一月生まれのあなたへ


新しい年を新しい部屋で。

引っ越しの季節の定番は春なのだろうが、は冬休みが始まってすぐに一人暮らしの部屋に入居した。

おかげでクリスマスはカップめんとコンビニのデザートという寂しい取り合わせになってしまったけれど、

引っ越しを手伝ったついでに蔵馬が夜まで一緒にいてくれて、気持ちは寂しくなく過ごすことができた。

つきあい始めてからまだひと月たったかどうか、まだ一緒にいるのも気恥ずかしいくらいの恋人。

それでもさすがというべきか、蔵馬は一月のの誕生日をちゃんと覚えていて、

お祝いをしたいけれどは引っ越し直後でごたごたしてるし、などとちょっと気を遣っていたらしい。

これからは離れて暮らすからお正月はお互い家族と、と言って会わなかった年末、

離れていることの寂しさを紛らわすための、もう何度目を数えるかわからなかった電話。

蔵馬が「の誕生日はどうやって過ごそうか」としきりに尋ねたので、

は遠慮しながらも「じゃあ、紅茶とスコーンの美味しいお店に行きたい」というリクエストを出した。

普段蔵馬はコーヒーばかり飲んでいるようだから、このリクエストには多少苦労させられたらしい。

けれど、肌寒くも白い太陽が眩しい一月の午後、蔵馬はちゃんとの希望通りの店に連れていってくれた。

都心からバスでふた区間、おしゃれで少し大人っぽい雰囲気の店が続く通り。

葉を落とした木々が寒そうに歩道沿いに並んでいる。

その枝々の下を歩きながら、蔵馬はふいにに問うた。

「でも、いいの?」

唐突にそんなことを聞かれて、何のことかわからずには首を傾げた。

「誕生日なのに。もっと特別なリクエストがあるかなと思ってたよ」

「なんだ、そんなこと」

蔵馬の些細な気遣いには笑みを浮かべた。

「いいの、蔵馬と一緒の時は、いつでも特別なの」

はにかんだような笑顔でそう言うは声までほんのりと嬉しそうで、蔵馬もやっと安心したように微笑んだ。

これまでの数度ほどのデートの時は頭の中に綿密なプランを練り上げていた蔵馬だが、

たまにはこんな風にのんびりと散歩して、お茶を飲んでひと休みして、

おしゃべりに明け暮れるのもいいかもしれない…なんて思っていた。

隣にがいれば、デートの中身が何であっても蔵馬にとって大切な時間になるのは言うまでもない。

一緒の時はいつでも特別、それはオレだって同じだよ、と蔵馬は心の中で思った。

「ここだよ、目的の店。お気に召すといいけどね」

そう言って蔵馬が示した先には、小さな庭に囲まれた可愛らしいアンティークハウスだった。

低木が巡らされて塀の役割を果たしており、中央には木製のちいさな門がはめこまれている

(というほどちいさくて可愛らしい、おもちゃのような門だった)。

季節柄庭に花が咲き乱れるということはなかったが、よく手入れされている様子がうかがえる。

枯れた色の家は落ち着いていながら堅苦しい印象はまったくなくて、は一目でここが気に入ってしまった。

「可愛い! どうして私の好きなものわかっちゃうの?」

が目を輝かせてそんなことを聞いてくるのが愛おしくて、蔵馬もついついつられてにっこりしてしまう。

いつも通り、企業秘密です…と悪戯っぽく笑った。

「夏には庭にテーブルを出して、オープンカフェにもなるそうだよ」

きょろきょろと左右の庭を見ているに説明する。

「素敵、アリスのティーパーティーみたい…」

はすっかりお伽話のお姫様な気分になっているらしい。

ここまで酔ってもらえれば、蔵馬が店々を探した苦労も報われるというものだ。

ドアを引き開けると、ドアベルがからんと新たな客の訪れを告げる。

お好きな席へどうぞ、と言われて、は迷わず大きな窓のそばのテーブルを選んだ。

渡されたメニューを眺めて、は紅茶の種類のあまりの多さ、

スコーンにケーキにパイにパフェにとカラフルなスイーツの写真に目を奪われているようだ。

そんな様子を見て、向かいの席の蔵馬はここに決めて良かったなと改めて思った。

スコーンというリクエストはしたものの、

にはケーキもパイもパフェもプリンも私を食べてと呼んでいるように見える。

「どうしよう、決まらない…」

言いつつ、悩む顔は嬉しそうだ。

「…じゃあ、オレがスコーンにするから、は何か別なもの頼んだら?」

「いいの? 横からつまんじゃうよ」

「どうぞ」

くすくすと漏れる笑いを止めることのできない蔵馬だ。

