ポッキィ・クライシス


女子生徒たちのバレンタインに向けた事前リサーチが教室内で起こっていた。

一応は内密に、話題をそっちの方向へ持っていくという手はずで行われたのだが、

彼女らは目的の人物から思いも寄らない発言を招くことに手を貸してしまった。

「おまえはな、毎年もらいすぎなんだよ。どうしてんだよアレ」

「…企業秘密です」

「またそれかよ。学校中の女子をさらいやがって…」

「好きでやってるわけじゃないよ」

「そうだろうよ。でもおまえ不誠実極まりないぞ」

「うーん…いや、断るのもね…面倒で」

男子生徒のみならず、女子生徒もこのやろうと思わされた一言だが、言った本人は平然としている。

「…でも不誠実っていうのは嬉しくないな…うん」

彼はひとりで納得したように言った。

「じゃ、好きな女の子がくれるチョコレートだけ受け取ることにしよう」

それでいいよね! とその人物…南野秀一は満足そうに頷いた。

女子生徒一同の思考は暗転してしまった。

(あーあ、お可哀相な女の子たち)

イベントやら色恋沙汰やらにはそれほど関心がなかったは、横目で騒ぎを見ていてふと息をついた。

よくある言い方をすれば「さっぱりした姉御肌」というのがの印象らしい。

おかげさまで、かの優等生に敵うほどではとてもないが、バレンタインにはもチョコレートぜめにあう。

ただ他に類を見ない甘党のにしてみれば願ったりかなったりのイベントである。

それでいてホワイトデーにお返しをしたりはまったくしないが

そんなところもクールで素敵なんてよくわからない評判が立ち上っているらしい。

(ま、女の子らしくていいじゃありませんか)

眺めていた雑誌のページを繰りながら、ほぼ常備しているポッキーをくわえた。

疲れたときには、甘いもの。

の口癖であり信条であるその言葉は、去年のバレンタインデーに贈られたチョコレートの

五つにひとつくらいの割合でメッセージカードに書かれていたりした。

よくもそこまで調べが上がっているものだと感心させられるほどだ。

は楽しめるからいい。

本気のチョコレートなどひとつもないのはわかっているからお気楽なものだ。

しかしまぁ、彼の場合は…断るのも面倒というのはつまり、そういうことなのだろう。

(お気の毒様、南野君)

