魔法のエッセンス


…大丈夫?」

キッチンに立つの背中に、男性陣四人の視線が突き刺さる。

「なによ、信用ないなぁ」

不本意と言いたげに、は肩越しに四人をにらみ返した。

本日2月14日、バレンタインデー。

が「月曜日、遊ぼう?」という誘い方をしたので、

幽助と桑原の二人がバレンタインに約束を取り付けられたのだと気づいたのはかなりあとになってからだった。

ついでに、ほかの二人…飛影はそもそもバレンタインという行事の存在を知らず。

蔵馬は毎年うんざりさせられる日と事前に心構えをしていたので、聞いた瞬間ピンときてはいた。

四人が次々にの部屋に訪れたとき、はちょうどケーキの生地を混ぜていたところだった。

それを見てやっぱりそういうつもりか、と思惑が当たったことを知った四人は、

彼女と仲良くなれるチャンスかもと少なからず考えてしまって、いそいそと部屋にあがったのだった。

ところが。

、お菓子づくりは得意なんだ?」

何気なく聞いた蔵馬に、はえへへと曖昧に笑ったあと。

「ぜぇんぜん。この間もね、バレンタイン近いからって調理実習でクッキー作ったんだけど。

 なんか見事に、破裂しちゃって」

(クッキーが破裂…?)

ベーキング・パウダーが入るケーキなどを作ったというなら、

破裂と言われてもまだ想像はできる(かなり現実離れしているとは思うが)。

(クッキーが破裂………??)

