フェチバトン


「蔵馬」

おもむろに呼ばれて振り向いて、蔵馬は面食らってしまった。

「ちょっ…何…!?」

「じっとしててね」

はえいやと全身を使って体当たりでもするかのように蔵馬にのしかかり、

ソファの上に押し倒すという偉業をたっぷり数十秒かかって成し遂げた。

学生服のボタンがすべて、の細い指先で外されていく。

更にシャツのボタンをふたつほど外されるまで、蔵馬は感動すら覚えながら恋人を見やっていたのだが…

さすがに違和感に我に返る。

。何があったの」

「なんにもないよ…?」

きょとんとした視線が、前髪のあいだから蔵馬に向けられた。

「なんにもなくてどうしてこういうことになるの」

「バトンが回ってきたから」

「…はい?」

「まず蔵馬を脱がせなきゃいけないのね」

そこまで言うとは自分の答えに納得して、また蔵馬を脱がせにかかった。

ソファに身体を預けたままになっている蔵馬の、その膝にはまたがって座るような格好だ。

いつもなら泣いて頼んでも応じてくれないような姿勢なのだが…

「嫌?」

が今気がついた、と言うように顔を上げた。

「いいえ全然。どうぞご随意に」

きっぱりそう答えた蔵馬にはちょっと訝しげな視線を向ける。

「…いつもと逆だね?」

「そうなの」

「バトンって何?」

「蔵馬の身体でどこが好きなのかを答えるの」

「どこがって…どうなの?」

「それを検証するためにまず蔵馬を脱がせなきゃいけないの。抵抗しないでね?」

「しませんよ。こんな美味しいシチュエーションを逃す手がありますか」

蔵馬がくすくすと笑っているのを見て、も薄く微笑んだ。

いつもなら自分がされている、と思いながら、は慎重そうにボタンをすべて外し終え、シャツを開いた。

いつもだったら…今と逆のシチュエーションだったら、は多少なりと抵抗をしているし、

胸元をはだけられて愉快そうに笑っていることなど出来はしない。

いつもこらえきれずに涙を浮かべて、さんざん焦れて媚びて、もう許してというセリフをの口から引き出すまで

ずっと意地の悪い言葉で攻めてくる蔵馬に、今日はちょっとやりかえしてやりたかったのだった。

ベルトをゆるめて、ファスナーをおろしたところでとりあえずの手は止まった。

「…続きは?」

「黙んなさい」

ぴしゃりと言われて、蔵馬はまた楽しそうに笑った。

「じゃあ今日はにおまかせすることにするよ。オレはじっとしてる」

「それでいいの」

は満足そうに一度大きく頷くと、身をかがめて蔵馬の首筋にそっと口づけた。

しばらく何度か小さなキスが繰り返されて、

慣れないくすぐったさにも似た感覚に蔵馬はちょっとうっとりとしてしまっていた。

「恐くないよ、蔵馬」

普段なら自分がに向かって何度も囁くセリフが、今度はから自分に向けられる…

そんな些細なことにも蔵馬はクスリと笑いを漏らさずにいられなかった。

耳の下あたりから点々と首筋にのキスが落ちてくるのを感じながら蔵馬は目を閉じた。

瞬間、小さな舌先が鋭い感覚の上を走ったことに、蔵馬は不覚にも身体を震わせてしまった。

「わぁ、蔵馬ここ弱いんだぁ」

「…面白くないな」

「なぁに?」

「やっぱりされるがままは嫌だな」

の身体を引き離そうと思うのだが、その身体の重みも、押しつけられる柔らかさも心地よくて惜しかった。

蔵馬が手を出してこないのをいいことに、は楽しそうに続ける。

「そう言えば、首って…嫌な思い出があるんだっけ」

「…やめてくれ、寒気がする」

「トリートメントは…」

「禁句」

少し身体を起こすと、蔵馬はの唇を奪って黙らせた。

「続けていい…?」

キスのあとでが囁いたのに、蔵馬は少し逡巡したあとで頷いてやった。

首筋から鎖骨まではキスを繰り返し、時折舌を這わせながら蔵馬の反応を伺った。

慣れない逆の姿勢ながらも少し要領を得てきたようで、蔵馬はいつの間にか肩まで脱がせられてしまっていた。

「器用だね」

「んー、なんか…居づらい」

「居づらいって?」

「だってなんか、…起きたままでいるのってつらい」

「寝てる方が楽?」

「楽だけど今はまだダメ」

の指先がなめらかに肌の上を滑っていく。

が時折、今蔵馬がされているように弄られながら、ずるいずるいと連呼するわけがやっと蔵馬にもわかった。

確かに自分だけが脱がされてされるままになっていて、は何をさらけているでもない。

この状況はなるほどアン・フェアだと蔵馬は思うが、嫌ではない。

ゆえにこれから先もどんなにがずるいと言って懇願してこようとも、

半ば強引に、一方的に攻め続けることをやめることすらしないだろう。

肩から腕にむかってゆっくりと愛撫が繰り返されて、控えめに肌を吸う唇は胸元まで降りてきた。

立って向かい合ってを抱きしめるとこれくらいの身長差だなと蔵馬はぼんやり思う。

柔らかく感覚を刺激されることに何もかもまかせて目を閉じていたのだが、

