七月生まれのあなたへ


の誕生日当日まで一週間ほどなのだが、

蔵馬はどうしても魔界に行かなければならないとかで、

つい笑いたくなるくらい何度もすまなさそうに頭を下げた。

「いいよ、大丈夫だよ、誕生日には帰ってきてくれるんでしょ?」

こういうわがままは本当は蔵馬を困らせてしまうのかも…とは思うけれど、彼女なんだから。

わがままを言うのは恋人の特権のはずだ。

「必ず帰ってくるから、ごめん、本当に…」

戦場に出かける兵士のような…そう言うのは不謹慎かもしれないけれど、

そんなセリフを最後に告げて、蔵馬はに背を向けた。

たしかに彼は戦いに行くのだ、内容の是非はともかくとして。

だとしたら、蔵馬が帰ってきたときに安心できる場所が自分であるように。

なんだか誕生日は二の次に思えてしまった。

蔵馬が人間界にいなくなった次の日、もちろん携帯電話は繋がらない。

わかっているけれど指が勝手に蔵馬の番号を探す。

誰がいなくなっても世界は大抵普通に回っているように見えるし、

自分も普通どおりに朝起きてコーヒーを飲んでいるところだ。

ただ確実になにかもの悲しい感じがの胸をよぎるのだ。

蔵馬一人の存在が、少なくとも自分にとっては大きくて大切で、失うのはつらい。

一週間がこんなに遠く思えたのは初めてだった。

電波が繋がらないところに…などと繰り返すアナウンスを掻き消すように電話口に呟いた。

早く、帰ってきて。

あいたいよ。

本人を目の前にしたら恥ずかしくて言えそうもない言葉だ。

胸元になにか切ないようなものを抱えながら、一日はあっけないくらい普通に過ぎていく。

不自然に明るい午後の三時、温度は高くて家の中にいると蒸し焼きにされている気分だ。

汗を拭って、窓から差し込む強い日差しに目を細めると、

その光を遮るように何か黒い大きなものがテラスにばさりと舞い降りた。

大きな鳥に見えるが、どうも感じる気配が妖気に近い。

敵意のない目がを見つけて、くるるとのどを鳴らしたように聞こえた。

嘴に何かをくわえている。

は恐る恐るテラスのガラス戸を開けると、その鳥のほうに手を伸ばしてみる。

鳥はくわえていたものをぽいとの手のひらに載せると、また満足そうにのどを鳴らして飛び去った。

窓全体を覆うほどに大きな鳥がこれだけ低空飛行をしていれば、

歩く人々も気付きそうなものだったが誰の目にも映らないらしい。

それは見上げる暇がないとか、本当に気付かないのではなく…見えていないのだと察した。

鳥が置いていったのは白い封筒だった。

「人間界・皿屋敷市の様」

宛名も住所もずいぶんとアバウトだが、

人間界という言葉が入るということは次元を越えてのメッセージなのだろう。

(蔵馬だ…!!)

慌てて封を切る。

引っぱり出した紙片からは、淡く蔵馬の気配がすぅっと漂った。


  

  脅かしたかもしれないけれど、あの鳥は大人しくて人懐こいから心配いらないよ。

  さすがに人間界と魔界とじゃ携帯電話は通じないし、

  ちょっと古風な方法だけれど手紙を書くことにしたんだ。

  七月は文月というし、ふみの日という記念日もあることだし。

  毎日ささいなことだろうけど、近況報告でもしようかなと思っています。

  それも帰るまでの一週間だけど、こんなに一週間が長いと思ったのは初めてだよ。

  手紙が新鮮なのも物珍しいうちだろうしね。

  やっぱり会って話すのがいちばんだな。

  早くのところに帰りたいよ。


そのあとに簡単に魔界でやっていることの報告などが書かれていて、

誕生日には必ず帰るからねと結ばれていた。

(うわぁ…すっごい、嬉しい…!)

ラブレターと呼ぶにしてはちょっと内容が質素だったけれど、

これは返事を書かなくちゃとは焦って封筒と便箋を探した。

メールやらなにやらばかり使っていて、普段手紙なんてほとんど書くことがない。

やっと見つけたのが郵便番号の桁数が五桁時代の茶封筒で、はガックリと肩を落とす。

ノートを破ってなんて品がなさ過ぎる。

ラブレターなんて代物じゃないとしても、読むのは愛しい恋人なのだから…

はがばりと立ち上がり、文具屋へと出かけるべく勇んで部屋を出た。

一口に便箋と封筒、レターセットといっても種類は豊富で、

は森に迷い込んだような心地で数々の品を眺めてまわった。

夏らしいものと思えば花火、金魚、風鈴、すいか、ひまわり、本当に様々ある。

水彩画で花火の絵の入った便箋とお揃いの封筒、ついでに色を合わせてペンまで選んでしまった。

好きな人にあてて自分の気持ちを文字で綴るなんて、なんてどきどきとすることだろう?

