「カッコいい女になるの!」

と、私、宣言した。

仕事ができてパワフルで、それでいて恋愛でも手を抜かないの。

自分のスタイルをちゃんと持ってて、それをつらぬいてて。

身のこなしにはどこか余裕があるの。

すれ違う人みんなが、ちょっと振り向いてしまうような。

それで、後悔させてやるんだ──

私のこと、泣かせた男の子を。





そして彼女は手を振った





『へぇ、成人式ね。いいよ』

彼は、二つ返事でオーケーを出してくれた。

ごめんね、いつも都合のいいように使っちゃって。

私は心の中で、彼にぺこりと、頭を下げた。

「蔵馬は成人式、行かなかったの?」

『うん、興味なくてね。今更酒でも煙草でもなかったし』

それは、そうよね。

蔵馬って、ホントは二十歳どころの騒ぎじゃないもの。

『ああ、でも誕生日のあとに献血に行ったかも。言うでしょう、“はたちの献血”って』

「それ以上血なくしてどうするのよ!」

変なとこにばっかり興味を示す、この人は今の私の想い人。

電話越しの声も、耳元をくすぐるみたいで。

すごく素敵な人。

でも。

彼はいっつも、私を子ども扱いばっかりしてる。

この間なんか。

いい子だねって、頭を撫でられたりした。

私、ホントは、蔵馬が思ってるより大人なのよ。

世間も認めてくれるような、立派な成人女性よ!

でもそれを口にした途端。

蔵馬はきっと喜んで揚げ足を取りにかかるから、私は子どものままで、居続けるんだ。

彼は、このあいだ自分の車を買ったって言ってた。

だから。

振袖を着て、会場に行ったり戻ったりするのが大変だから。

帰りのお出迎えだけでも、してくれない?

そう、聞いてみたんだ。

『ふーん、も二十歳か。オレが年取るわけだよね』

「三つしか違わないじゃない!」

『冗談だよ。でも、考えてもごらん? 制服着て歩いてる学生、みんな年下だよ。

 去年活躍した甲子園球児も、の好きなスケートの選手も、みんな平成生まれなんだよ』

「うっ…」

言葉に詰まっちゃう。

ホント、二十歳って。

自分が持ってる名前だけが、どんどん成長しているみたい。

中身の私自身は、二十歳になった瞬間、いきなり大人びてなんてくれないのに。

そう思って、はっとした。

カッコいい大人の女になろうって、決めたばっかりだったのに。

「と、とにかく! 悪いんだけど、お願いするね」

『かしこまりました、お嬢様』

くすくす笑ってる、彼は。

きっと、いつものようににこにこ笑ってるに違いない。

電話を切って、ため息をつく。

私、ホントに大人になったの?