水差しの中で、浮かんだ氷がからりと音を立てる。

午後の柔らかい日差しが優しく降り注いで、愛しい恋人をふわりと包んだ。

眩しそうに目を細める蔵馬に、は気づいていない。

「今日はオレも紅茶にしようかな。選んでくれる?」

「紅茶にするの?」

嬉しそうに紅茶の種類に目を走らせるに、新しいことにチャレンジしてみるなどと言ってみるが、

なんとなく…の好きなものを自分も、というところに幸せな気持ちを抱いている蔵馬。

「じゃあ、ワッフルのセットひとつと、スコーンのセットひとつ。飲み物は紅茶で、ダージリンとヌワラエリア」

さすがの蔵馬も聞き慣れない名前が出てきた。

不可思議そうな顔の蔵馬に、ヌワラエリアは本で読んで知ってるけど

今まで飲んだことがない憧れのお茶なの、とはにっこりしてみせる。

お茶が揃うまでのあいだ、はいつになくのんびりとした心地で窓の外を眺めた。

蔵馬は蔵馬で、そんなの様子を微笑ましく眺めている。

はふと、思い出したように顔を上げた。

「そうだ、あのね」

「なに?」

「蔵馬にプレゼントがあるの」

「…………今日は君の誕生日だよ」

「そうだけど…新年だし、今日は誕生日だし、新しいことしてみない?」

は何か意味ありげに微笑んでみせる。

「どんなこと?」

うふふ、とは目配せをする。

「謎かけかな? 見当もつかないよ」

「もう、チャレンジする前から諦めて」

はぷぅとふくれて見せる。

一応考えてみるふりをする蔵馬だが、そもそも今日という日に自分に贈り物があるという不可解に頭を悩ませた。

逆にへのプレゼントは今日また新しくリクエストを聞いて一緒に探すことになっている。

先手をとられたようでちょっと悔しい気もするが…

「わからないな。降参」

首を振ってみせると、は満足げに笑って、バッグからなにかキラリとしたちいさなものを取り出した。

それが何かは、蔵馬にはとっさにはわからない。

はそれを手の中に握り込んで差しだしてくる。

「手、出して」

素直に受け取るかたちに手を出すと、はそこに自分の手をそっと載せて、握っていたものをすとんと落とした。

手のひらに落とされたものを見て、蔵馬は一瞬きょとんとし…そのまま呆気にとられた。

「………いらない?」

じゃあ返してと、恥ずかしさ半分に手を伸ばすから蔵馬はさっと逃れると。

「絶対返さない」

と言ってほんの少し意地の悪そうな笑みを浮かべた。

それを見ては行動を早まったかしらと少なからず思ったのだが、

それが今のの精一杯の気持ちだというのは本当だから…受け取ってもらえたことに心底安堵した。

「新しいこと、ね」

苦笑する蔵馬の様子を恐る恐るうかがっている

「期待してしまうよ?」

「…う、んと、ね…つまり、そういう意味じゃなくてね」

「わかってるよ、心配しないで」

蔵馬は嬉しそうに、手の上のそれをそっと握りしめた。

蔵馬が持っているそれは、の新しい部屋の合い鍵だった。

本当は鍵なんか使わなくても、手段を選ばなければの部屋に入ることなど蔵馬にとっては造作ないことだ。

けれど、そんな乱暴なこととこれとはまるで意味合いが違う。

いつでも逢いに来て、とからきちんと招待を受けたのだから。

それにしても合い鍵を渡すということがなにを意味するのかくらいはにだってわかるだろうが、

まだまだ行動に移すわけにはいかなさそうだと蔵馬は見当をつける。

なにせ、今までにたった一度すら、キスだってしたことがないのに。

困って俯いてしまったも可愛らしいけれど、まぁいつまでもそうさせているのも可哀相だからと、

蔵馬はさりげなく助け船を出す。

「ほら、ワッフルが来たよ」

大きめのプレートにワッフルとフルーツとアイスクリームと生クリームとがとりどりに散りばめられている。

宝石箱の中でも覗いているように、の目はまた輝いた。

の新しい一年が今日の誕生日からまた始まって、自分たちの関係も少しずつ塗り替えられていくのかもしれない。

毎日逢っていても、どれだけ長い時間を一緒に過ごしても、

また蔵馬はの新しい表情を見つけては新しい愛情を覚えるのだろう。

そうやって一緒に過ごした時間が歴史のように繋がって、新しく新しく一瞬すらも紡がれていって。

それがずっと続けばいいと、蔵馬はの知らないうちにそんなことを思った。

憧れのお茶にやっと出会って、可愛いお姫様はご機嫌だ。

