ぷち夢

君の家から帰るとき、
外へ出て、背を向けて、ふと、後ろを振り返る。
上の階のあの窓のカーテンが少しだけ開いて、君がこちらを覗く。
君が見送りに手を振る。
俺はそれに手を振り返す。
君は嬉しそうににっこりと笑う。

たったそれだけのことが俺の足をそこに留める。
君が俺を見おろして、
俺が君を見上げて、
そうして絡んだ視線をそらすことすらただただ惜しい。

本当はまだ帰りたくない

そう言ったら、君はきっと困ってしまうから。
透明のガラス越しに感情ばかりが育ってつのって、
息が白く凍るのも、指先が冷えてかたくなるのも忘れて、
俺は君のその視線の中に
完全にとらえられてしまったことを、
今日もそうして思い知る。

2005.02.04(FRY)
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ありがとうの日

「はい、蔵馬にもあげる」
彼女は花屋でアルバイトをする勤労学生で。
今日は忙しい分早めに上がらせてもらえるからと連絡が入ったので、
暮れかけた街へと迎えに行った。
電車の時間までのほんの数分でも、逢えるなら逢いに行きたい。
そうして身支度を整えて店から出てきた彼女は、
オレを見るなり言ったのだ。
ビニルでくるまれ、リボンをかけられた赤いカーネーションを
一輪差し出して。
「…母の日?」
「そうそう。お花屋さん、大活躍」
えへん、となんだか自慢げに言う彼女。
苦笑しつつ受け取って、花ならいくらでも自分で出せるのにと言うと。
「違う違う、それは私からなの」
「うん?」
「私から蔵馬のお母さんに」
「………」
「ありがとうって」
…なんだか、たぶん彼女の意図しないところを
勝手に意識してしまっているオレがいるのだけれど。
未来の花嫁さんから未来のお母さんに、なんて思うのは…
(舞い上がり過ぎかな…)
オレの内心を知ってか知らずか、隣を歩く彼女は御機嫌だ。
「ありがとう。伝えておくよ」
別れ際のキスはなんだか、
いつもより少し初恋に近い味がした気がする。

問題は帰宅後だった。
彼女から渡されたカーネーションを母さんに差し出してみる。
「あら、母の日? さっきもらったのに」
「う、ー…ん」
なんと説明しようか。
「えーと。つまり。言ってなかったんだけど」
母さんの目には、妙に口ごもる息子がどんなふうに見えただろう?
「…付き合っている女の子がいて」
「あらあら? 初耳だわ」
「………」
母さんは面白そうな顔をしてじぃっとオレを見上げてくる。
もうすでに彼女の身長をオレは追い越してしまった。
「花屋でアルバイトしている子で。それで」
彼女からです、と言うと、
母さんはなんだかいやに嬉しそうに目を細める。
オレからカーネーションをプレゼントしたときとは
ちょっと態度が違って見えるんだけど。
「ありがとうって言ってたよ」
「まぁ、そう、嬉しいわ」
素直にそう言ってにっこりしている。
彼女のことをいつ母さんに伝えようかと
ずっとタイミングを見計らっていたのだけど、
ずいぶん唐突にその時は訪れたものだ。
よくよく考えると、彼女は母さんに対してなにを感謝しているのか。
そもそもは彼氏の母親なんて他人の他人なのに。
オレだってまだ、彼女がいるんですなんて言えもしないでいたのに。
「秀一、今度その子を連れていらっしゃいよ。会ってお礼が言いたいわ」
「え? ああ、うん…」
こんなに大きくなっちゃって、なんて言いながら、
母さんはとっくに自分より背の高いオレの頭をぽんぽんと撫でる。
生きた年数がどれほど長かろうが、中身が妖怪だろうが、
物理的にオレのほうが背が高かろうが、
母さんにとってオレがいつまでも息子であることには違いないのだ。

(ああ、ありがとうって、そういうことなのかな…)

改めて面と向かってありがとうなんて、普段は言ったりしない。
オレが贈った花と彼女が贈った花とを混ぜ混ぜにして活けながら、
母さんはなんだかとても嬉しそうな様子だ。

