくれる。

いちばんのもてなしはやっぱり、がぴったり隣にくっついて座ってくれることだ。

少し眠そうな目で、マグカップを両手で包んだまま、コテンと頭をオレの肩に預けてきたりする。

可愛い。

可愛くて、可愛くて、愛おしくて、他の面倒なことはみんなどうでもいいなんてことを、

結構本気で考えてしまったりもする。

がいなければ寂しいなんて素で考える。

そうしてオレは今日もやり場のない感情に負けてしまって、の部屋へ走ってきた。

留守じゃなければいいけれど。

なにより参ったのはこの寒さだ。

もう冬も近い。

肌寒さを克服するのにこたつにみかんなんてのももちろんいいのだけれど、

気持ちが寒々しいのはそれで解決はしないから。

いつものようにベランダに降り立つと、ノックをする前にはオレの訪れに気がついたらしかった。

「蔵馬!」

いつものことだけれど、はびっくりしたと言ってぽかんと口を開けた。

手には歯ブラシを持っていた。

眠る前だったみたいだ。

ごめんね。

急ぐから逆にもつれてしまう、クレセント錠をまわす指先がもどかしそうだ。

淡いピンク色のパジャマ姿は、実はこれまでお目にかかったことがなかった。

やっぱり、可愛い。

健全に可愛い。

下心をくすぐられることがないというのも、やっぱり嘘ではあるのだけれど。

窓が開くと、は最初に寒、と言った。

「ごめんね、眠る前だったと思うのに」

「いいの! 寒いでしょ、入って」

は慌ててオレを中に引っぱり入れようとする。

あんまりにも無防備だと、オレを男として見てくれていないのかなという心配もちょっとは抱く。

ねぇ、でも口に出して聞くのにはちょっと勇気が必要だ。

部屋に上がって、窓をぴったりと閉めて、カーテンを引いてしまうと、そこは明るい密室だ。

閉じこめられているのは他ならないオレと君の二人だけ。

ここが永遠だったらきっと単純に幸せなんだろうなと思うのだけど。

すぐさまの身体を抱きしめたら、は身体が冷たいと言って身じろぎをした。

「なんかあったかい飲み物、つくってあげる」

はくわえる前だった歯ブラシをとりあえずテーブルに置いて、キッチンに立った。

やがてふわふわと漂ってきた香りは、いつものコーヒーの苦い香りではなかった。

キッチンののそばに歩み寄ってみると、お湯が沸いてケトルの笛がぴぃと鳴った。

「はちみつれもんにするね。すっぱいの、平気?」

「うん、平気。ありがとう」

今日まだ一回もしていないキスを、の頬に贈る。

はちょっと恥ずかしそうに笑った。

金色のはちみつが銀のスプーンからとろとろとお湯の中に沈んでいき、

レモンの輪切りが浮かべられ、かき混ぜられる。

特に珍しくもないこの光景を、オレは感心にも感動にも似た感情を持って眺めていた。

がやっていることだと、どんなことでも新鮮。

ひとりでならくだらなく思えることが、とても大切で面白いものに変わる。

と出逢って恋に落ちてから一年くらい、オレはそうしていろいろなものを発見し直している。

はちみつれもんのカップをそれぞれ持って、並んでソファに腰掛けた。

部屋は少し冷えている。

も長いことこの格好でいれば風邪を引くんじゃないかな。

早めに退散した方がいいのかもしれない。

気持ちとしては、ずっといつまででもそばにいたいんだけど。

「今日はどうしたの? 寂しかったの?」

の問いがあんまりピンポイントだったので、オレはうっかりはちみつれもんの熱に舌をやられてしまった。

ちょっとむせ返りながら、情けないことに涙目になりながら、うんうんと頷いた。

はちいさな子どもの面倒を見ているような、慈愛に満ちた顔でオレを見ていた。

「蔵馬って結構寂しがりやさん」

いつも逢いに来るものと、は上目遣いにオレを見つめながらそう言った。

「…そりゃ、好きな女の子に逢いたいと思うのは、自然でしょう」

「でも、いっつも夜なんだもん。昼に待ち合わせてデートでもいいのに」

はなにか感づいていて、オレにそれを言わせたいんだろうか。

夜に来ることに、意識的には理由はないのだけれど。

もしかすると、無意識にに望んでいるから、夜を選ぶのかもしれない。

早く、君が、欲しい、と、別にそう焦っているわけではないつもり…だけど、本心は、どうなんだろう。

ちょっと口ごもっているあいだにの中でこの話題は終わっていたようで、

急に抱きつかれるとさっきオレがしたのと同じように、オレの頬にキスをくれる。

「蔵馬可愛い。大好き」

滅多に聞けないセリフだ。

甘えん坊のは、オレにせがむばかりで好きと言ってくれることもキスをくれることもほとんどない。

はちみつれもんに媚薬作用なんてあるとは思えないけど、はちょっと浮かれている。

夜のとばりは魔法の幕だ、時折、

恋する人々の瞼に、魔力の粉でもかかったように。

今夜オレたちには、きっとお互いしか目に入らないような魔法がかかったに違いない。

「ねぇ、まだ指が冷たい。外は寒い?」

「うん…息が白くくもるんだ」

そんなに、とは目を丸くした。

「そんなに寒いのに、わざわざ走ってきたの?」

電話で知らせる暇すらもどかしい。

早く逢いたい、逢いたい、逢いたい、それ以外のことに気付くのは大抵あとになってからだ。