時折スコーンに手を伸ばしたり、蔵馬の紅茶のカップを横取りしてみたりとなかなか忙しい。

「ねぇ、夏になったらまた連れてきてくれる? オープンカフェのときに」

「いいよ、また来よう」

約束、と言って小指を出してくるに苦笑しながら、蔵馬はちゃんと指切りをしてやった。

特別じゃない、普通だけれどとびきり特別な幸せな時間を過ごして、日が傾く頃にふたりはやっと店を出た。

へのプレゼント、なににしようか?」

「別にいいのに、ちゃんとお店見つけてくれたし」

その店の評価が満点だということはの様子からも一目瞭然。

「でも、せっかくの誕生日なのにオレがプレゼントをもらってもなぁ」

蔵馬は納得行かない様子だ。

「うーん…」

はどうにかして欲しいものを思い浮かべようとしたが、こうしてみると結構満ち足りているもので、

特に何かが思いつくわけではない。

煉瓦造りのちいさなバス停で帰りのバスを待ちながら、はまだうんうんと考え続けていた。

蔵馬はなにか言うまで帰してくれないつもりらしい。

冬の日暮れは早く、バス停の外壁に取り付けられた照明に灯りがともった。

ふとその光に目を上げたは、その瞬間にいつかはきっとと想像していたことを思い出した。

「…えーと、蔵馬…」

「なに? 思いついた?」

「えーと、その…耳、貸して?」

言われるままにのほうへ身体を傾けてみると、は両手でラッパを作って蔵馬の耳に当て、

小声でそっと、たったひとことを告げた。

聞いて、蔵馬はそのまましばらく硬直する。

「…それでいいの?」

は赤い顔でこくこくと頷いた。

「ホントに??」

「いいの」

「…本当に?」

「…うん」

急に緊張してしまったが本当に可愛くて仕方なくて、

ねだられたことは蔵馬にとっても望むことだったというのに申し訳ない気持ちになってしまう。

下を向いてしまったの額に、自分の額をあてて。

「じゃあ、目を閉じてくれる?」

「…え、と?」

「そのままでいいから、目を閉じて」

がまともに蔵馬を見上げることが出来ない状態なのは彼自身にも伝わってきたから、

そのままでいいと言って安心させてやりたかった。

はまた小さく頷いた。

様子を伺っていると、ゆっくりと瞼が閉じられるのがわかる。

に上を向かせることはせずに自分がかがみ込んで、蔵馬はそっと、に初めてのキスを贈った。

細い肩が震えている。

怖い思いはさせたくなかったけれど、それに耐えてでも触れたいと思ってくれたへ、

またじわりと強い感情がこみ上げた。

離れると、潤んだ目がすぐそばで彼の喉元を見つめている。

まだ目線をあげることは出来ないだろうなと、蔵馬は優しく微笑んで。

「誕生日おめでとう」

「ありがとう、蔵馬…」

はまだ少し震える声でかろうじてそう答えた。

「…好きだよ、…」

精一杯気遣いながらを抱きしめて、また髪にキスを落とす。

蔵馬の肩でが大きく息をつくと、その身体から少しずつ力が抜けていくのがわかった。

「…あのね、蔵馬…それでね」

続きがあるとは思わなかった。

蔵馬はちょっと不意打ちを食らった格好だ。

抱きしめる腕から逃がしはしないけれど、ちょっと力を緩めてを見下ろしてみる。

はちょっと頑張って、視線を蔵馬へと戻した。

「今日ね、鍵…かけておくから…」

「え?」

「私の部屋の鍵、かけておくから…中からは開けないからね」

普通なら拒絶宣言だ。

けれど、そこに込められた意味は全く逆に蔵馬に伝わった。

「窓も施錠しちゃうからね」

緊張が少しとけてきて、はやっと少し微笑むことが出来た。

はいはい、と苦笑を返すと、蔵馬はまたの額にキスを繰り返すのだった。




鍵はかけておくから、私は絶対中から開けないからね。

他の誰も入ってくることの出来ない部屋で、お姫様は盗賊を待っていて。

伝説とまで言われ、暗号も罠も何でも来いの盗賊は、

今日だけはお行儀良く鍵を使ってドアから部屋へ、お姫様の二度目のキスを奪いにやってくる。

■■■ 雪花から一月生まれのあなたへ ■■■

…合い鍵ブームです。
雪花と当サイトの蔵馬より、
一月生まれのあなたへ贈り物です。
ともにプレゼントにお持ち帰りください。

よいお誕生日、素敵な一年となりますように。

雪花より。


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