九月生まれのあなたへ


「きゃーーーーー!! いやーーーーーーーーーーー!!!」

「…、頼むから…耳元でそう叫ばないで…」

と言うそばからまた悲鳴が、夜の魔界にこだまする。

「怖いってばーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」

「だから、絶対落とさないってば…」

「いやぁあああぁーーーーーーーーーーーーーっ!!」

を抱きかかえたままで夜の空中散歩を楽しむ蔵馬だったが、

普通の人間の女の子にこの高度はきつかっただろうかとちょっと後悔し始めていた。



魔界都市・癌陀羅。

六人衆のほとんど拠点となっているこの都市に、蔵馬が急に訪れた。

人間界の暦では秋の始まり頃。

「なつやすみ」とか「ふゆやすみ」と呼ばれる長期休暇だけを魔界の仕事にあてている蔵馬が

この時期に癌陀羅を訪れるのは、彼らにとってとても珍しいことのように思えた。

蔵馬の妖気の訪れを感じて彼を出迎えた六人が見たのは、彼が人間の女を大切そうに抱きかかえている姿。

「蔵馬? その女は…」

「ああ…えーと…」

凍矢の率直な問いに口ごもる蔵馬。

彼をからかうチャンスなど滅多にないと、他の五人が群がったことに蔵馬は憮然としていた。

恋人だと紹介された当の本人は、次元のゆがみを越える際に酔いがこないようにと蔵馬に眠らされていて、

彼の腕の中でぐったりしていたのだが…



「い・や・だったらぁーーーーーーーーー!!」



目覚めたはすぐに六人衆と打ち解けた。

蔵馬が黄泉に一応顔見せに行っているあいだにの取り巻きには修羅も加わり、

はすっかりその雰囲気に慣れ始めてしまった。

なかなか若い女性と接する機会のない彼らはを下にも置かぬ扱いで、

黄泉と一緒にの元へ戻ってきた蔵馬は一瞬呆気にとられて立ちつくす。

が、蔵馬の姿を認めると、はぱっと目を輝かせて立ち上がった。

「蔵馬! お帰りなさい」

蔵馬に駆け寄って抱きつくの姿に、七人はやきもち半分、見守る気持ち半分。

「悪かったね、待たせて…」

の様子に満足したのか、蔵馬は人目もはばからずににキスを贈った。



「降ろしてーーーーーーーー! お願いっ…ヤダーーーーーーーーーーーーーーー!!」

「…、絶叫系とかダメでしょう? 遊園地デートはできそうもないかな…」

「そんなこといいからーーーーー!! 怖いってばーーーーーーーー!!」

「まぁまぁ、もうちょっと我慢して…」

さっきのお仕置きだよ、とは言わないで黙ってみる。



「まるで、と七人の小人だな」

「んー?」

蔵馬が苦笑してそんなことを言う。

小人などと喩えられた七人は、目の前で繰り広げられたキスシーンに固まってしまっていた。

ついでに、蔵馬のすぐそばに立っていた黄泉は、自分の身体データがどんどん正常値から遠ざかることに焦っている。

「…蔵馬」

「ああ、悪い、黄泉。彼女がだ」

「…お前、変わったな…」

「そうかな? まぁ、人間界に暮らしてからはね…」

まさか、千年を生きた古狐が、人間の女に本気で惚れるとは?