ありがとう、ありがとう、ありがとう、たくさん、

今日という日と、彼女の気持ちと、母さんとに、
オレはまた改めて感謝するのだった。

2005.05.09(MON) 母の日のショート・ストーリィ
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第三日曜日に 予告編

花屋につとめる彼女と遊ぶには、
彼女のアルバイトのシフトを気にする必要がある。
母子家庭に育ちつつ私立高校に通い、
アルバイトもせずという自分は実はとても甘えている?
蔵馬の内側に存在する自我は高校生の息子の範囲を越えている。
けれど人間として人間の社会の仕組みなんかを学んでからは
やっぱり二十年と経っていないわけで。
そういう意味からすれば、
自分はまだここでは未熟な者なのかもと思いもする。

今月の第三日曜日の予定を彼女に聞いたら、
午前中から夕方いっぱいまで仕事だと嘆かれてしまった。
せっかくのおやすみなのに可哀想にねと蔵馬は思う。
「午前中、店に行くから」
「来るの? 売り上げに貢献してくれる?」
目をキラキラさせて言ったセリフがそれで、蔵馬は思わず苦笑した。
「うん、いいよ。バラの花だけど」
「なんだ、蔵馬の十八番じゃない」
「そうなんだけどさ」
バラに限らず、植物だったらわざわざ金を払ったりしなくても
出すことは出来るだろう、おおよそは。
ただこの日だけは妖気を使いたくないなと、蔵馬は何となく思った。
第三日曜日。
「赤いのと白いのと、それぞれ10本くらいずつ束にしてくれる?
 リボンとかはつけなくていいから」
「うわぁ、今から練習しておこうっと」
彼女はちょっと焦った顔。
花束を作るのが苦手なのかもしれない。
「ね、ね、そういえばお母さん、なにか言ってた?」
母の日に彼女から蔵馬を通してカーネーションが贈られたのだった。
その説明をするために、付き合っている女の子がいるという話を
初めて母親にする羽目になった、唐突に不可抗力に。
「喜んでたよ、今度連れて来いって言われた」
「えぇー? どうしよう!」
いきなり緊張する彼女。
やっぱり彼氏の母親との対面はひとつの関門に思えるのだろうか。
もちろん、会うことを前提とした前向きな試練なのだが。
赤の他人の中に、大切な大切な人を見出して、家族に紹介する。
もしかしたら、いつかこの人も家族のひとりになるかもしれないなんて
予感を誰もがぼんやりと抱きながら。
蔵馬が妖怪だけのままで今も生きているとしたら、
そもそもこんな思考が生まれたのだろうか。
自分にはいくつものルーツがあって、今は妖怪でいるだけではない。
蔵馬は改めてそれを思った。

2005.06.07(TUE)





