六月生まれのあなたへ


恨みがましく思うことすらもう諦めてしまうほどだけれど、の誕生日は大抵雨降りだ。

両親が言っていた、あなたの生まれた日は大雨が降っていてね…なんて。

朝日がのぼるのと一緒に生まれたの、などと言われてみたいものだ。

だからって雨は好きでも嫌いでもないけれど、髪は大人しくしていてくれないし、

服もじめじめとしてしまうし、なんだかあまりいいことはない気がする。

でも、蔵馬は逢いに行くよと言ってくれた。

大雨でも、雷が鳴っても、嵐でもなんでも、必ずと。

その言葉だけで幸せになれる。

でも、大好きな蔵馬に風邪なんて引いてほしくはないし、

やっぱりちょっとは加減してねと思った、それが通じたのか。

なんとも珍しく、今日、の誕生日…雨は降らなかった。

とは言っても快晴にはほど遠い曇り空。

それでもざぁざぁと降り続けられるよりはよっぽどいい。

自分で自分の誕生日を祝う支度をするなんて空しいにもほどがあるわと思っていたけど、

ケーキを焼くと言ったら蔵馬は嬉しそうに笑った、それが忘れられなくて。

午前中は用事があるとかで、こっちが申し訳なくなるくらい蔵馬は謝ってくれた。

終わったらすぐに走ってくるから待っていてと何度も何度もそう言った。

今、ちょうど12時半…約束の時間まで30分。

蔵馬はなにをしている頃だろう?

まだ用事が終わらないとヤキモキしてくれていたりしてと、想像すると表情が緩んでしまう。

まわりに誰もいなくて良かった、こんなところ見られたら笑いの種だとは思った。

一人暮らしの部屋に賑やかなのはテレビの音で、クリームをかき混ぜたりしながらは御機嫌だ。

時計を眺め、窓の外を眺め、玄関の外の足音に耳を澄まし、テレビに引き寄せられ…

繰り返し繰り返し。

気になってキッチンの棚に置いてあった携帯電話が着信を告げる。

蔵馬の携帯電話からのコールだ。

「もしもし、蔵馬?」

終わった、と聞く前に、蔵馬は叫ぶようにごめん、と言った。

『ごめん、少し長引いてるんだ…遅れてしまいそうで』

「そう…何時くらいになりそう?」

『そうだな、…一時間くらいかかるかもしれない』

「そっか…いいよ、待ってる。気にしないで」

通話が途切れたあと。

ずしり、となにか音がして、どこかに───ひびが入った気がした。

さっきまでの御機嫌は、どこに行ったんだろう?

(気にしない、気にしちゃダメ)

来てくれると言ってるんだもの、あんなに謝ってくれたし、

蔵馬だって早くこっちに来たくてうずうずしてるに決まっている。

言い聞かせるように強くそう念じて、はまたケーキづくりに取りかかった。

蔵馬はきっと、気持ちも疲れてやってくるだろう。

の部屋を訪れたその時、自分がその疲れを癒してあげたいとは思った。

(ダメダメ、気持ちを切り替えなくちゃ、明るく!)