一同の顔からさぁっと血の気が引いたのを、本人は知る由もない。

ご機嫌でどばどば振りまいているのはバニラ・エッセンスだ。

「…、バニラ・エッセンスは香りづけだからそんなに入れなくてもね…」

蔵馬がさりげなく突っ込んでみた。

「好みの問題ー。好きなんだもん」

ほら、いい香りでしょと、はバニラ・エッセンスの瓶を四人のほうに放った。

受け取った幽助はふたを開け、瓶の口に鼻を近づけてみる。

「あ、甘い…」

桑原も同様に。

「へぇー。どれ」

指に一滴落として、ぺろりとなめてみる…瞬間。

「うぇええぇぇえ!!?」

「ど、どーした桑原!!」

「苦ぇ…」

げほげほとせき込む桑原を、蔵馬は苦笑混じりで見つめた。

おそらくは知っていて止めなかったのだろう。

「…くだらん」

飛影は呆れたようにそっぽを向いた。

「ねーねー、手伝って!」

言うなりはキッチンから怒濤のように物を投げ飛ばした。

「あ、!!」

「てめー、好い加減にしとけよ!?」

「いいじゃーん。これ泡立ててねー」

チョコレート・クリームのパックが放られる。

「つーか、オレらのために作ってんだろ!? 手伝わすか普通!?」

「だって退屈そうなんだもん」

「…自分から呼んでおいてその言いぐさか」

最後にぼそりと呟いた飛影に、泡立て器が飛んできた。

目に留まらぬほどの速さでそれをキャッチした飛影だが、何に使うものかまったく見当もつかない。

「…じゃあ、飛影よろしく」

クリームをボウルの中に流し込んで、蔵馬はにっこりとそれを飛影に手渡した。

「……」

ボウルを抱え、泡立て器を片手に固まる飛影。

しばらく皆の視線が飛影に集まった。

「っはははは!! すげー似合わねー!!」

「なんだ飛影、そんなもんもわかんねーのか?」

幽助と桑原が笑い続けるのに飛影はとうとう切れてやりかえそうと黒龍波の構えを…

「あ、飛影、炎禁止! クリームは冷やさないとダメだから」

のどこか抜けた一言でがくりとくずおれる。

…貴様、からかっているのか」

「まさかぁ」

型に生地を流し込みながら、はまったく害のない笑顔を見せた。

その隙に飛影からボウルを預かった蔵馬が、しゃかしゃかとクリームを泡立てている。

「あんたたち、天然の漫才グループみたい」

「…冗談止してくださいよ」

心底遠慮したいという顔で蔵馬が言った。

くすくすと笑いながら、はオーブンに型を入れる。

スイッチオン。

ぱんぱん、と手を合わせて。

「上手にできますよーに!!」

一礼。

ものすごくものすごく、どす黒い不安を覚える四人だった。

クリームもしっかりと泡立てられ、あとはスポンジの焼けるのを待つばかり。

コーヒーを入れ替えながら、は四人に話題をふった。

「ねぇ、チョコもらった?」

「オメーはすごそうだな、蔵馬…」

聞かれたとたんにげんなりとした顔を見せた蔵馬に、幽助が気の毒そうに問うた。

「毎年2月14日だけは女の子が恐いよ…」

「ホワイトデーもだろ」

「…もう言わないでくれる?」

蔵馬は自嘲気味にふっと笑うと目線をそらす。

「モテすぎるってのも考えモンだな…オメーはどうしたよ、桑原」

「おお、それよ! よくぞ聞いてくれたってなモンだぜ!!」

得意げに身を乗り出した桑原とあからさまに不機嫌そうな顔をした飛影を横に、

矛先を桑原に向けたことを幽助はちょっと後悔した。

「実はよー、雪菜さんと姉貴がオレに黙ってなーんかコソコソやってんだよなぁ」

ぐふふ、と桑原はだらしなく笑った。

「私に付き合ってもらっちゃってよかったの、それ」

「二股か桑原」

「二股なんですか桑原君」

不機嫌そうだった飛影が更にきつい目線を桑原に向けるが、舞い上がった桑原本人はまったく気づかない。

トレイにコーヒーを載せて、は皆のところへ戻った。

「幽助は螢子ちゃんにもらったんでしょ?」

の問いに、幽助は飲んでいたコーヒーを盛大に吹き出した。

「きゃー! なにやってんのよもう!!」

「お、オメーこそ変なこと聞いてんじゃねー!!」

「そんなに動揺しなくてもいいじゃない、幽助」

幽助の正面に座っていた蔵馬は危うくコーヒーを浴びるところだったのだが、すんでの所で避難していた。

「…………」

幽助は赤い顔で蔵馬をにらみつけた。

「螢子からは、もらってねーって」

「え?」

「去年もその前も結局喧嘩になって、
そのあと謝ろうとしたらまた喧嘩になって、
それからそのあとまた………

幽助はしまいに口の中でもごもごと口ごもってしまった。

「…でも、去年も一昨年も結局もらってるんでしょ?」

「ま、まーな…」

「じゃあ大丈夫だよ、ちょっと照れてるだけだって」

コーヒーまみれになったテーブルを片づけながら、はにっこりとそう言った。

ずっと話題から外れていた飛影が不意に口を開く。

「…ばれんたいんとはなんだ」

「女の子が好きな人にチョコレートあげる日ー」

はさらりとそう言った。

のは義理なんでしょ」

蔵馬が意味ありげな笑みを浮かべつつそう言うと、もにやりと怪しげな笑みを浮かべて。

「さぁ、どうかなぁ? ホワイトデーしだいだったりして」

「…ほわいとでーとはなんだ」

「男の子がバレンタインにチョコレートくれた女の子にお返しする日ー」

期待してます、とは四人に頭を下げた。

三人はその言葉に苦笑したが、意味がよくわからず黙っていた飛影はいきなりずばりと切り返す。

はオレたちが好きなのか」

飛影の一言に、さすがにも硬直した。

ほかの三人もいきなり何を言い出すのかという目線を彼に向けたのだが、

内心ではその勇気に拍手喝采を送っていたりする。

「…うーん…? そうなのかな…? 好きは好きなんだけど…」

はごまかすように天井を仰いで。

「…よくわかんない♪ でも、大事な人たちだと思ってるよ」

その日初めて、はちょっと照れたように笑った。

愛らしい笑みに四人が目を奪われている数瞬、オーブンがケーキの焼き上がりを告げた。

キッチンに戻るを見つめながら、なんとなく暖かな気持ちを抱く四人だった。

スポンジをよく冷ました後、クリームをのせてデコレーションしていく。

デコレーションは四人も少しずつ手を出したので、何となく不思議な仕上がりになってしまった。

絞られたクリームのまわりにきのこの山やたけのこの里がちりばめられ、側面にアポロがずらりと埋め込まれている。

が苦労してハートのかたちにカットしたスポンジが、

ごてごてとしたものすごく奇妙なデコレーションケーキに変身した。

「変なバレンタインチョコ…」

「でも、破裂しなかったじゃねーか」

「味が問題? つまりは」

は恐ろしいことを平然と言ってのける。

胃薬を頼むと幽助が小声で蔵馬に言ったのは、もちろんには内緒だ。

「せっかくのハート型が、なんだか勿体ないですね」

惜しげもなくナイフを入れていくに、蔵馬がそう言った。

「そう? でもほら、気持ちだから」

「気持ちっつっても…偏ってんなぁ」

ハート型を等分するのは至難だ。

苦笑する一同の中で、飛影だけは相変わらず(はーととはなんだ)と新たな疑問と格闘していた。

「では」

覚悟を決めて。

にこにこと様子を見守っているの手前、美味しいと言わなければと肝に銘じて、

四人はそれぞれケーキを口にした。

「…あ、ふつーにうまい」

呆気にとられたように幽助は言う。

「ふつーにって何よ」

失礼ね、とはふくれてみせた。

「うん、美味しいですよ。クッキーは破裂したっていうのにね」

「どんな妖術を使ったんだ、貴様」

「…飛影、それはねーんじゃねーか?」

「言いたい放題言ってくれちゃって、もう」

は不機嫌そうな口調で言ったが、顔は嬉しそうに笑っていた。

も食べたらと言われて、残ったケーキを自分も皿に取り分ける。

「あ、ホントだー。よかった、上手にできて」

この上なく幸せそうな表情で、はケーキをぱくついた。

「きっと魔法が効いたんだ」

そう呟いたの言葉を、皆はもちろん聞き逃さない。

「魔法って?」

「…やっぱりなにか術を仕込んだな」

「だから、飛影…」

「ううん、そういうのじゃなくて」

は意味ありげにうふふと笑ってみせる。

「ああ、アレかァ? 愛情こもってるからってやつ」

「さみー! オメーが言うか、それ」

「うるせぇ!!」

幽助と桑原がまた小競り合いを始める横で、は変わらずにこにことしている。

「ううん、愛もいっぱい入ってるけどね、魔法で込めたのは愛情じゃなくて」

そこで言葉を切って。

「…なんだよ?」

「気になるじゃねーか」

はにっこりと笑うのみ。

男性陣は得心がいかずに顔を見合わせた。



込めたのは、愛情じゃなくて。

「何でも美味しくできちゃう魔法のエッセンスなの」

それは、ただひとかけらの悪意。



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