八月生まれのあなたへ
自分のことのように浮かれたみたいに、蔵馬はの誕生日の計画を立ててくれたらしい、それはもう綿密に。
健全じゃなくちゃダメ、と赤い顔でが付け足した条件を蔵馬は渋々のんだのだが、
いきなりそれを覆すように目隠しをされ、どこからちょっかいが飛んでくるかもわからないままに抱き上げられて、
いずこかに連れて行かれようとしている。
風がびゅんびゅん耳元を音を立てて通り過ぎる。
塞がれた視界に頭をくらくらとさせながら、それでもは周囲の空気がいつの間にか様変わりしたことにちゃんと気付いた。
目隠しの意味もあまりなかったのではないかとちょっと思う。
人間の身にぴりぴりとしみる魔界の障気は、目隠し程度で誤魔化せはしない。
やがて移動するスピードが緩やかになって、息ひとつ乱さない声で蔵馬が「はい、着いたよ」と言った。
抱きかかえられていたのを降ろしてもらい、目隠しを外してもらって、急にまぶしさを増した視界に目をしかめる。
見慣れた光景だろう、装飾の施された柱の群に石の壁。
魔界の中でも珍しいのではないかとは思う、街の整えられた場所…癌陀羅。
と、思ったら。
「…ここどこ?」
「黄泉のところだと思ったでしょう」
降ろされて蔵馬にしがみつくようなままの格好で寄り添い立っているに、優しい声が降る。
ほんの一時間もなかっただろうが、久しぶりに蔵馬に会った気がしてはじぃっと彼の目を見つめた。
「どうしたの?」
「ううん、ちょっとぶりに会えて嬉しい!」
蔵馬の首に抱きついて、ちゅっと短いキスをする。
蔵馬もなんだか嬉しそうにの身体を抱きしめ返した。
「はいはい。ちょっとぶりだね、今日は一日中一緒にいるよ」
髪を撫でてもらい、もう一度キスをしようかというところに、わざとらしい咳払いが聞こえた。
いつの間にか、蔵馬ととを少し離れたところから見ている人があった。
「ああ、躯…すみませんね。せっかく会場を提供していただいたのに御挨拶もなしに」
「…場所と場合を考えろよ、狐」
「…そいつらには言うだけ無駄だぞ…」
呆れ返ったような躯の背後から、飛影が現れてまずぼそりと突っ込みを入れた。
いつも蔵馬ととの当てられ役をやらされているのは飛影のほうだ。
「さて、誕生日パーティとやらだったな…来い、」
「え?」
「狐、しばらく借りる」
「ああ、はい、お手柔らかにお願いしますよ」
「何、心配するな…取って食いやしないさ」
にやりと意味ありげに笑う躯に、蔵馬は少なからず嫌そうな顔をする。
が主人にくっついてはしゃぐ子犬のように躯にじゃれているのがまたちょっと気に入らなかったりして。
他の男たちならともかく──特にこういう事情での周りにはどうしたって男は多くいる──
歴とした女性である躯にやきもちとは。
(いや、認めない)
無理矢理自分を納得させてを見送ると、自分は裏方に回るべく飛影とともに別室に向かった。
「ねぇ、私、百足の中を見るの初めて!」
「ああ、そうだったか?」
「うん、こんな風になってるんだぁ…一回乗ってみたかったの」
が目をきらきらとさせてそう言うので、躯はわずかに得意になったりする。
躯に伴われてやってきた部屋で、はまず四方八方から羽交い締めにされた。
「な! なに!?」
「下級兵とも77人の側近とも別に、メイドくらいはいるさ」
もちろん妖怪だが、可愛い女の子たちがを捕まえてずるずると引きずっていく…その先は。
「まずは風呂にでもつかってこい」
「なんで!?」
「ありがたく思え、他人でここの湯を使うのはおまえが最初だ」
冗談めかして躯はそう言うと、さも愉快そうにひらひらと手を振った。
世話係にいじくり回されながらの入浴などもちろん初めてだし、湯浴みを終えたの顔が赤いのは湯の熱のせいだけじゃないだろう。
「今更照れるところか? 女同士で? 相手が狐なら平気なんだろ?」
「もぉ! 変なこと言うし!! どうせ一般人です!!」
風呂の世話までされることには慣れてはいない、もちろん。
肌を磨かれて、香油を擦り込まれて、ふわふわに乾かされた髪をまとめられて、化粧を施されて、
もうありとあらゆることを自分以外の手がすべて驚くべきスピードでこなしていく。
はもう半ば圧倒されてじっとしていた。
「誕生日だろ、おまえが主役だ」