思いとは裏腹に唇の端に笑みを浮かべてまた雑誌の記事に視線を走らせていると、

今度はリサーチの矛先がに向けられた。

もまたチョコぜめだろうな」

「毎年毎年お義理だっつーのに有り難いことでね」

「…義理でももらえない奴だっているんだぞ」

「日頃の行いのせいよ」

はからからと笑った。

女子生徒も一緒に話に乗ってくる。

「バレンタインでなくてもいっつもチョコ持ってるよね、

「そう。今日はポッキー。明日は…何にしようかな。バレンタインのあとはしばらくコンビニ不要になる」

はまた有り難いことでと繰り返した。

「疲れたときには甘いものなのよ。チョコレート、最適」

シンプルな力説をするに皆が笑った。

「じゃあ、は常に疲れてるんだね」

特に口出しはせず空気を読んで笑ったり黙ったりしていた優等生が、ふいにそう言った。

「は?」

「疲れたときにはと言うけど、毎日チョコレートじゃない」

「ああ、まぁ…いや、中毒に近いのよ。チョコレート・ホリックと呼んで頂戴」

「それはすごい」

「南野君が今年断るチョコ、引き受けてあげてもいいよ」

「失礼な奴だな、手作り多いんだろ、南野」

「さぁ…そうなのかな」

それすらも知らないといったふうだ。

毎年彼に贈られる膨大なチョコレートは、中を覗かれることも少ないのかも知れない。

「あんたに惚れた女の子たちは可哀相にねー。真心知らんぷり」

からかうようなの言葉に、彼は困ったように笑っただけだった。



チョコレートには媚薬効果があるという説もあるそうだが、

チョコレート年間消費量がばかにならないはなぜかまったく恋愛体質ではない。

これまでに恋らしい恋をしたこともなければ、片思いの覚えもない。

バレンタインも菓子業界の戦略だと思っている。

まぁ、この季節はおかげで新製品がどんどん出るし、自称中毒者としてはたまらない。

今年のチョコレートにはゴディバの詰め合わせがあるといいなぁなどと

多少図々しいことを考えつつ、バレンタイン当日をカウントダウンしながら待っていた。

果たして当日、まず第一波は靴箱だった。

はともかく、南野秀一を執拗に狙った女子生徒の反応に学校が困り果てて、

チョコレート持ち込み禁止令を出したにも関わらず…効果は見られなかったようだ。

こうなれば学校もお気の毒様と思うだ。

同じクラスの別の靴箱からは見るからにチョコレートが溢れ返っていたが、

誰のスペースかは確認するまでもなかったので知らんぷりで通り過ぎてみることにする。

教室へ行ってみればすでに南野秀一は席についていて本など読んでいるから、

あれらのチョコレートはまず振られた一団だったのだろう。

朝から泣く羽目になった女子生徒も大勢いるのだろうなと、思えばちょっとは同情する。

自分の席につこうと椅子を引くと、椅子の上と机の中にいくつかのチョコレートが見えた。

「おお、大漁!! 嬉しー、ありがとう」

誰に言うでもなく顔を輝かせるを、苦い笑いで男子生徒が見つめている。

まだゴディバには巡り会っていないが、時には質より量が勝ることもある。

そのどちらよりも気持ちや遊びの楽しさが勝ることもまた。

女という性別がイベント好きなのは今に始まったことじゃないし、

バレンタインデーに限ったことでもない。

チョコレートづくめで自分も嬉しいし、贈って楽しんでくれる人がいるならそれでいいやとは思った。

ちゃっかりと用意してきた紙袋にチョコレートを詰め込みつつ、

優等生を見やるとどうも彼の身の回りはスッキリしている。

「やぁ優等生。靴箱の惨状を見た?」

「見たよ。オレにどうしろっていうの」

「食べなさいよ。さもなきゃ頂戴よ」

「それはない」

意地悪い笑みを浮かべて、彼は本から視線を上げた。

愉快犯とはこういう顔をするんじゃないかと、はなんとなく思った。

「もらった分はどうしたの」

「職員室に寄付したよ。今年は校則違反でしょう、チョコレート」

没収される前に隠したらと言われ、は真面目に怯えて紙袋を隠す場所を探した。

コートを引っかけて教室の隅に置いただけで見つからず没収は免れ、心底ほっとする。

休み時間のたびに南野秀一は誰かに捕まえられ、チョコレートの箱を押しつけられているようだったが

彼は片端から容赦なく断り続けていた。

そのそばからすすり泣きが聞こえることもあり、周りのクラスメイトもなんとなくいたたまれない。

彼自身も放課後が近づくにつれうんざりといった顔をし始めて、

女子生徒は声をかけるのも躊躇うという有様だった。



長い一日が終わりやっと放課後、特別教室の鍵を返しにが職員室を訪れると、

南野秀一が担任のデスクのそばに立っていた。

その周囲に散乱するチョコレートの箱。

教員たちも半ば呆れ気味である。

「すごい量! ゴディバあるし!! わーこれ欲しい…」