第三日曜日に 本編

第三日曜日の清々しく晴れた空の下、
蔵馬は彼女がアルバイトをしている花屋へと向かっていた。
実は、彼女が働いているところを見るのは初めて。
ちょっとウキウキとした気持ちは隠しようがない。
通りに面した大きなガラス窓の向こうに、所狭しと並ぶ花々。
手入れが行き届いているようで、どの花もいきいきとして見える。
緊張気味に店のドアを押した。
「いらっしゃいませ!」
二十代半ばくらいの女性が元気な声で蔵馬を迎える。
彼女はいるかと聞いてみたら、何か思い当たったような顔をした。
奥のドアに向かって大声で彼女を呼んだ。
「彼氏来たよ───!!」
ずるっと転けそうになった蔵馬だ。
店の人間に、今日蔵馬がやってくることを宣伝したのだろう。
いや、彼女ならやりかねないと蔵馬は体勢を立て直す。
「あ、蔵馬! いらっしゃいませ!」
ドアの向こうからペットボトルを片手に出てきた彼女。
どうやら休憩中に訪れてしまったらしかった。
「バラの花だったよね、選んで選んで」
バラの花はガラスケースの中に並んでいた。
迷わずに赤いものと白いものとを示す。
「赤いのを10本と、白いのを10本」
「混ぜちゃっていい?」
「いや、それぞれ別に束にしてほしいんだ」
「…花束ふたつ作るの?」
「そう。飾りはいらないから」
花屋勤務でも彼女はきっと知らないのだろう。
バラに限ったことではないが、たとえば花言葉ひとつとっても、
色によって意味が違うなんてことはざらだ。
母の日に贈る花はカーネーション。
今日、六月の第三日曜日は父の日だ。
父の日の花はというと、バラの花なのだそうだ。
白い方は茎の裾を短めに、赤い方は少し長めに残してもらった。
束にするのに邪魔になってしまう茎や葉を落として、
彼女は手際よく花束を作っていく。
ずいぶん昔に蔵馬がこの作業を見たときは確か、
輪ゴムで留めた茎の裾に、
水を含ませたガーゼやらティッシュペーパーやらを巻き付けて、
その上からアルミホイルでくるんでいた気がする。
彼女は輪ゴムの代わりに植物繊維製の紐を使って茎をまとめた。
練習したのかな、なんて思って、蔵馬はつい笑ってしまった。
「白い方、水はいらないから」
「え、しおれちゃわない?」
妖気を通せば水がなくても平気といえばそうなのだが。
「赤い方にだけ、お願いするよ」
彼女は不思議そうな顔をしていたが、
それでも蔵馬の頼み通りにしてくれた。
「ありがとう。今日は何時に終わるの?」
「夕方の5時ー。疲れるぅ」
悲しそうな顔をしたのを見て苦笑する蔵馬だ。
「じゃあ、帰りにもう一度寄るよ。一緒に帰ろう?」
そう言うとぱぁっと嬉しそうに顔をほころばせるのだから単純だ。
店の外まで出て蔵馬を送り出しながら、彼女は最後に聞いた。
「帰りに寄るって、今からどこかに行くの?」
蔵馬は少し、なんとなく、寂しそうに微笑んだ。
「うん…墓参り、かな」
じゃあ、と彼女の返事を待たずに蔵馬は歩き出した。

綺麗な顔の青年がバラの花を抱えて電車に乗り込む、
それだけでかなり人目を引いたものだ。
蔵馬自身にはそんなことはお構いなしだったが。
母親と、義父と、義弟。
それが蔵馬の今の家族。
けれど、実はもうひとり…家族と呼べる人がいた。
母の日には未来に家族と呼べるかもしれない人のことを思ったけれど、
この人は未来には確実にいない、過去の人だ。
盂蘭盆会でも命日でもない今日という日に彼を訪ねるのは初めてだ。
「…やぁ、父さん」
立ち並ぶ墓標のひとつにぽつりと声をかけた。
「オレもこの間初めて知ったんだけど…
 父の日に贈る花って、バラの花なんだって」
白いバラの花束を置いた。
「バラはバラでもね、白いバラは亡くなった父親に贈る花だって」
その場にかがみ込んで、手を合わせ目を閉じる。
何か思うことがあるかと思っていたが、
あまりにも頭の中に去来するものがなさ過ぎて笑いたくなった。
瞼を上げる。
「…知ってるかもしれないけど…母さんは」
少し躊躇った。
死という名の旅に出た彼が、
だからといって妻を恨むなんてことがないのはわかっているが。
「仕事先で知り合った男性と再婚したよ…今は元気でやってる、
 病気もしないし…オレにも義弟ができたんだ。
 生活に張りあいがでてきたみたい」
そうか、と彼の声が頭上に響いた気がした。
納得してくれるだろう。
そう思うのは、残されて生きていかなけらばならない側の、
勝手な都合なのだろうか。
「オレのことも知ってる?
 父さんがいなくなったあとで、一度霊界に行きそびれたよ…
 笑い事じゃないんだけどね」
だけど、ちょっと笑ってしまう、懐かしいくらいの出来事。
「…あなたたちの息子だと名乗るのはいけないことなのかな…」
父親から答えを聞くことはもうできない。
「…あ、そうだ、ちょっと…照れるんだけど…彼女もいるよ。
 この花束、彼女が作ってくれたんだ」
合わせていた手を降ろした。
「…父さんのこと…忘れたわけじゃないよ…」
今の自分を作ったのは、間違いなくこの父とあの母の二人だ。
感謝してる。
声には出さずに呟いた。
赤いバラの花を抱え直して立ち上がる。
「…また…来るよ」
背を向けて、去りかけて…立ち止まり振り返る。
今日言うべき言葉を忘れるところだった。
「ありがとう、父さん」
墓標と白いバラの花束の上に、さらりとした風が吹いた。