躯が端からを眺めつつそう言った。
「まぁ他に女がいないからな…自然、の世話はオレが引き受けることになったが」
蔵馬も含めた皆での誕生日パーティ計画らしいのだが。
「人間界では祭りやら宴やらをどうやるのか、オレは知らんからな。浦飯の指示どおりにしているとだけ言っておこう」
「それ、すっごい不安」
が心底うんざりした顔をしたのを見て、躯は我が意を得たりというように満足そうに笑った。
一方そのころ、幽助たちと合流してパーティ(と言うよりは飲み会に近い気がしてならない)の準備を
すっかり終えて、蔵馬はの到着を今か今かと待っていた。
詳しいことは聞かされていなかったのだが、しかし今日のヒロインはなのだから、
相応にもてなしをしようということにいつの間にか決まっていたということだった。
「それにしても女の支度ってのはなんでこう…遅せーんだ…」
ごちそうを前に待ちくたびれて、幽助は軽く壁に八つ当たる…どか、と嫌な音がしてあわれ、あっけなく陥没する。
「…躯に殺されるぞ」
「ケチケチすんなって」
「ケチで済む問題じゃないと思うけど…」
呆れ気味に幽助を見やる蔵馬だが、を待ちくたびれているのは誰よりも自分だという自覚が実はある。
飛影に聞けば、躯がを引っ張っていったのは躯個人専用のバスルームだそうで、
同性同士で過ちが起きるわけでもなし(もちろんそうだ)でも妙な不安が拭えずにいたりしたのだ。
広めの会場…酔って暴れても問題なさそうなくらいには広いその部屋には蔵馬の他に幽助に飛影、
六人衆と黄泉、修羅まで揃っていたりする。
修羅が初めて乗る百足に興奮してはしゃいでいるのと同様に、
黄泉も初めて乗り込んだ元敵陣営の本拠地に少なからず驚いたりもしているようだ。
躯が見たら「してやったり」、なんて言うんじゃないかなと蔵馬は思いつつ、
未だ現れないを気にかけてちらりとドアのほうに目線を送る。
「おいおい旦那。気になるか? 躯は女だぜ、ヤキモチたぁみっともねーな」
「誰が何に妬いてるって?」
不機嫌そうに幽助をにらむ蔵馬の、その口元が何となくばつが悪そうで、幽助はにやりと笑う。
「別にそういうわけじゃないよ、ただ…確かにちょっと遅いかなと…」
蔵馬らしくなく語尾が濁る。
ヤキモチと言われて自覚したのは、が家族にすら見せないようなどんな奥深くすら知っているのは自分だけ、
というちょっと危うい優越感を崩されたような気分…だった。
目隠しをして抱き上げて連れてきた、その間は全身で蔵馬の気配だけを感じていたはずだ。
が自分の手を離れてそれでも一時間半ほどしか経っていないが、なんとなく腕がそわそわしているように思える。
(…こんなに落ち着かなかったっけ、がいないってだけで)
自覚しているよりもずっと、自分はこの恋にハマっているらしい。
参った、とちいさく息をついたところに、扉が開く重い音が響いた。
躯がすたすたと歩いてくる。
「主賓の到着だ、野郎共。野暮な真似すんじゃねーぞ」
くるりと振り向いた先に、まだはいない。
躯の言葉で皆が一斉に開け放たれた扉に注目しているのだが…ひょいと、の顔だけがのぞいた。
躯のメイドたちが頑張って(楽しんで)飾ったのだろう。
髪に小さな花飾りがいくつも留められて、耳朶にきれいな石が埋め込まれるように留められていて、
化粧もほどこされているのがわかる。
普段はそれほど飾った姿を見せることがなかったので、男性陣は一様にぽかんとしてしまった。
「む、躯のばか! 変なこと言って煽るから…!!」
「いーじゃねーか。魔界では見られないブツだからな、そりゃあ見物だろう」
「またそんなこと!!」
女性二人の言葉の応酬だが、は扉の陰から顔だけ見せている状態だ。
「…、なにしてるの?」
蔵馬が首を傾げてそう聞いたのに、はぎょっとしたような顔をする。
「連れてこい、旦那の役目だろ」
幽助にどんと背中を押されて、蔵馬はまだ首を傾げながら扉のほうへ歩き出す。
「やだぁ! ちょっと待って、まだ来ないで!」
「え…その言い方はないんじゃないの?」
歩みを止めず、蔵馬は苦笑するが…背後の一同がなにか笑いをこらえているような空気を醸し出しているのに気付く。
振り返ってなに、と聞けば、いいからいいからと気味の悪いほど笑みを浮かべて、さっさとを迎えに行けと急かされる。