よし、と声に出して言うと、勇んでいちごのへたを切り取りにかかる。

明るく、明るく、楽しく、そう思うほどに、

テレビの音はわざとらしく響いてきて部屋の静寂をかえって知らしめるようで。

窓の外を見やると、曇り空が少し暗くなったように見えた。

時計はもうすぐ13時。

蔵馬が言ったとおりに用事が済んだとして、あと50分ほどだ。

まるで永遠のような50分。

それでも、耐えきったら蔵馬に逢える、だから大丈夫。

テレビが急に湿っぽい曲を流し始めたので、は画面を見ないようにそっぽを向きながら、

無関心を装ってリモコンを掴むとテレビを消した。

静寂が戻る。

ただ静かなのと、音が静寂を際だたせるのと、どちらがより寂しいのか。

どちらにしろ、寂しいことには変わりがないのだ。

曇り空が急にのどを鳴らすようにゴロゴロと鳴り始める。

「え、嘘っ」

慌てて窓辺に走り寄って、空を仰ぐ。

ぽつぽつと、窓ガラスに水滴が線を描き出した。

…結局、例に漏れずの雨降りだ。

カーテンを握りしめたまま、は急に不安になって…濡れていく街を眺めながら立ち尽くす。

雨の檻に阻まれて、ひとり閉じこめられているような気持ちだ。

ひとり。

一人きり、ひどい孤独感がを押しつぶそうとしてくる。

振り払うようにぶるぶると首を振ると、はまたキッチンに戻った。

ちょうど良く焼けたスポンジケーキは冷まされて、飾られるのを待っている。

ざぁあ、と雨の音が次第に強くなって耳に届く。

このBGMは、リモコン操作で消せはしない。

はまた、無関心なようにテレビのスイッチを入れた。

少しは慰めになろうか。

クリームをスポンジケーキに載せていく。

少しずつケーキらしい姿に見えてくる、その様子を憮然としたままは眺めた。

唐突に、今度はメールの着信音が響いた。

きっと蔵馬だと、手に取って確かめると、思った通り彼からの知らせだった。

  遅くなってごめん、今やっと終わりました。

  今からすぐに行くから、待っててね。

  本当にごめん。

そんなに何度も謝らなくてもいいのに。

そんなに謝られたら、この孤独感がまるで蔵馬のせいに思えてしまう。

そう思ってしまう自分がひどく心のない人間に思えて、の気持ちは一気に沈んだ。

ケーキづくりに戻る気にもなれない。

涙の味に仕上がりそうだった。

携帯電話を握りしめたままで、その場に座り込んでしまう。

すぐに蔵馬は来てくれる、大丈夫だというのに。

溢れ始めた涙はどうにも止まってくれなくて、はただ早く早くと祈った。

雨はまだ容赦なく街の上に降り注いでいる。

どうか、自分のためにただひたすら走っているだろう彼の上には降らないで。

ただ寂しくて寂しくて、その思考の片隅では彼のことを思った。

きっと楽しい誕生日になる、雨が降っても平気、そう思っていたのだから。

蔵馬がそばにいたら、寂しいことなんてすぐ忘れてしまう、だからあと少し、

…どうして我慢できないの。

「蔵馬ぁ…」

泣き声がつい彼を呼んだその時、玄関ドアを外側からどん、と叩く音がした。

はじかれたようには顔を上げる。

一拍置いて、チャイムが鳴らされた。

が出るよりも早く、「、オレだよ、開けて」、蔵馬の声がそう言った。

助けを求めるように、すがるような気持ちではドアを開けた。

蔵馬はそこに、ぐっしょりと雨に濡れた姿で立っていた。

「…ごめん、遅くなって、雨で、電車まで、遅れて、ついでに、傘持ってなくて、…」

息を切らしながら、蔵馬は途切れ途切れにそう言った。

「急に降り出すから…参ったよ。ごめんね、とにかく早く着くことが優先と思って…」

泣き顔の彼女に蔵馬は本当にすまなさそうな表情を浮かべた。

はふるふると首を横に振ると、濡れていることにも構わず蔵馬に抱きついた。

「…濡れるよ、

「いいの、…来てくれて嬉しい」

蔵馬はやっと安心したように微笑んで、濡れていることにかなり躊躇いつつも、の背を抱きしめ返した。

「…風邪引いちゃう、入って」

ははっと気付いて、蔵馬を中に招き入れる。

タオルを手渡すまで、蔵馬は遠慮して部屋に上がろうとはしなかった。

「ねぇ、着替えがないよ。どうしよう」

シャワーを浴びてもらうことにして、その間に乾燥機に活躍してもらったところで服は完全に乾くだろうか?