この手紙を読んでいるとき、蔵馬はどんな顔をするのかな?

想像するだけで胸が高鳴る。

帰宅してさっそく便箋に向かうこと一時間、考え過ぎなのか考えがなさ過ぎるのか、

筆はさっぱりと進まなかった。

翌日、また強い日差しの中をあの鳥はやってきた。

嘴にはまた手紙をくわえている。

「よしよし、ご苦労様」

手紙を受け取って、鳥の頭を撫でてやると、羽毛が黒いせいか妙に熱を帯びて熱く感じられた。

冷たい麦茶のコップを半分興味本位で差し出してみると、

喜んで頭を突っ込もうとするのがなんだか可愛らしい。

「蔵馬は元気?」

聞いても答えは返らない、言葉を話さない鳥なのだろう。

「これを渡してくれる?」

書いた手紙を差し出してみる。

宛名はともかく住所がさっぱりわからなかったので、魔界でお仕事中の蔵馬さんへ、と書いてみた。

どきどきしながら鳥の反応を待つが、喜んだ様子でぱくりと手紙をくわえて、即座に空へと飛び立った。

夏の盛りに黒ずくめでは暑いことこの上ないだろうから、

これからは毎日麦茶を用意してやろうとはひとりうんうんと頷いた。



一方、魔界で鳥の帰りを待っていた蔵馬は、からの返事が運ばれてきたことに目を丸くした。

宛名を見てクスリと笑いが漏れる。

それだけでなんだか、は大丈夫そうだと察しがついた。

いや、自分が側にいなくて大丈夫などとはちょっと思いたくないのだが。

そっと封を開けてみる。

らしい可愛らしい便箋だなと思ったが、それがまさか唐突に買い求められたものとは思いもしない。


  蔵馬へ

  お手紙ありがとう。

  お仕事は順調ですか?

  私も一週間って長いなぁって思ってたとこなの。

  やっぱり直接会えなきゃつまんないよね、早く帰ってきてね。

  戦ったり無理したりしてない?

  怪我して帰ってきたら許さないからね!


が拗ねたような起こったような顔が目に浮かぶようで、

読みながら口の端に笑みが浮かぶのをどうにもこらえきれない蔵馬だ。

くすくすと笑いの止まらない蔵馬と、それを影から見ながら冷や汗をかいている幽助たち、

そんな光景が一週間続くことになる。

それから離れているたった数日に、手紙をやりとりすることがお互いの楽しみになった。

相手の返事を待ちわびて、鳥のやってくる時間頃になるとそわそわと外を気にし始める。

鳥に麦茶を飲ませてやりつつ、は手紙と一緒に入っていた不思議な石をためつすがめつ眺めていた。


  なんでも、昔の人は旅人に石を託して、恋人に届けてもらったんだって。

  それがラブレターの始まりだったってわけだね。

  その石が、たとえば表面ががなだらかで丸い石だったりしたら、

  離れている恋人は今穏やかに過ごしているんだなと想像する。

  尖ったり割れたりしている石だと、うまくいっていないのかと心配したんだって。

  気の向くままに選んだ石を同封してみたんだけど、今のオレはどんな風に見えるかな?


と、入っていたのが砂が固まったようなところに白いわたがくっついたような石だったもので、

は蔵馬の気持ちの解読に困惑しているところだ。

気の向くままにと言ってこれを見せられても…とは蔵馬らしいひねくれ具合に苦笑する。

もしかすると彼流の冗談だったりするかもしれないとも思う。

蔵馬だったらあり得ると本気で思えてしまうあたりはちょっと笑えない。

返事を書きながら、あとどれくらいで蔵馬に会えるだろうと思いを馳せる。

手紙のやりとりのおかげで、一週間もそれほどつらい思いをせずに過ごすことができた。

明日は蔵馬に逢える。

あと何時間?