しかし、いざ本人を目の前にしてみると、なるほどこれならと思わせる何かを感じるのも事実だった。

「いつまでここに?」

「土日のあいだだけね。

 オレも彼女も学校があるから」

「…強行軍だな。お前らしくもない」

「そうだな、オレはともかく、は普通の人間だから。

 ちょっと辛いかもしれないな」

そう言いながら、蔵馬は含み笑いだ。

「…なぁに? 私、ここに来る目的もなーんにも聞いてないよ」

「うーん…企業秘密?」

「ずるい、言いづらいことは全部それ」

拗ねるに、蔵馬は優しく諭すよう言った。

「夜になったら、出かけるからね。それを楽しみにしていて」

蔵馬の言葉に、他の皆が何かに気付いたような顔をしたのを見て、はますます機嫌を損ねてしまった。


「もうっ、どこにいくのよーーーーっ!!」

「…見せたいものがあるんだ。もうちょっとで着くからね」

「こんな行き方しなくたっていいでしょーーーーーーーーーーーーー!!」

「…そう言われても、ね。オレ拗ねちゃったから」

そんなことを言いながら、しかし意地の悪い笑みなどは浮かべていない。

「楽しそうだったね? さっき」

「! 妬いてるだけじゃないっ…」

「そうだよ。妬いてるだけ。でもいいんだ」

蔵馬にしては珍しいセリフに、は思わず蔵馬を凝視してしまう。

の視線に気付いた蔵馬は苦笑しながら。

が白雪姫で、あの七人が小人なら、を迎えに来たオレが王子様役だからね」

「え?」

「そんな話、したでしょう?」

まるでと七人の小人だな。

蔵馬がつぶやいたセリフが、ふいによみがえった。

「さて姫君、そろそろ目的地に到着ですよ」

言われて進行方向へ目をやるが、どうも原っぱが広がっているだけのように見える。

移動高度は悲鳴を上げずに済む程度に下がって、蔵馬が降り立った先は…膝丈ほどの草が茂る野原のど真ん中だった。

「…よし。特等席だよ」

抱えていたをやっと降ろす。

蔵馬にしがみついたままでそっとそこに降り立ったは、草の葉の冷たさに思わず身震いをする。

「…寒い? そろそろだから、…空を見てて」

「空?」

言われて空を仰ぐ。

青い夜だ。

薄い雲がきれぎれに広がっている。

「…来たよ」

冷たさにまだ震えるをしっかり抱きしめたまま、蔵馬はそう囁いた。

途端、強烈な光があたりを一挙に包み込んだ。

「!」

「大丈夫…少ししたらおさまるから、目を開けてみて…」

そっと、少しずつ目を見開くと…青い草達が音を立てて成長してゆく様が目に入る。

「…なに…?」

「…特殊な環境でだけ咲く花があるんだよ…人間界にも似たような性質の植物はあるけど」

そう言う間にも草はの肩の高さを超え、空を覆うように伸び続けてゆく。

「…月に恋をする花と言われるんだ」

蔵馬は空を見つめたままで呟いた。

「この野原の上を真っ白な満月が通り過ぎるとき、この花は一気に成長するんだ」

伸びた茎は絡み合い、枝分かれして蕾をつけている。

「魔界の月が白く見えることは本当に稀で…血で汚れた赤だったり、土に濁った黒だったり」

と蔵馬の頭上に、白く巨大な月が差し掛かる。

「…奇麗でしょう? 白い満月がこの花の上を通るなんて、もちろん決まった周期なんかはなくてね」

「………!」

あたりが昼のように明るく照らし出された。

蕾がふっくらと丸みを帯びて、ゆっくりと開いてゆく。

白いふわりとした花びらに包まれていたのは、透明度の高い、ビー玉ほどの大きさの結晶だった。

「奇麗…!!」

「花の涙だよ」

「涙…?」

「この花達は、いったいどれほどの年月を経て、愛しい月に逢えたのだろうね…」

蔵馬はそんなことを呟きながら、花のひとつに手を伸ばすと、丁寧な手つきで結晶をひとつはずした。

「寂しい涙ね…」

差し出されたの両手に、そっと結晶を載せてやる。

「…嬉しい涙だよ…やっと逢えた、嬉しい涙だ」

「…………」

はひやりとした結晶を大切そうに両の手に包み込む。

「盗賊達のあいだでは昔から、希少価値の高い宝石のひとつとして知られていたんだ。

 盗賊だけじゃなくて、誰がお目にかかることも珍しい結晶だから、こんなおとぎ話も語られてきたのかもしれない」

が結晶を抱く両の手を、蔵馬の両手がやさしく包み込んだ。

「君が持っていて」

「…いいの? 私…」

蔵馬はにっこりと笑ってみせると、の細い肩を抱き寄せる。

「千年を生きて、やっと大切な人を見つけたんだ…」

「…え?」

「でもね、オレはずるい狐だから。嬉しくても泣かないんだよ」

の瞼に優しいキスを落とす。

「暗いところを生きてきたオレにとって、君は眩しすぎるかもしれないな…」

「…そんなこと、…」

「だけどね、時間がかかっても眩しくても、追い続けることに決めた」

少し離れて、蔵馬は真正面からを見つめる。

「これは、オレのワガママ」

困ったように笑う。

蔵馬が照れているときの顔だということは、にもそろそろわかってきている。

彼の気持ちのすべてが嬉しくて、は花のように微笑んだ。

「…ほら、もうすぐ人間界時間でちょうど0時だ」

「………え」

蔵馬の腕時計を覗き込む。

同じ夜ではあるが、魔界とは少し時間軸がずれているらしい。

時間を刻むちいさな音が耳に届く。

3、2、1、、、、、、、

蔵馬はと魔界へやってきてからいちばんの笑みを浮かべた。

、誕生日おめでとう」

「……ありがとう………」

「いいタイミングだったよ。

 …なにか特別なことをしたかったんだ」

蔵馬は満足そうに空を仰いだ。

大きな白い月はゆっくりと花々に背を向けて、そこを去ろうとしていた。

「…またいつ逢えるかわからない恋人なのね」

「そうだね…でも、その愛情が裏切られることはないんだよ」

だから花たちは日々のまどろみの中で、恋人の気まぐれな来訪をいつも待っている。

月の光が弱まるにつれ、花たちは空に向けて精一杯伸ばした手をするすると地に戻してゆく。

そうして数分もしないうちに、そこは一面の草野原へと返っていた。

「…帰ろうか」

蔵馬はまたをしっかりと抱き上げる。

「戻ったら、今度はみんなでお祝いだからね」

「えー…」

「手配は幽助が担当したから…まぁそこそこ人間界風であることを祈ろう」

「なにそ、」

れ、とがいい終わる前に、蔵馬はまたぴょいと夜空に跳び上がっていた。

「だからっ……」

蔵馬がああしまった、と思った瞬間。

「高いのはイヤだってばぁあーーーーーーーーーーーーーー!!!」

耳をつんざく悲鳴が魔界の夜空に響いたのだった。


■■■ 雪花から九月生まれのあなたへ ■■■

九月から始まりました「誕生日12題」です。
雪花と当サイトの蔵馬より、
九月生まれのあなたへ贈り物です。

よいお誕生日、素敵な一年となりますように。

雪花より。

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