街に帰り着いた頃に、
ちょうど彼女のアルバイトが終わる時間が巡ってきた。
花屋に寄ってみたら、待ちかねたように彼女が出てきて
人目も気にせず蔵馬に抱きついてくる。
「…どうしたの?」
「…ごめんね、気付かなくて…」
あとから白いバラの花を父の日に贈る意味を聞いたのだという。
「なんだ、そんなこと」
背の低い彼女の髪をそっと撫でた。
「いろいろ報告してきたよ。彼女がいるって話もした」
「………」
「いつか機会があったら、そのときは一緒に行こう」
蔵馬が思い描くいつかは、父親の墓標の前に彼女と立って、
「結婚したんだよ」という報告をするそのときだ。
「…もう帰れる?」
「うん」
「時間があったら、ちょっと付き合わない?」
「…いいよ…どこ?」
「うち」
「ウチ?」
「先月は母さんに、彼女を連れてきなさいって言われたことだし」
「えぇっ!?」
「日曜だから義父さんもいると思うし」
まずは今の家族に紹介するよと、彼女の手を引いて歩き出す。
夕暮れに沈む街並みに、
じゃれ合って歩くふたりの影が長くのびていった。

2005.06.19(SUN) 父の日のショート・ストーリィ

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悪戯なシンデレラ

彼女は今日、履き慣れないピン・ヒールの靴を履いている。
ヨタヨタとしながらオレの腕に掴まってきたりする。
明らかに歩き慣れていない様子が、ちょっとおかしい。
折につけオレがそうして笑うので、彼女はちょっと御機嫌斜めだ。
誰もいない真昼の駅に着いたとき、
改札を抜けるのに少し手間取ったオレを置いて
さっさと先に歩いていってしまった。
歩きづらそうにしながら、それでも意地を張っているのだろうか?
エスカレータに向かえばいいのに、わざわざ階段を上り始めた。
バランスを崩して転がり落ちたら大惨事だ。
心配になって階段まで駆け寄ったところに、
ころんと落ちてきたのは彼女の靴だ。
「拾って」
見上げれば、女王様が仁王立ちというように威風堂々と、
まぁ、ちょっと横柄にも思えるが…そう言った。
言われるままに片靴を拾い上げる。
白地に透明のプラスチックと、銀のチェーンととりどりのビーズ。
夏っぽくて涼しそうな靴だ。
階段を上っていく。
彼女の目線の高さに追いつく前に、少し悪戯っぽい目で言われた。
「履かせて」
「……今日は女王様の日?」
「シンデレラの日。王子様はガラスの靴を拾うの」
成程、この靴がぴったり合う人がオレの花嫁さんってわけ。
…花嫁というのはちょっと、現実には行き過ぎた表現としても。
彼女の足元に跪いて、靴を履かせてやる。
見上げると、満足そうに笑っている。
どうやら機嫌は直ったらしい、よかった。
そうしてオレが履かせた靴を鳴らして嬉しそうに歩く彼女だけど、
時折またすぽんと脱げてしまいそうになる、
サイズがぴったり合ったわけじゃなかったってことには、
まぁ気付かない振りをしておこう。
どのみちこの子がオレのお姫様ってことにはかわりがないわけだし。

2005.06.25(SAT)

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年下彼氏。 #3

クリスマスになにか欲しいものはありますか。
そうメールしてみたら、たった一言返ってきた。

心配ごとのないのんびりした時間が欲しいです。

それは…オレに贈ることのできるものだろうか。
このところ仕事が忙しいのはわかっていたので、
会いたいとかなんとか、わがままは言えずにいた。
言えばきいてくれるのはわかっていたので尚のこと。
年上の彼女は、年下のオレが甘えてくることを喜ぶみたいだから、
まるで癖のようにわがままを言うこともあった気がする。
今思えば彼女に申し訳ない。
対等でいたいと口で言いながら、オレは立場を利用していた。
オレにしてみれば、甘えられる相手はそうはいないから。
優しくて度量の広い彼女は、
大抵においてオレを拒否したりなどしないのだ。