思い描くカッコいい女の人なんて、手が届かないくらい遠いよ。

今の私じゃ、蔵馬につり合わないのなんて、わかりきってるのに。

実際のところは。

二十歳になっても成人式を迎える頃になっても、今の私は子どもの頃からの私の発展だもの。

誕生日が来て二十歳になったらすぐ、さぁっと大人の考え方ができるなんて。

そんなこと、あり得ないんだから。

ううん、でも。

私、背筋を伸ばして、首を振る。

気持ちを切り替えなくちゃ。

ひとつは、蔵馬に認めてもらうため。

彼が、はっとして見蕩れてくれるような女になるんだって。

これは、私の目標。

そして、もうひとつは。

中学生の時、私を泣かせて、つらい思いをさせた男の子に、思い知らせてやるため。

目が溶けて転げ落ちるんじゃないかってくらい。

私、あのとき、大泣きに泣いたんだ。

成人式に、彼はきっと来るはず。

同窓会みたいなものだろうねって、昔そう言っていたのを聞いたもの。

振袖を着てお化粧もして、きれいになった私を見て。

彼は後悔するの──あのとき、私にあんな態度取らなければって。

でも、おあいにく様。

私の心は、もう蔵馬のことしか考えられないんだから。

「よぉし!」

私、勢いよく立ち上がった。

成人式までもう一週間をきった。

お風呂に入って、肌をぴかぴかに磨いて。

ちゃんとお手入れしておかなくちゃ。

振袖は少し変わった柄をしているけど、すごく華やかで。

目が覚めるみたいなすっきりした色をしてる。

これに合わせて、どんな髪に、メイクにしようかな。

当日は朝早くから美容室に行かなくちゃならないから、早起きしなきゃね。

用意はととのってる。

あとは私だけ。

張り切って部屋を出て、お風呂に向かった。

当日、晴れるかな。

どんなことが待っているか、本当のところは誰にだってわからない。



努力は、ちゃんと実を結んだ。

早起きだけ、ちょっとあやしかったけど。

蔵馬がちゃんと早朝にコールをくれて、それでちゃっかり目が覚めちゃった。

成人式の朝一番に聞いたのが、好きな人の声だなんて。

『女の子は大変だね…支度に金もかかれば時間もかかる』

男は仕事に行くのと大差ないんだよって、蔵馬は言って笑った。

蔵馬に今日の日程を伝える。

終わる頃に迎えに行くよって、蔵馬は約束してくれた。

蔵馬、私を見てなんて言うのかな。

やっぱり子どもっぽいって、頭を撫でたりするのかな。

私、ホントは、そんなのじゃイヤなのに。

ドキドキしながら美容室へ行って、髪を結ってもらった。

一度家へ帰ってきて、それからメイクと着付け。

慣れない振袖はちょっとだけ重い。

背筋を伸ばして、すまして座っていたら。

私も、少しは大人っぽく見えるのかな。

肩の周りに、憧れのふわふわのショールをのせたら。

誰もが振り返る、大人の女性の第一歩。

今日を境に、私、なにか変わるのかな。



会場の受付は、着物姿の女の子、スーツ姿の男の子でごった返してた。

懐かしい友達が、駆け寄ってきてくれる。

、久しぶり! 元気?」

「元気元気。振袖、きれい!」

もきれいだよ! ねぇ、ほら、………くん、来てるよ。あそこ」

友達は、急に声のトーンを落とした。

秘め事を口にするときの、あの独特の声の色。

一瞬、のどのあたりまで緊張がせり上がってきた気がした。

普通の表情を装いながら、友達が示したほうを見たら。

彼が、他の友達に混じって、そこにいた。

話の中身は、聞こえないけど。

楽しそうに、声をあげて笑ってる。

ひとしきり笑ったところで、彼ははっと、私に気がついた。

目をみはったのがわかった。

心臓がどくどく、跳ね上がり始めた。

どうしよう?

そんなこと、本当は自分に問いかけるまでもないことだった。

何事もなかったように、余裕の笑みを浮かべて。

一言くらい挨拶をしてあげてもいい。

元気?

気にしていたって、何を?

そんなこともあったかな…忘れちゃった。

意外と小心者ね、そんな些細なこと、ずっと覚えて気にしているなんて?

そしてすれ違ったら、私は振り返りはしないの。

それでいいはずなのに、実際の私は一歩足を踏み出すこともできないでいる。

彼はなにか言いたそうにしていて…彼の様子に気がついた周りの男の子達も、私に気がついた。

私が、彼に恋をしていたこと。

あのころは誰も口にしなかっただけで、それは周知の事実だった。

彼が嫌そうな顔をしないから、私はもしかしたらって、ずっと期待をかけていた。

卒業式の日に、それが弾け飛んでしまうまで。

式典が始まりますからと、係の人たちが集まった人たちを会場に集め始めた。

いきなり増えた人の波に、私も彼も距離を縮めることができなくて。

席について、式典が始まってから、私は思った。

声を交わせる距離にならなくて、きっとかえってよかったって。

市長さんのお話も、有名人からの祝電も、何も耳に入らなかった。

私って、やっぱり、子どもなんだ。

自分の考えていることを思い通りに表に出せないくらい子どもなんだ。

せっかくの晴れの日なのに。

私、泣きたくなってしまった。



着付けにもメイクにも美容室に行くにも、ものすごい時間をかけたのに。

式典自体は一時間もかからないで終わってしまった。

実行委員をやったっていう子たちがゲームを用意してて。

目立つのが苦手だから、ビンゴの列が揃わなければいいなと思っていたら。

私じゃなくて、彼が一列を揃えたみたいだった。

賞品を受け取りにステージに上がった彼に。

女の子の声が結構たくさんあがって、それにドキッとする。

彼はその声に見向きもしないで。

ステージに上がって、マイクに向かって一言挨拶をする。

その視線が、一瞬だけ、迷わないで私に向けられた。

彼は、私に何を言いたいの?