…節操ないな本当」

「チョコレートのためなら!」

胸を張ったに、優等生も周囲の教員たちも苦笑いだ。

「今年の最多勝は君なんじゃない?」

「かもね! あんた不戦敗じゃないの」

「勝ちたくないし」

げっそりした顔で視線を逸らす南野秀一に、なんとまぁ勿体ないと無責任なヤジが飛ぶ。

「ホワイトデーはどうするの?」

「なんもしないよ。私もらうの専門。むしろホワイトデーもクッキーもらう」

「…見上げた根性だな。恐れ入ったよ」

「そりゃどうも! ねー先生、これどうするの」

どうすると言われてもと担任も困った様子である。

「もらうだけもらってやったらどうだ、南野」

「冗談よしてくださいよ。こんな量どうしたらいいかオレにだってわかりませんよ」

「だから私に!」

「却下」

「どうせもらわないチョコなんだから誰に食われたって関係ないじゃん!」

「なんとなく嫌」

「なにそれ! あーあ、この中にだって何個本気チョコあるかわかんないよまったく」

「だから…もらいたくないんだって」

贈り主本人が渡してくるものは断ったのにたいそうな量がここにあるというのはつまり、

直接渡すことができなかった女生徒たちがそっと置いていったものなのだ。

「じゃあ今年は一個も受け取ってないんだ、南野君」

「うん」

「ふーん。ねー先生聞いて、この人今年は好きな子からしかもらわないって言ってたんだよ」

「…余計なことを言わないでくれるかな」

「いいじゃん別に。これだけもらってもこの中に南野君の好きな子いなかったんだね」

「そういうこと…逆にみじめじゃない? それって」

「うん」

はっきりそう答えたに彼は少し拗ねた振りをし、はそれに慌てた様子を見せ、

あまり高校生離れした優等生が少し感情を見せたことに教師たちはほっとした。

結局彼は頑なにチョコレートを持ち帰ることを拒否し続け、手ぶらで職員室をあとにした。

「ああ、身軽なバレンタインっていいね、ほっとするよ」

「なんだろねその言いぐさ…」

紙袋を下げて帰ると、通学かばんだけを持っている彼と、並んで帰路につく。

あまりこういう機会はなかった。

夕刻、日が沈みかけ、並んだ影が長く伸びている。

「毎年どうしてこうもサバイバルになるかな…疲れた」

肩の荷が下りたというふうに彼はそう呟いた。

「こうでもしないと告白できない子もわんさかいるのよ。菓子業界の戦略も捨てたもんじゃないよ」

「…なるほどね」

彼は少し納得したようにちいさく言った。

はいつものようにかばんから常備のポッキー…今日はメンズ・ポッキーだった…を取り出して、

まるで煙草を扱うように箱を振った。

「疲れたときには甘いもの! こんくらいの量がちょうどいいのよ。はいどうぞ!」

目の前に差し出され、拒否できる空気でもなく、彼は控えめに一本それを抜き取った。

「…どうも」

しばらく指先で細長いチョコレートをもてあそんで、彼は諦めたようにそれをくわえた。

「疲れたときには…とか言うほど疲れてるようには、本当は見えないんだけどね」

「疲れてないよ。ホントにただの口癖なのよ」

「ふーん」

「チョコにくっついてるメッセージカードなんかにも書いてあるの。

 『疲れたときには甘いもの、どうぞ』なんてね。みんなよくわかってらっしゃる」

の決まり文句じゃないか」

「そうかもね。でもまぁ、このメッセージがあると、ミーハーな動機だとしても渡しやすいんじゃん?」

「…で、受け取ってもらいやすいと」

「そうそう。断るなんて勿体ないことしないけどね。そうやって気遣ってもらったら、尚更」

勢いづいてぱくぱくとポッキーを食べ続ける手を休めないに、彼は少し圧倒されている。

「ナルホド。いいこと聞いた」

「は?」

「ああ、オレこっちの道だから。は逆でしょう」

「うん。気をつけて帰んなさいよ。帰り道もチョコ待ってるかもよ」

「ちゃんと断るからいいよ。欲しいチョコレートはもらったしね」

職員室で会ってから今までにそんな光景を見てはいないぞとは首を傾げた。

彼は意味ありげに、ひとくちだけかじったままのポッキーをひらひら振って見せた。

「もらう役一辺倒なんでしょう。ホワイトデーはクッキーだったね?

 ちゃんと『疲れたときには甘いもの』って添えて渡すよ。断られる心配もないそうだしね」

じゃあ、と言って手を振り、彼は背を向けてそのまますたすたと行ってしまった。

ひとりぽつんと残されたは意味が飲み込めずしばらく立ちつくす。



……

………。



「はぁぁぁあ────!?」



背後から聞こえてきた大絶叫に、少し大人味らしいチョコレートを甘く味わいながら、

彼は笑いを噛み殺したのだった。


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