時間か。
のんびりとできる時間。
どうしようかと思っていたら、今度は電話の着信音が鳴り響いた。
大事な彼女からの電話を受け損ねるなんてことのないように、
着信音を彼女の番号だけ変えてある。
もしもし、どうしたのと聞く前に、
彼女は必死そうな声でごめんなさいと告げた。

「…どうかしたんですか?」
『ううん、八つ当たりみたいな返事しちゃって』
「八つ当たり? そんなことないですよ」
『でも、秀一くんに言うべきことじゃなかったの。ごめんなさい』
「…なんでも聞きたいよ。頼りないかもしれないけどね」
『そんなこと…』

彼女がオレと一緒にいるあいだ、
仕事の話をしないようにしていることには気がついていた。
でもオレはそろそろ、オレの知らない彼女の世界についても、
どんな些細なことだとしても知りたいと思うようになっていた。

「仕事、つらいですか?」
『ん…ちょっと、人手が足りないのよ。それだけよ』
「足りない分忙しい思いをしてるんでしょう?」
『ひとり分も二人分も同じことよ』
「全然違いますよ。二倍ですよ? 無理してるんじゃないですか」
『…大丈夫よ。クリスマスには、会えるからね』
「本当? 嬉しいな…のんびりした時間を過ごせるように、
 計画を立ててみますよ」
『いいのよ、ごめんね、ホントに…気を遣わないで』
「そんなことを言われたら、
 オレのほうが気を遣われてるみたいじゃないですか?」
『そ、そう?』
「いつもオレを甘えさせてくれる分、逆に甘えてくださいよ」
『…でも』
「“でも”も“だって”もなし! オレが決めました」
『無理矢理ね』
「無理矢理でもいいです。頼ってください」

社会人の彼女に、高校生の彼氏に寄りかかれというのは
難しいことなのかもしれない。
それでも、ほんのわずかの助けにしかならないとしても、
彼女の気持ちが安らぐならオレはそれでいいと思った。
今オレにできるなにかがあるとしたら…
それは、オレが彼女にとって安らぎを得られる相手だと
自惚れた上でのことでしかないけれど、
彼女のそばにいてあげることだ。
そばにいられないなら、電話でもなんでもいい、
どんな手段でもいいから彼女のそばにいようとすることだ。
電話の雑音から察するに、彼女はまだ仕事中。
ほんの数分で駆けつけるのはオレにはたやすいことだけれど、
今そうするわけにはいかないから。
ごめんね、
こんな方法でしかオレはあなたの助けになれないかもしれない。
でも忘れないで、
忙しさのあまりあなたがオレのことを忘れてる瞬間にも、
オレはきっとあなたのことばかり考えているから。

2005.12.14(WED)