「…不気味だな…なにか罠でも張ってるってわけ?」
おあいにく様、引っかかりはしないよ…と言いながら一歩扉の外に出てを目にするなり、
蔵馬は張られた罠に見事に引っかかって硬直してしまった。
「…………」
「う、や、やだ、そんなじろじろ見ないでよ…」
恥ずかしそうに身をよじるは、もう扉の陰になって皆には見えていないだろう。
蔵馬はなおも二の句を継げずにいる。
「もぉ! 蔵馬ったら!!」
悲鳴に近いような声で言われて、蔵馬はやっと我に返った。
「え? あ、ああ…えーと…」
「おーい蔵馬ー。舌回ってねーぞー」
「…心拍数が上がっているが」
からかいや突っ込みに釘を差しておくことすら今の蔵馬には困難だった。
躯とメイドたちの手によっては、真っ白なドレスに身を包んだ花嫁姿に仕立て上げられていたのだ。
「な、なんか言って…」
沈黙が苦しくなってきたらしい、は顔を赤らめながらも諦め気味にそう言った。
答えるかわりに、蔵馬は唐突にに歩み寄って抱きついた…のが、扉の陰になっているので皆には野次馬のしようもない。
「ちょっと、蔵馬、やめ…………!!」
閉まったままの片扉の向こうでの声が不自然に遮られた。
おいおいおい、と取り残された一同は覗き見したいのと突っ込みをを入れたいのとが入り交じった気持ちで脱力してしまった。
ただでさえ重くて動きにくいウェディング・ドレス姿で、
蔵馬の腕に絡め取られて抱き寄せられたら、逃げることなどかなわないだ。
そのまま腕の中で唇を奪われて、されるがままになるより他がなかった。
扉に遮られて誰も止めてこないのをいいことに、蔵馬はもう他人の存在など忘れてを離そうとしてくれない。
「や、ちょっと! 蔵馬…」
無理矢理蔵馬の胸元を手で押しやってやっと離れられたのだが、力も抜けかけて目が潤んでいる。
まだ抱きしめてくる腕からは逃れられずに、はどうしようもなくて俯くしかなかった。
「どうしちゃったの? 今日はの誕生日だよ?」
「そ、そうよ、それがどうしたの…」
まだキスの嵐を警戒しながら、は上目遣いでちょっと蔵馬をにらむ。
「ウェディング・ドレスだなんて。自身をオレにプレゼントって暗示じゃない」
「そ、そんなことっ」
「そんなこと、ない?」
ちょっと悲しそうな、切なそうな目で見つめられて、はぐっと言葉に詰まる。
「そんなことないんだ? 心臓が止まるかと思うくらい嬉しかったのに。そんなに簡単に否定してくれちゃうんだ」
「え、待って、…なんでそういう展開になるの〜〜!?」
心底困惑した様子のに、蔵馬は思わずくすくすと笑い始めてしまった。
「ごめん、………びっくりして」
まだなお笑いながら、恥ずかしそうに顔を上げたと額を突き合わせて。
「すごく綺麗。見蕩れた」
今日限り、お遊びなのが残念だよとささやかれて、もぼぅっとしてしまう。
「おーい。おふたりさーん。そろそろ出てきてくんね? 限界ッス…」
幽助のげんなりした声に呼び戻されて、蔵馬は恭しくの手を取ると、扉の奥へと導いた。
やっとみんなの目の前に現れた本日のヒロインだが、また人々の目にさらされて歓声を浴びることで
照れて萎縮してしまう。
恥ずかしい、と言って蔵馬の陰に隠れようとするのを、蔵馬自身がちょっと微笑ましい気持ちで見ていた。
「似合ってるのに。自信持って、堂々としてくれなくちゃオレがカノジョ自慢できないでしょう」
「しなくていいのー! ばか!!」
「はいはい、冗談ですって」
恋人同士のやりとりは、それはふたりきりでいればこんなものかもしれないが、
ただでさえ恋愛に疎いところに生きる一同にはこのやりとりは胸焼けものだった。
「幽助がたくらんだんですってね!」
恨みがましい視線を苦笑いで受けつつ、幽助はまぁ落ち着け、とをなだめて。
「静流さんのコネなんだよ、そのドレス。だから明日は人間界でそれ着てパーティな、それが借りる条件で。
つか静流さんが乗り気だったんでひとつヨロシク」
「勝手にそんなこと決めて!」
ぷりぷりと怒ってみせるだが、それも格好のせいでなんとなく勢いがそがれてしまう。
「んじゃ、の誕生日を祝ってー!」
幽助が音頭をとっての乾杯のあと、待ちわびたように酎が酒を飲み始め、他の皆はその空気に飲まれ、