聞くのは、恐かった。

本当は、些細なことをずっと気にして覚えてた小心者は、私のほう。

彼にとってはきっと、私なんてちらっと覚えているくらいの女の子でしかないの。

スマートな大人の女性になんて、背伸びもいいところ。

私、ずっと、気持ちの中に引っかかっていた恋を、終わらせることもできていなかったのに。

早くこの会場から、逃げ出してしまいたい。

式が終わってすぐ、友達との話にろくな答えも返さないで。

私、会場から出てしまっていた。

誰と目を合わせることもできないままで。

「──!」

呼び止められて、足を止めたとき初めて。

走り出していたことを知った。

振り返ったら、彼が。

私に駆け寄ってきたところだった。

「……あ、あのさ…元気だった?」

なにを聞いていいのか、きっと彼もわからなかったんだと思う。

私は、どう答えていいか迷いながら。

うん、と一言だけ答えた。

「………くんも、元気そう」

よかったって、呟くようにだけど、ちゃんと言えた。

彼はしばらく、何も言えないまま。

じっと私を見てた。

「…、変わったな…」

「…そうかな」

「うん……」

きれいになった。

彼の言葉は、喉元でもじもじするように、そう言った。

「……、あのときいきなり泣き出しただろ。俺、ずっと、気になってたから」

あのときって、彼は言った。

あのときのこと。

卒業式の桜吹雪の下。

覚えててくれたの。

そして、気にしていて、くれた。

「……あのとき、俺、…上手く言えなかったけど。びっくりしただけだったんだよ。

 嬉しかったよ。ありがとうって、言おうとしたとき……、走って行っちゃったから」

何も言えないまま、距離が開いていってしまった。

そんなことが?