あとから母さんが、からになった息子の部屋と開いた窓とを見つけたら、

なんと言い訳したらいいのか…とか、そういうことも。

に逢えて、オレはとりあえず満足した。

一緒に時間を過ごして、寂しい気持ちが根っこからなくなるまでは離れない。

とりあえず抱きしめてみよう。と思って、その通りにした。

はくすぐったそうに身をよじる。

「こどもが甘えてるみたいだよ」

「オレが甘えられるのはにだけだよ」

好きだよ、と囁いたら、は噛みしめるようにしばらくじっとしたあとで、しっかりと頷いた。

も言って。聞かせて、もう一回、好きって」

「え、えぇ、もう一回?」

は困ったようにちょっと赤い顔で首を横に振った。

「減るものじゃないのに」

「…ずぅっと毎日言ってたら、ありがたみがなくなっちゃうんだから」

うまい言い方をする。

不覚にも納得させられてしまったので、それ以上の反論は出来そうになかった。

仕方がないから、ため息のあとに話の矛先をそらしてみる。

「冬は困るね。子どもの頃のことを思い出す」

「なんかあったの? 冬、嫌い?」

「子どもの頃と言っても、人間時代よりはるかに昔の話。

 がさわるの好きって言ってるあのしっぽも耳もだね、冬にはかちこちに凍えるんだよ」

「…そか…」

「まともに食べるのにも一苦労。よく妖化するまで生きたものだよ」

「偉い偉い」

はオレの髪をぽんぽんと撫でてくる。

心地よい、この今の感覚は本当に愛するべき時間で、心の底から幸せな気持ちがこみ上げる。

内側からにじんでいくようなこの感情を、どう説明したらいいだろう?

身体中がぼんやりとしびれを感じて陶酔しているみたいだ。

「冬は苦手だ、今は生死に関わる心配はいらないけど」

「…そぉ。私はぁ…」

がなにか意味ありげに一瞬言葉を切った。

「好き、だけど、…」

そのまま黙り込んでしまった。

ちょっと離れて見下ろしてみたら、なんか失敗した、というような赤い顔で俯いていた。

なんだ、優しいじゃないか。

ちゃんとオレのリクエストに答えてくれようとしたんだね。

好きと言って、聞かせて、って。

ちょっと遠回りをしたけどね。

「ありがとう」

もう一度頬にキスをしたら、「冬が好きって言ったんだから!」ととっさの反論。

「わかってますって」

「なにがわかったのよー! 私は冬が好きなの! こたつとみかんの季節なの!」

「うん、オレも好き」

「嫌いって言ったくせに…」

「そんなこと言ってない、好きだよ。寒いってごねたら、がそばにいてくれる」

は恥ずかしそうに言葉に詰まって、へなへなと身体の力を抜いてしまった。

「甘えてるんだよ。が好きだよ。大好き。今日は本当は帰りたくないんだ」

予想に反して、は平然と答えた。

「並んで寝るだけならいいよ。泊まっていっても」

「…ご冗談を」

「本当だもん。抱きまくらになるだけならいいよ。変なことしたら泣いちゃうから」

「…泣きたいのはこっちです、さん…」

冗談めいて言ってみるけれど、を抱きまくらに眠るのもきっと心地いいに違いない。

なんにもなくてもいい、一日中ずっとぴったりそばにいるなんてことを一度でいいからしてみたい。

平凡が過ぎるようなその一日が輝くばかりに幸せだということ、きっとその日のオレは思い知るはずだ。

「並んで寝るだけでもいいよ、朝になるまでずっと一緒にいる」

「うん、それはいいんだけど」

は意味ありげに言葉を切り、少し拗ねたような顔でオレを見上げてきた。

なんだろう。

なにか言いたいことがあるようだけれど、言う前にオレに気付いて欲しいと、そういう顔だ。

好き、は言った。

大好き、も言った。

寂しかったのと聞かれて頷いた。

帰りたくないとまで言った。

なにを忘れているだろう。

考える間中ぼぅっとしてしまって、気付くとは不満そうにオレの袖を引いていた。

「ああ、ごめん。えーと」

はまだちょっと拗ね気味に見えたけれど、目を閉じて唇をちょっと突き出してみせる。

夜の魔法は絶大な効果だ。

キスの催促なんて。

そうか、今日は唇にキスはしていないんだっけ。

ねだられるままに唇を重ねてみる。

キスを受けながら、は嬉しそうに笑った。

そう、こんな瞬間、ふっと幸せと思うとき。

いったいと出逢ってからのオレは、どれほどこの瞬間を味わったんだろう。

必ずしも甘ったるいだけの味じゃなくて、つまらない思いをさせたこともあるのかも。

障害のない恋愛のほうが逆につまんないわなんて、そんなことも言ってくれたけれど。

なんだか妙にこんなことばかり思い浮かぶ、今日は。

ありがとう、君に逢えてオレは本当に幸せな男だと思う。

多くのことを望んでいるわけじゃない、けれど、君とずっと一緒にいられたらなんて、

実はきっといちばん贅沢なことを願ってる。

君の知らない顔もオレにはいくつもあるから、君が不安に思うこともあるだろう。

でもこれだけは忘れないで、誓うから、

見えないところにいても手の届かないところにいても、いつでも君を思うから。

身勝手のついでにオレはまだ内心で君に願う。

これからもよろしくね、、と。


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