「…………」

の言葉に、蔵馬は黙ったままでにっこりと笑った。

何となくうすら黒いものを感じてはぴたりと動きを止めてしまう。

「服を着なくても遊ぶ方法はあるよ? もお付き合いしてくれればの話だけど」

いきなり火がついたように赤くなったにくすくすと笑いながら、

冗談だよと一応フォローを入れる蔵馬だ。

「あ、あ、私、ケーキまだ出来てないんだったっ」

誤魔化すようにキッチンに戻るを見送りつつ、蔵馬はまだ笑いをとどめることが出来なかった。

蔵馬がわざわざのんびりと時間をかけてバスルームにいるあいだに服はしっかりと乾かされて、

彼がキッチンを覗いたときにケーキはちょうど完成したところだった。

「へぇー。上手くできるものだね」

「…蔵馬、お菓子づくりはしない?」

「うーん、馴染みないな。誕生日のケーキも買って済ませることが多いかも」

「ふぅん…」

が、オレの誕生日に作ってよ」

約束、なんて言って小指を差し出してきたりする、今日の蔵馬はまだちょっとわざとらしい。

時間に遅れたことを、まだ申し訳なく思っているのだろうか。

それでも蔵馬の気遣いを壊したくなくて、は自分も小指を差し出すとゆびきりをする。

「誕生日おめでとう。…せっかくなのに、出端をくじいてしまったな」

「もういいんだよ、言わないで。あんな、雨に濡れてまで走ってきてくれたんだもの」

それで充分嬉しかったからとは言って笑った。

蔵馬はまだちょっとすまなさそうに微笑むと、そっとの身体を抱き寄せた。

シャワーを浴びたばかりでいつもより彼の体温が高いように思えた。

綺麗な香りがして、なんだかうっとりとさせられてしまう。

「…オレらしくないかもしれないけど、妙に不安で…」

蔵馬は囁くようにそう言った。

「用事ははかどらないし進まない、時間だけどんどんすぎて、

 電話をしたらは泣きそうな声をしていたし…」

そんなに頼りなさそうな声で話しただろうか?

は蔵馬を責めた一端が自分にあった気がして、所在なさげに目を伏せる。

「遅れるってだけで本当に申し訳ないのに。よりにもよって誕生日だよ…

 やっと用事が済んだと思って街に出たら雨が降り出すし、本当に…」

いつ君にたどり着けるか、走っても走っても距離が縮まるどころか音を立てて広がっていく気がした。

蔵馬はを抱きしめる腕に力を込めた。

「なんだかもう、電話で今行くからと言うのも恐くて。

 もしかしては泣いているかもと思ったり、もういいよ…なんて言われてしまいそうな気がして。

 だから、用が済んだあとはメールで伝えて…」

蔵馬はもう一度ごめん、と言った。

「…もういいから、謝らないで、蔵馬。走ってきてくれたもの。もういいの」

嬉しいと、蔵馬を見上げて、まっすぐに目を見つめては言った。

蔵馬はまだ心底から微笑んでくれない。

は蔵馬の首に抱きつくと、自分から蔵馬にキスをした。

驚いたように彼の妖気が動揺したが構わずにしがみついていると、

まだ少し躊躇うように、けれど力強く蔵馬の腕がを抱きしめ直す。

しばらくそうしてキスを繰り返して、少しだけ離れると、蔵馬がまたなにか言う前にはにっこり微笑んで。

「ケーキ食べよう? 頑張ったんだよ」

蔵馬も楽しみにしてたんでしょ、からかうようにそう言った。

「……うん、楽しみ」

「お口に合うと良いですけど?」

「はは、お手並み拝見ってとこかな」

やっと、いつも通りの蔵馬が戻ったように思えた。

ケーキと、他にもいろいろと用意したものをリビングに移動して、

二人だけのささやかなバースディ・パーティが開かれる。

窓の外は雨、まだまだ太陽を隠したままで薄暗い。

さっきは降り続く雨が檻のよう、そうも思ったけれど。

今は閉じこめられてもふたり、ふたりきり。

他の誰も、なにも、二人の邪魔をしないように、雨は守ってくれているのかもしれない。

聞くほどに孤独に思えた雨の音も今は気にもかからない。

蔵馬の声が語りかけてくる、それだけをじっと聞いている。

静寂の中に、彼の音しか聞こえない。

これはもしかすると、雨降りのもたらしてくれた贅沢?

そんな些細な発見にクスリと笑いを漏らすを、蔵馬はなんだか不思議そうに見つめるのだった。


■■■ 雪花から六月生まれのあなたへ ■■■

…最近誕生日お祝いのはずがなんだかもの悲しくてスミマセン…
雪花と当サイトの蔵馬より、
六月生まれのあなたへ贈り物です。

よいお誕生日、素敵な一年となりますように。

雪花より。


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