ふいにその舌に絡め取られ優しく歯をたてられて、思わずのどからうめき声が漏れた。

「わー…蔵馬可愛い」

顔を上げたと視線がぶつかった。

屈託のない表情で笑うに対して、蔵馬は自分でも可笑しくなるほど茹で上がったように赤くなっていた。

「照れてるの? いっつも蔵馬がこうやって意地悪するんだよ?」

「…慣れないもので」

「今度から優しくしてくれる?」

「いつも優しくしてるつもりなんですけど…」

蔵馬は誤魔化すようにを抱き寄せて唇を重ねた。

焦れったいほど時間をかけての熱を上げていくことから始めるのが常だというのに、

今度ばかりは焦れているのは自分のほうで、

は割とカラダも冷静だろうと思うと急速に恥ずかしくなってくる蔵馬だ。

もうすぐにでも力ずくでを奪ってしまいたいくらい、自分の熱だけ高まっている。

「どきどきする? 気持ちよかった?」

がわくわくといった表情で聞いてくるのに少しだけ拗ねながら蔵馬は呟いた。

「だいたいね…男女で身体のつくりからして違うわけだから」

「うん。めんどくさいお話はいらないよ」

「…女の子は遠回しが好きなんですよって話」

「嘘ぉ」

「それで男は逆なんですって話」

「………」

をその気にさせることに時間をかけた方がオレとしては」

「そうじゃないの! 今日の目的は…!!」

と言いかけたところまた唇を塞がれて、

は精一杯呻いてみたのだがそのうち身体中から力が抜けてしまってどうにもならなくなってしまう。

「場所かわりません? さん」

「…やだぁ」

「どうして」

「まだ検証が終わってないの」

「オレの身体のどこが好きかって話?」

は赤い顔をしてうんと頷いた。

「全部好きでしょう?」

「そんなんで納得しないの───!!」

蔵馬が示したショートカット・アンサーに、は思い切りかぶりを振った。

「自惚れ屋!!」

「否定はしないけど…でも」

蔵馬は一端言葉を切ると、意味ありげな目線でを見上げた。

「いつでも今も、それこそオレの身体のどこにでも、が触れてくれていると愛情を感じるからね」

血液が沸騰しているんじゃないかと疑うくらいはかぁっと赤くなって、

もう言葉も出せずに口をぱくぱくとさせた。

蔵馬は満足そうににっこりと笑うと、追い打ちをかけるように続けた。

「ちゃんとわかってるよ。が照れ屋さんなこともちゃんと知ってるから。

 口には出さないけど、普段一緒にいるときも、人に言えないようなことをしてるときも、

 からはちゃんと 愛してる って言葉が聞こえるよ。自惚れたくなるほどにね」

「も、………もう無理!!」

はわけのわからない様子で立ち上がってソファから離れようとするが、

しっかりとその腕を蔵馬に捕まえられてしまって、

まだソファに身体を預けたままの蔵馬に覆い被さるように倒れ込んだ。

「逃 が さ な い」

一音ずつ区切るように彼は言うと、硬直してしまったの身体をしっかりと抱きしめた。

「いつも君は無意識にオレを煽るから困ってしまうよ。

 でも今日は違うよね? 君は喜んでオレを挑発したんだよね?

 オレもそれを喜んで受けたんだから拒否される心配はないわけだ。

 ここまでオレを暴いておいてハイおしまいなんて、そんなサディスティックな趣味は君にはないでしょう?」

「ちょ…ちょっと待って」

「待たないよ…言ったでしょう、男はその気になるのに時間はかからないんだ。

 君がいたいけなオレの身体で遊んでいるあいだにどれだけ焦らされたか知れない」

「いたいけなとか! あり得ない…!!」

「…さんざん遊んでおいて今になってそんなことを言うの?

 酷いな…オレがどんな気持ちで君に身体を差し出したかわかっていてそう言うの? ねぇ」

「なにそれ! 変な言い方しないでよ! 喜んでされるままになってたんじゃない!!」

「そうだよ。動機がなんでも、に積極的に愛されてみたくてね」

「………! 口が減らない!!」

「怒らないで、機嫌直して? 今度はオレが愛してあげる…めいっぱい可愛がってあげるから」

蔵馬はにこにこと恐ろしく害のない笑みを浮かべてをひょいと抱き上げると、

いとも簡単そうに身体を入れ替えてをソファに横たえてしまった。

「もー! 企画倒れじゃん!!」

「ああ、バトンとかいうやつね…オレがかわりに答えてあげようか?

 の身体で好きなところはね、まず…」

「言わなくていいの───!!」

の思惑は蔵馬の舌八丁の前にもろくも崩れ去ってしまった。

がどういう基準でバトンの回答をひねり出したのかって? 御想像におまかせしますよ”

と、

ぐったりとソファに沈み込むを後目に、蔵馬はカメラ目線を決め込むのだった。


── 暗転 ──


フェチバトンから連想したおはなし。
お粗末致しましたm(_ _)m


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