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64 #3

「私、イベントとか特に興味ない」
「…そう」
私の言葉に思いがけなく蔵馬がちょっと寂しそうな声音で
答えたので面食らってしまった。
「だいたい馬鹿げてない? いちいちわざわざ盛り上がるのって」
「まぁ、この国においてはただのお祭りだからね」
一応は理解ある彼氏の顔をする。
こいつはいつもそうだ、とりあえず自分の意見を押しとどめる。
こいつが引き受けてくれる分私はあまり痛い思いをしないで済む。
蔵馬はそれが私に対するやさしさだと思ってるんだろうか。
「別になにもする気ないから。クリスマスだからって、
 デートとか、プレゼントとか、ケーキとか、…」
「うん」
私が言うと蔵馬は頷いた。
口元は笑ってるが面白くないらしい。
でもそれを表に出そうとは思っていないようだった。
「それでいいよ」
最近こいつは私の前で演じ続けることが下手になっている。
不機嫌を見破るのは前よりももっと簡単になった。
相変わらず屋上が私と蔵馬との密会の場になっている。
別に密会ってわけじゃないし、昼休みに二人で
屋上にいることを知っている奴も相当数いるらしい。
でも誰も邪魔しには来ない。
昼食を終えて、また黙って校庭を見下ろした。
蔵馬の目はもう特定の誰かを追ったりはしない。
「…あのさ」
躊躇いがちに奴は言った。
珍しい、それでいいと言ったのに納得いかなくて
反論に出ようとしている。
「なに」
「口実なんだ」
「なにが」
「クリスマスだからってデートの約束をしたり、
 プレゼントを選んだりするのは」
「…そぉ。」
それでも私には関係ない、私はいつもそういう顔をする。
もういい加減自分でもうんざりしているけど。
「…オレは約束を守りたいだけだから」
「は?」
なにか約束をした覚えはない。
「聞いてる?」
「聞いてるよ」
「…こっちを向かないじゃないか」
「そっちを見なくても声は聞こえる」
「…真面目に言ってるんだ」
奴の声が妙に改まった。
私は蔵馬をかえりみざるを得なくなった。
視線が絡むと、奴はばつが悪そうにちょっと唇を噛んだ。
「…面と向かうと言いづらいんだ。
 だからわざわざこっちを向いてって言ったんだけど」
「自虐プレイ?」
「…そうじゃなくて」
一度言葉を切ると、少し大げさに呼吸をして蔵馬は言った。
「プレゼントしたいものがあるんだけど。
 口実がきけば楽だけどそういうのは興味ないっていうなら…
 ただ普通にプレゼントって言うしかないじゃない」
「それでいいんじゃないの?」
「…誤魔化しきかないじゃないか」
「誤魔化す必要がどこにあるの」
「………」
言葉に詰まった奴を見たら答えはすぐに知れた。
照れてる、こいつ。
「ちょっとモノが大きいんだ。家まで持っていってもいい?」
「…いいよ。いつ」
「いつでも」
私の都合のいいときと言われたから、
明日の夕方…家族がみんな出かけているからと言った。
奴はそれを承諾した。
次の日の夕方、家に帰ってひとりでチャイムの音を待った。
自分が馬鹿みたいでなんともやりきれない気持ちになるけど、
私は確実に蔵馬が来てくれるのを待っていた。
まだかなと何度も思った。
待っていたチャイムが鳴って、玄関を開けた途端にむせ返る。
そこに見えると思っていた蔵馬の顔は目に入らなくて、
かわりに鮮やかな紅色のバラの花が山と玄関をふさいでいた。
「…なにこれ」
呟くと、バラの花の向こうから蔵馬の声が聞こえた。
「約束したでしょう。赤いバラの花64本」
呆気にとられた。
律儀にもこいつは、あんなにテキトーなたとえ話を守ったのだ。
64本のバラの花束、64%の愛情。
「はいどうぞ。結構多いでしょう?」
蔵馬の広い腕の中に危うくおさまっているそのバラの花を、
少し引き受ける。
想像以上に重たい。
結構多いよと言ってたけれど、結構なんてもんじゃない。
両手で抱えても抱えきれないくらい。
やっと花の向こうに見えた蔵馬の顔は、嬉しそうに笑っている。
「あの心理テストの示すところの64%の愛情の具現」
こいつの言い方はなんでこうも回りくどいのか。
「君が思っているよりは、…たくさん、だと思うよ、オレはね」
「…………」
しばらく言葉に詰まったあと、
どうやって活けようかと呟くのが精一杯だった。
嬉しい。
どうしよう、めちゃくちゃ嬉しい。
ここで嬉しい顔をして見せたら蔵馬はなんて言うだろう。
きっと、私は誰かの前でそんな顔を見せたことがない。
意外そうな顔をされるのはすごく、嫌だ。
ありがとうの一言も聞かず、蔵馬は嬉しそうに帰っていった。
どうしよう。
蔵馬が言っていた意味がやっと分かった。
妙なこと言わなければよかった。
イベント嫌いの私に口実なんてモノがあるわけがない。
花束をありがとう、お礼、と言って返すしかないのだ。
それ以前に次ぎにどんな顔をして会っていいのかわからない。
64本のバラの花束、それはイコール64%の愛情…
根拠のない方程式が崩れるのを感じたら、もう迷わなかった。
ありがとうの一言を告げるのにどれくらいの時間がかかるだろう。
不安と照れとなんとなく格好悪いなという思いがない交ぜになって
体温が上がってるような気がした。
握りしめた携帯電話の奥に、蔵馬の声が聞こえた。