私、彼に何かを言いかけたとき。

後ろから、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。



振り返ったら、少し離れたそこに。

蔵馬が立ってた。

手に、ちいさい花束を持って。

まだ連絡もしていなかったけど。

蔵馬、先に迎えに来てくれていたんだ。

蔵馬は、私と彼のあいだの、ただならぬような空気をすぐに悟ってくれた。

待ってるよって、優しい目がそう言った気がした。

「……あれ、の……」

彼はそれ以上言わなかったけど。

彼氏? って聞こうとしたのが、わかった。

「……よかった。、今、幸せなんだな」

彼を見上げたら、彼は困ったように、笑った。

「応えられなかったのに、身勝手だけど。

 今ののこと、大事に思ってくれる奴がいたらいいなって、思ってた」

彼の言葉に、私。

声が出なかった。

かわりに、涙があふれそうになる。

あのときと同じ、いきなり泣き出すなんて真似、したくなくて。

私、むりやり彼に背を向けた。

「勝手ね」

「…ごめん」

「…いいの。あの人、まだ彼氏じゃないけど。好きだから、頑張るの」

ちゃんと自分の気持ちを。

自分で伝えなくちゃ。

じゃあねって、言い置いて。

私、振り返らないで、そのまま蔵馬のほうに歩き出した。

彼が呟くように、また私のこと呼んだのが聞こえたから。

ちらっと小さく、手を振った。



「……おやおや。涙のお別れ?」

「蔵馬」

「まぁそれはあとにするとしましょう。…成人おめでとう?」

小さないろんな花が束になったブーケは、すっごく可愛くて。

しくしくし始めていた気持ちが、ふっと華やいだ。

ありがとうを言ったら。

蔵馬は全部事情を知ってるみたいな顔で、頷いた。

「…まっすぐ帰宅の予定を変更して、少しドライブでもしましょうか」

「え?」

「涙がかわくまで。……泣き疲れてもうこれ以上絞ったって泣けないってくらいまで、でもいいけど」

助手席のドアを、蔵馬が開けてくれて。

大人で紳士で、思いっきり格好いい男の人が。

私をエスコートしているのを見て、友達みんな、目を丸くしてる。

蔵馬はゆっくり、車を発進させた。

バックミラーの中で、彼と、懐かしい顔ぶれがみんな。

少しずつ小さくなって、遠のいていった。



「……失恋しちゃった」

「…へぇ?」

「失恋したかったんだぁ…」

泣きながら、私、笑ってた。

蔵馬はそんなこと、全然気にしないみたいに。

街の中を車で走り抜けていった。

「失恋したかったっていうのは、珍しいね?」

「………うん」

私、ぽつぽつと、そのことを話し始めた。

彼と同じ学校に通っていたとき。

クラスが離れても、接点が少なくなっても。

心の底で、彼のことをずっと好きなままでいた。

私も彼も、お互いに何も言わなかったけど。

でも、なんとなく、お互いに感じてるものがあったの。

私、ずっとそう信じてた。

卒業式の日に初めて、私、彼に告白をした──

言った途端、ずっと積み重ねてた想いがあふれてしまって。

ぼろぼろ泣き出してしまって、止まらなくなった。

もう、告白どころじゃなくなっちゃって。

そのときの私には、彼が迷惑そうな顔をしたように見えた。

そんな、困るよって、彼は言ったの。

私、これまでずっと信じていたことが、ただの思い込みだったんだって思って。

急に恥ずかしくなって、恐くなって。

走って逃げ出してしまった。

それきり、今日まで……

「好きな女の子が目の前でいきなり泣き出したら、困るだろうね」

蔵馬はハンドルをきって、そう言った。

静かな声は、私のことを責めずに落ち着けてくれる。

「でも、彼、言ってたじゃないか? ありがとうって言おうとしたって」

蔵馬の聴力だったら、きっと聞こえてるって思ってた。

「うん」

「……今なら、叶うかもしれない」

赤信号に、蔵馬はゆっくりブレーキを踏んだ。

「まだ、引き返せるよ」

蔵馬はそう言って、やっとまともに、私のほうを見た。

私、しばらく蔵馬の言ったことを頭の中で反芻して。

ゆっくり、首を横に振った。

「ううん。さよならでいいの」

「…そう」

「うん」

頷いて、ハンカチで涙を拭った。

気持ちが急に、すっきりした。

のどの奥につかえてた何かが、やっととけだしてくれたの。

失恋したかった。

もう、昔の話になっちゃった恋を、自分の中で終わらせてあげたかったの。

そうしたら、きっと。

今好きな人に、自信を持って、好きって言えると思ったから。

「……蔵馬。ありがと」

「いいえ、オレは別に、なにも」

信号が変わる。

青信号は、ゴーサインに見えた。

「蔵馬、あのね」

「うん」

「私、今は、他に好きな人がいるんだ」

「……ふーん」

「ね、誰? って聞いて」

「……気が進まないね」

「どうしてよ! もう」

「……オレは、失恋したいとは、思えないもので」

一瞬、返事に詰まっちゃった。

そう、そういう予感は、今度もしてたの。

「…大丈夫! 蔵馬の恋は、絶対叶うよ!」

私が叶えてあげる。

これからカッコいい大人の女になってく、オイシイところだよ。

そう言ったら、蔵馬はおかしそうに。

「そうか、それはラッキーかな」

そう言って、くすくすと、笑った。



ドライブの終わりに、蔵馬は家の前で私をおろしてくれた。

先に車をおりて、ドアを開けてくれる。

私を見下ろしたら、小さい声で、照れたみたいに、言った。

「本当は、今だって少し見直してるんですよ。…いつまでも子どもではないんだなってね」

びっくりして、蔵馬を見上げたら。

蔵馬はなにか含みのあるような言い方を、した。

「今日は、ちょっとしてやられたような気分だよ。思わず見蕩れて、はっとしてしまったりしてね」

びっくりして、私、無遠慮に蔵馬をじぃっと見つめてしまった。

本当に?

私、蔵馬にそう言ってほしくて、こんなに。

嬉しくって頬にのぼってくる熱を、更にたぎらせるように。

薄く色づいた唇のうえに、蔵馬は初めての、やさしいキスを、くれた──


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