手紙に封をしながら、明日に恋いこがれてなかなか寝付けないだった。

翌日。

玄関からやってくると思ってじっとドアを凝視していたの思惑を裏切り、蔵馬はテラスからやってきた。

「一週間ぶりだね、蔵馬」

「うん、ああ、逢いたかった」

はぁ、と息をついた蔵馬だが、………暑そうだ。

「麦茶飲む?」

「…鳥を手懐けたように?」

手紙に鳥に麦茶をやってみた、と書いたのを思いだしては笑いながら頷いた…久しぶりに聞く蔵馬の声だ。

「魔界は冷夏なのかな…こんなに暑かったっけ、こっちって」

「そう、毎日こんな感じだったの」

「あああ、汗だくでもう抱きしめるどころの話じゃない…」

蔵馬はぐったりと椅子に座り込み、テーブルにぱたりと伏せる。

麦茶のグラスをそばに出しながら、は蔵馬の顔を覗き込んだ。

「…なに?」

「ううん、久しぶりだから、もっと顔見せて」

蔵馬はテーブルに伏せたまま目線だけに寄越して、照れたように微笑んだ。

「…手紙、ありがとう」

返事が来るとは思ってなかったと蔵馬は言った。

「おかげで一週間、結構楽しかった…かな? 幽助たちにはからかわれたけどね」

魔界での一週間がどんなものだったのかはあえて聞かないだ。

椅子に座る蔵馬の側にいて、はしゃがみ込んで彼を見上げている。

ふと、彼の手がの髪を撫でた。

「あ、よかった…やっと帰ってきた気がする」

「うん、お帰りなさい」

「ただいま…誕生日おめでとう」

蔵馬は起きあがって居住まいを正した。

「お祝いに何をしましょうね」

「…なんにもいらないよ。ちゃんと帰ってきてくれたもの」

側にいてくれたら充分なのと微笑むに、蔵馬もなんだか安心して微笑み返す。

もうちょっとわがままを言ってくれてもいいのに…と、少しだけ思ったりしながら。

としてはこれでもかなり甘えきっているつもりでいるのだが。

じゃあ、と蔵馬は立ち上がって床に座り込むと、同じくらいの高さで目線の絡んだをつかまえてキスを贈る。

一週間ぶりの恋人のぬくもりに、またひとつ安堵感を取り戻す。

「誕生日おめでとうのキス」

そう言ってみせるとはちょっと困ったように笑ったが、嫌そうではない、もちろん。

「わがまま聞かせて、

そのまま黙っての反応を待つのだが、思いつかないらしい。

「…本当に欲のない人だな」

またキスを繰り返す。

いつも通りの触れあいなのだから、誕生日に特別なことをというほどではない。

蔵馬としては、まだ足りない。

からのリクエストが何もないなら、オレが勝手に決めちゃうよ…?」

一週間のブランクのせいだろうか。

はついうっかり、いいよと言ってしまった。

蔵馬がしめた、というようにニヤリと笑ったのを見た頃には時すでに遅し。

「じゃあまずバスルームに付き合っていただきましょうか」

抱え上げられてろくな抵抗もままならない状態で、

はバスルームに連れ込まれたあとにベッドまで運ばれて、丁重なおもてなしを受ける羽目になった…



「…ところで」

熱にさらわれてまだぼぅっとしているの耳に囁くように蔵馬が問うた。

「これは」

と、示されたのはサイドテーブルの上の封筒。

蔵馬宛ての最後の返事のはずだ。

更に恐ろしい展開がぱっとの脳裏に浮かぶ。

慌てて起きあがるが蔵馬のほうが早かった。

「どうして嫌なの? オレ宛てでしょう、この手紙」

「私が見てる前で読まれるのなんかイヤ!!」

「じゃあが読んで聞かせて」

反論しようとする唇を簡単に奪われる。

背中から抱きしめられて、の目の前で蔵馬の手が手紙を広げる。

「う、本当に読むの…?」

「そう、読み聞かせで。はいどうぞ」

「やだぁ…」

「じゃあオレが読もうかな?

 『蔵馬へ。きっとこの手紙が最後のお返事だね。私は…』」

「ヤダったら!!」

手紙を取り上げようとするがやっぱり蔵馬のほうが反応が早い。

後ろから抱きしめてきていた腕が離れたところで、はくるりと蔵馬のほうを振り向いた。

「意地悪!」

「自覚してます」

開き直ってにっこり微笑まれると、にはもう反論のすべがない。

「じゃあ、最後の一行だけでいいから」

最後の一行。

蔵馬は手紙を示した。

「…う」

蔵馬は悪意のなさそうな顔でにこにこしている。

手紙なんて、新鮮で楽しくてやりとりをしてしまったけれど、

普段面と向かって言えないようなことも書けてしまう。

は今になってその一行を後悔した。

一片の嘘も混じっていないことが照れと恥じらいに拍車をかけてくる。

「…言わない!」

「強情だなぁ…」

次はどんな手で攻めようかと考えを巡らせる蔵馬に、がきっぱりと告げた。

「蔵馬が先に、その一行を言ってくれたらいいよ」

「…オレが言うの?」

「誕生日だもん。いいでしょ?」

今度は蔵馬が逡巡する番だったが、まぁいいかとため息をついた。

またの唇に優しくキスを繰り返しながら、蔵馬は何度も愛してるよ、と囁いた。

キスと甘い言葉とに酔いそうになって、さっきまでの照れも少しずつとけてゆく。

やっぱり蔵馬にはかなわないなぁと、その一言で納得してしまう自分が単純すぎておかしかった。

やっと離れると、目を見合わせて笑いあう。

幸せな時間で満ちていく誕生日には満足していたけれど、

蔵馬にあとから「次はがあの一行を読む番だよ」という次なる意地悪を受けることになるとは、

まだ知らない。



■■■ 雪花から七月生まれのあなたへ ■■■

手紙ネタの多いサイトですね…
雪花と当サイトの蔵馬より、
七月生まれのあなたへ贈り物です。

よいお誕生日、素敵な一年となりますように。

雪花より。


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