2005.12.14(WED)

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please your eyes on me #2

クリスマスには奇跡が起こる…

なんて言葉を、彼女はぽつりと呟いた。
普通の人間だったら聞き逃すような小さな声だったのだが、
蔵馬の耳にははっきりと届く。
彼女はそれを知っているはずだから、
もしかしたら独り言のふりをしてみたけれど
蔵馬に聞いて欲しかったのかもしれない。
「そうだね、なにか起こりそうな予感がする日だ」
蔵馬はそれを素直に飲み込んで答えた。
「神様がお願い事を叶えてくれるとしたら…」
願い事を口にしようとして、彼女はそのまま口を閉じた。
視線は虚ろだ。
その視点が定まることがないのは蔵馬もよく承知している。
彼女の願いはきっと叶うことがないだろう、難しい内容だ。
わかっていて口にする勇気は彼女にはないようだった。
「オレにも願い事があるよ」
誤魔化すように蔵馬は言った。
「読める?」
笑い混じりに言ってみると、彼女は見えぬ目をこらして
蔵馬の妖気から感情の波を読みとろうとする。
「んー…? どきどきしてる…?」
「してる」
「えーと…」
彼女は少し気まずそうに俯いてしまった。
「わからない」
口ではそう言うが、はっきり読めてしまったようだ。
「嘘つきだなぁ」
「嘘じゃないわ」
嘘だ。
その証拠に、彼女ははっきりと照れている。
頬を赤く染めて恥ずかしそうに俯いている姿がただ愛おしかった。
知り合ってからゆっくり時間をかけて、
やっと恋と呼べるような感情が育ってきたところだ。
生まれ持ったその身体障害…のために
人と関わる機会は否がうえでも少なかった彼女にとって、
誰か他人と距離を縮めることは未知の恐怖にも等しかった。
蔵馬の感情を読みとって困惑したのだろう。

──君に触れたい。

「奇跡が起こるんでしょう」
「…わからないわ、そんなこと」
「信じなくちゃ」
「……でも」
「オレは信じるよ。両思いになれるかもしれない」
なんのてらいもなく蔵馬の口から漏れた一言に、
彼女は目を丸くした。
「え?」
「両思いになれるかもしれない、と言いました」
「…誰と?」
「君と」
「…私?」
「うん」
彼女はまた長いこと目を丸くしたまま黙り込んだ。
反応を伺いつつ、蔵馬も黙って待ってみる。
かなり遠回しな告白だった。
お互いの間に恋愛感情が育っている今になってすら、
実は声に出して好きと言い合ったことはなかった。
どこまでもどこまでもなんとなく、が、
蔵馬にとってはつらくなってきていた。
かなり逡巡したあと、彼女はやっと小さな声で呟いた。
「私、目が…」
「うん」
「あなたのことを見つけられないのよ。いつまでたっても」
言いながら、光の射さない彼女の目に涙が浮かんだ。
「大丈夫。オレが見てる」
そっと、こぼれ落ちそうな涙を拭う。
指先で目元に触れ、頬を撫でる、彼女は怯えたりはしなかった。
「ここにいるよって、ちゃんと言うから。大丈夫」
「……でも……」
「ここにいるよ」
彼女の両頬をそっと手で包んでみる。
彼女の華奢な指が、蔵馬の手の上をそっと撫でた。
「ここにいる。大丈夫」
彼女の涙はまだ止まらなかったが、
その口元がほんのわずか、笑みを描いた。
ちいさく頷くのが、指先からもちゃんと蔵馬に伝わった。
蔵馬が嬉しそうに笑い返したのを、彼女の目がとらえることはない。
そのまま、唇に落ちてくるぬくもりに彼女はゆっくり目を閉じた。
クリスマスまではあと数日。
もっと誰かのそばに行きたいという初めて抱く願い事が、
彼女の身の上に起きたちいさな奇跡かもしれない。

2005.12.16(FRY)

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