酒豪らしい躯も百足の中の酒を次から次と運ばせ始め、
の誕生日を祝うはずがとんでもない飲めや歌えのどんちゃん騒ぎになってしまった。
当の本人とホスト役の蔵馬とがいちばんおとなしかっただろう。
ドレス姿のままでこんな酒びたしの部屋にいたら、
借り物なのに酒臭いウェディング・ドレスになってしまうのではとはちょっとだけ危惧したりした。
魔界では人間界でするほど大げさに誕生日を祝うなんてことはないようで、
皆から祝福の言葉を次々に受け、贈り物を受け取ったりするを見て、修羅がいいなぁとしきりに呟いていた。
耳のいい彼の父親はちゃんとそのつぶやきを聞いていて、修羅の誕生日にはとすでに計画を練り始めていたりする。
そうして夜まで騒ぎは続いてゆくのだった。
その夜、ドレス姿のままのを抱え上げて、蔵馬は百足の頂上とも言えそうな場所へ飛び上がった。
「わぁ! 高い…!!」
「怖くない? まぁ、オレはそれほど飲んでないし落っことす心配は要らないと思うけど」
夜ともなるとさすがにどかどかと森の木々を踏み倒しながら走り回るということはないようで、
静かな魔界の夜に同調していくように百足も静まり返ってそこにいる。
「…今日は、ありがとう…楽しかった」
軽い酔いを醒ますように、はぱたぱたと手で頬を仰いだ。
ドレスの裾を持ち上げて、気をつけながら蔵馬と並んでそこに座る。
「結局はの誕生日を理由にした宴会になっちゃったけどね」
ごめん、と蔵馬はちょっとすまなさそうに言った。
「んー、でもケーキあったし、ろうそく消したし、みんなお祝いしてくれたからいいの」
静まり返る魔界の森、夜の空に珍しく白い月が浮かんでいる。
二人はしばらく黙ってそれを眺めた。
「…以前ね」
「なに?」
蔵馬はのほうを見ないまま続ける。
「前に、誕生日の話題が出たことがあったんだけど…覚えている?」
「何回かあったんじゃない? さぁ、そんなに詳しくは…」
「うん…たとえばオレは雛祭り生まれでからかわれることがある、とか」
本人は気にかけていないことだが、蔵馬の誕生日を初めて知った人は大抵同じ反応をするようだ。
「は、八月…夏休みだから。当日に友達に祝ってもらったことがないんだって、言っていたでしょう」
「………うん」
は驚いて目を見開くと、かろうじて頷いた。
頬が熱くなってくるのはアルコールのせいじゃない。
そんな些細なことを蔵馬が覚えていてくれたなんて。
「だから、二人で誕生日もいいかなと思ってたんだけど…友達に囲まれた誕生日もいいな、って」
それだけなんだと、蔵馬はやっとのほうに視線を戻す。
白い月の光がやさしく青白く蔵馬を照らしていて、息をのむほどそれが綺麗で…は目を離せなくなってしまった。
「だから、提案したのはオレなんだけど。オレにまでサプライズがあるとは思わなかったな」
笑いながら、のドレスの裾をつまんでみせる。
「驚いた。夢かと思った…」
足下に目線を落としながら、蔵馬はしばらく黙り込んだ。
二人で並んで、そのまま何をするでもなく景色を眺めている。
「…誕生日、おめでとう」
「…うん、ありがとう」
照れたように笑うがいつになく綺麗で儚げに見えたのは気のせいなのだろうか。
たまらなくなって、蔵馬はまたきつくを抱きしめ、キスの雨を降らせる。
百足内部では、と蔵馬との姿が消えていることに気付いてちょっとした波紋になっている頃だろうか。
キスをしながら、蔵馬ははたと気がついてちょっと離れてしまった。
「…これは困ったかも」
「…なぁに?」
「ウェディング・ドレスだから…オレのためと思えばずっとでも着ていて欲しいけど」
「うん」
「脱がせたいなと思うヨコシマな気持ちもあってだね…」
「……! もう、ばか!!」
怒るにまだちょっと意地悪をしながら本当は、
これ以上ないくらい幸せな気持ちに満ち足りて、今がずっと続いたらいい…なんて思っている蔵馬だった。
■■■ 雪花から八月生まれのあなたへ ■■■
夏休みのお誕生日、いかがお過ごしでしょう。
雪花と当サイトの蔵馬より、
八月生まれのあなたへ贈り物です。
よいお誕生日、素敵な一年となりますように。
雪花より。
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